それから鶯丸の様子がおかしくなった。いや、『君を落とす』という言葉通りに行動しているだけだろうが、私の心拍数を跳ね上げるには充分すぎる。

「主。今日は冷えるだろう。これを着ておけ」
「あ、ありがとう…」

 資材の確認のため倉庫を見にいく途中、タイミングよく現れた鶯丸に羽織をかけられた。見覚えのある赤い羽織はたぶん大包平のものだけど…。にっこりと微笑んで王子のように去っていった鶯丸にそれを指摘することはできなかった。

 あるいは。

「主。夜遅くまで頑張っているな。少し気を休めるといい。夜食を作ったんだが、どうだ?」

 お盆に二つの湯のみとおにぎりを乗せて執務室に訪れた。夜更けに食べるのはよくないと思いつつ、鶯丸があまりにきらきらした目で見つめてくるからつい手が伸びてしまう。あたたかく塩のきいたおにぎりは絶妙な握り加減で、お米ひとつひとつが立っていて、予想以上においしかった。嬉しそうに目を細める鶯丸の前でぺろりと完食してしまった。胃袋を掴まれる。

 またの日は。

「大包平に『求婚するならきちんと手順を踏め』と怒られてしまった。そこで恋文を書いてみたぞ。返事はまあ、閨で聞かせてくれればいい」

 渡された薄い色紙は香を焚き染めたのだろう、ほんのりと上品な香りがした。記された文字は達筆すぎて読めない。あの鶯丸が筆を取り恋文をしたためたなんて。どんなことが書いてあるのか気になって仕方ないが、読めないのが歯がゆくてならず、いっそ音読でもしてもらおうかと思う始末だった。

 ……とまあ、気がつけば鶯丸のことばかり考えているし彼の姿が視界に入るとドキッとしてしまうから、完全に恋に落ちているんだろう。我ながら自分のチョロさに呆れる。

 恋のときめきは現世への帰還で傷ついた心を慰めるには役に立った。私の居場所はもうあそこにはない。思い返すとキリキリと胸が痛んだ。
 留守の間に溜まった仕事を片付けながら気分が沈む。
 今夜はまだ鶯丸が来ていないから作業が捗らない。ぼんやりと手元の白紙を見つめているうちに先日の回想が始まる。


 家族に会う。数年ぶりの再会だった。
引っ越しをしたという新しい住所の場所へ行けば、立派な二階建ての一軒家に我が家の表札がかかっていた。
 審神者になれば私も家族も今後一生の生活を保障される契約だったのだから不思議でもない。上質な服を身につけた両親に迎えられて、広い芝生の庭を踏みながら、ちくりと胸が痛んだのは一瞬。新居のリビングで、よく帰ってきたね、と表面だけの笑顔で歓迎される。その奥に畏怖の感情が隠れていることに気づかないほど鈍感ではない。審神者というのは異質な存在だ。刀の付喪神を降ろして戦争に使役させる血生臭い職業。実の肉親であっても忌み嫌われるのは当然か。

「あなたの部屋だけど、一階に客室があるから…」

 申し訳なさそうに告げた母の言葉に一瞬思考が止まり、すぐに理解した。審神者の契約期間に定めはない。私はこの家を出た人間だ。帰ってくるとは思われていなかった。当たり前じゃないか、寂しいと思ってはいけない。
 案内された客室に荷物を置くと、母はどこかほっとしたように廊下を戻っていった。一人きりの部屋で、遠くに彼らが歓談する声を聞く。真新しい畳は草の匂いが強く、慣れ親しんだ本丸の和室が恋しくなった。

 居心地の悪い家から離れるべく、翌日からは街をふらふらしたり、連絡のついた旧友と再会したりした。
 しかし驚くべきことに、学生時代を笑い転げて過ごした彼女たちの数人が結婚して所帯を持っていたのだ。子供産んだの! と赤ちゃんを連れて来られた時は驚きのあまりリアクションに困った。

「まさかあんたが一番早く結婚して子供産むとはね…」
「ねー。私もびっくりしてるよ。ところで審神者の仕事ってどう?」
「美形の付喪神に囲まれてるんでしょ? なんか大奥みたいですごいよね」
「誰かと付き合ったりしないの?」
「え! 彼らは刀の付喪神だよ…?」

ぶんぶんと首を振ると勿体ないねーと苦笑される。それから近況報告として彼女たちが恋人や家庭について語るたび、私の気分はずんずんと暗くなった。
 だって私には無理な話だ。人間の男と結ばれて、子供を産んで、家族や友人に祝福される人生なんて。それが幸せだとも限らないけど、手に入らないものだと思えば羨ましさのほうが優った。
 今世の時間戦争には終わりが見えず、審神者業からいつ解放されるか分からない。普段は本丸で平和に過ごしているが、敵軍の襲撃に遭って命を落とす可能性だってゼロではないのだ。
 彼女たちとは住む世界が違ってしまった。本来なら楽しめたであろう年頃の女子トークにひとつも共感できず、私は一人取り残されているという劣等感を刺激されてたまらなかった。

 ここには私の居場所がない。

(私だってふつうに幸せになってみたかった)

 最後の日、約束の時間より早めに家を出て、繁華街でヤケ酒を飲んで酔っ払って帰ってきたことは覚えている。こんのすけの呆れ声に安堵して、そして、玄関で迎えてくれた鶯丸のあたたかい腕がこの上なく大切に思えて。それから……まあそれからのことは覚えていないが正直恐ろしくて思い出したくもない。
 でもその夜の眠りは久しぶりに心地よいものだった。夢を見た。誰かの腕の中で安らかなぬくもりに浸っている夢。家族みたいに、恋人みたいに優しく私を抱きしめてくれて。あたたかい手のひらで撫でてくれる、そんな夢を


「主?」


 開いたまぶたが濡れているのに気づいた。

 ななめに傾いた天井を背景に、鶯丸が心配そうにのぞきこんでいる。

「寝落ちしていたのか。体を痛めるぞ」

 泣いているのか、と聞かないところに彼の優しさを感じた。にじんだ目元は眠気のせいにしてごしごしと拭い、書卓に伏せていた体を起こす。
 ぽんぽんと頭を撫でていた手が離れようとするのを掴んで止めた。

「今夜のお茶は?」
「かもみーるてぃーというやつだ。安眠作用があるというのでな、西洋の茶もいいものだろう?」

 サイドテーブルには湯気の立つお盆が乗せられている。なめらかに頭を滑った手はそのまま、むくんだまぶたを擦った。寝起きの顔を見ておかしそうに笑う鶯丸に、全ての甘えを曝け出したくなった。

「私はずるいやつだよ」

 己の弱さを自覚している。懺悔せずにはいられなかった。
 突然の告白にも鶯丸は顔色ひとつ変えずこちらを見ていた。柔らかな髪に隠れたほうの瞳さえ優しく、続きを話せと促してくる。そんなふうに手を差し伸べられたら誰にだって縋りたくなってしまう。

「今まで鶯丸のこと、特別に好きではなかったの」
「そうか」
「えっちした日のことも覚えてない」
「残念だがそのようだなあ」
「なのに告白されて優しくされてから、どんどん好きになっていくの。都合のいい恋でしょ?」

 湿気をふくんだハーブの香りがここまで漂う。息遣いひとつさえ聞こえるほどの沈黙。きりきりと締め付けるような胸の痛みに耐え兼ねた頃、鶯丸は首をかしげてふっと唇をほころばせた。

「ならば俺もずるい刀だな」

 彼は淡々とした喋り方をする割に、吐息を多く絡ませる癖がある。掠れた声は熱帯の雨みたいに気だるく色っぽく、孤独に凍えた心を溶かす。膝の上で組んだ手に男のそれが重ねられる。

「覚えていないかもしれないが、あの夜、君は幸せになりたいと泣いていた。人並みに愛されてみたかったと。現世で悲しいことがあったんだな。慰めてほしいと泣きついてきた。その傷心につけこんで君を抱いたのは俺だ」

 どくり、古傷に爪を立てられたように心臓が痛む。酒に酔って理性がなくなっていたとはいえ、現世で食らったダメージを引きずり、鶯丸にそんな醜態を見せつけていたなんて恥ずかしくて死にたくなった。
 しかし私の後悔の念も承知済みで鶯丸は微笑む。

「主は己が軽率だと自責しているのか? まあ、あの夜のことを覚えていないのは衝撃を受けたが、俺のことを好きだと思い始めたことに関してはなにも悪くないだろう?」
「悪いよ…。だって、後出しだもん。鶯丸の気持ちと釣り合わないよ」
「後出しで当然だ。主が俺を好きになるよう、俺が必死に仕向けたのだからな」
「……必死だったの?」
「当たり前だろう」

 むっと口を尖らす様子がおかしくなって笑う。飄々とした鶯丸がなにかに執心するなんて想像できなかったのに、その対象が自分だと思うとたちまち頰が熱くなる。そして火照った頰を両手で包まれて一層顔が燃える。

「私、ちょろい女だよ」
「ああ。分かっている」
「優しくしてくれたのが鶯丸じゃなくても好きになってたかもしれないんだよ」
「もしもの話は意味がないな」
「これから先、他に好きな人ができちゃうかもよ?」
「最後に俺のところに帰ってくればそれでいいさ」

 乾いたはずの瞳からぽろりとなにかが伝うのをあたたかい手が受け止めた。ずっとこの手に抱きしめられるのを待っていた気がする。刀を振るう腕は固くたくましく、その質量にうっとりしていると枯葉色が迫ってきたので慌てて目を閉じる。
 ぷにぷにしたものが唇に触れて感動を覚えた。途端になだれ打つような心臓の鼓動。くらくらと目眩がして思わず顔を背けた。

「照れてるのか」

 おでこにくすぐったい感触がする。目を開けるとふわふわした髪がくっつくほどの距離に鶯丸がいて、あまりの近さに耐えられず体を引こうとすれば背に回された腕に阻止される。

「恥ずかしいよ…」
「可愛いらしいな。口吸いひとつでこんなに照れるなんて」
「だって……はじめてだもん」

 ぴくりと彼の雰囲気が変わる。怪訝そうな視線の意味を理解して、弁解を口に述べた。

「あ、その、こないだのはノーカンでね…?」
「主は処女だったのか?」
「え? うん、そうだよ…」

 というか今も心は処女なんですけど。だって覚えてないですし。初体験やり直さない? と尋ねようとして鶯丸の目が呆然とこちらを見つめていることに気づいた。

「まさか生娘だとは思わなかった。前回の君は痛がる素振りもなかったし本当に積極的に腰を振っていたんだ…。ああ、ずいぶんキツイなとは思っていたが…そうか、処女だったのか…」
「死にたい…」

 酔っていると痛覚が鈍くなると聞く。破瓜の痛みを経験しなかったのはいいとしても、今後禁酒することを固く決意した。

「そうか。なら俺は主の初めてを二度ももらえるのだな」

 あっけらかんと笑う鶯丸のペースに簡単に乗せられてしまう。天才かな。「君の身も心もくれ」とねだる言葉に、うなずくことしかできなかった。


 胸元がひんやりした空気にさらされる。とっさに隠そうとした腕は男の手に掴まれて易々と開かれた。いやいやと首を振ると耳の付け根に唇を添えられて、なめらかな湿った感覚がうなじを伝い、魔法みたいに力が抜けてしまう。

「主は綺麗だな」

 私よりよっぽど美しい刀の付喪神は、その彫刻のような半身を惜しげも無くあらわにして賛辞を述べる。輝く白い肌。厚く隆起のついた胸筋。割れた腹、それより下は見れなかった。うつむいた体に視線が這うたびにぞくぞくと甘い羞恥がこみ上げる。
 長い指がゆっくりと裸の乳房に食い込んだ。

「ここなんて俺と全然違う。柔らかくて餅のようだ」

 膨らみを、手のひらですくい上げるみたいに揺すられて、おかしな息が漏れる。少し伏せた目がまっすぐに私を見据える。長い睫毛が影を落とす。こんな美しい男と淫靡な行為に浸っていると思うとたまらなかった。
 もっと。もっと触って。回らない舌で乞えば彼は喉奥でくつくつと笑った。まるく乳房の形に合わせて揉まれながら充血した蕾を抓られる。片方の手は臍を滑って下腹部の柔らかな脂肪に埋まる。鍛えていないからぷにぷにと無駄肉があって恥ずかしいのに、それすら楽しむように弄ぶ手のひらが憎らしい。

 下着越し、中指で触られたそこはすでに濡れて布に張り付いていた。カリカリと引っ掻かれて思いがけず大きな声が上がる。泣き叫びそうになる唇を必死で噛み締めると、「駄目だ」と優しく口の中に指が入れられて、ゆっくりと歯列をなぞられる。涎を垂らしながらヒンヒンと犬みたいに泣いた。酷い。理性が吹き飛んでしまうくらい。

 ぬかるみに一本、二本、つぷつぷと器用な指が入り込む。私の恥ずかしいところが異物にかき混ぜられて、だらしなく口を開けていくのが分かる。上の口から指が引き抜かれて唾液の糸がだらりと伸びた。

「もういれて…」

 鶯丸の指を咥えこんだそこはせわしなくうねり、炉心のように熱い。これ以上待てをされたら気が触れてしまいそうだった。

「まだ狭そうだ」
「いいから、早く、鶯丸の…」

 やれやれと困ったように笑って、そのくせ余裕のなささうな素振りで己の服を下ろす。屹立した太い塊を見て、こんなものが入るのかと、腑抜けた脳に冷静さを取り戻した。

「辛かったら言うんだぞ」

 背中と胸に手を当てて体を横たえられる。必死にこくこくとうなずいていると、太ももの間に熱く濡れたものが擦り付けられて背が跳ねた。割れ目に沿ってぬらりと滑り、入り口をとらえたところで、先端の膨らみが押し入ってくる。

「〜〜っっ!!」
「痛いか。やめようか?」
「いたくない、から、やめないで…!」

 ぎゅうと彼の腕に爪を立てる。目を閉じる。体内に潜り込んでくる異物の感覚。招き入れてみれば目視したよりもずっと大きく、質量のある剛直に、奥まで縫い止められて快感が走り抜けていく。
 うねる肉の重なりの中で、鶯丸は嬉しそうに腰を揺らした。

「痛くないようで良かった。主の中は温かいな。とても気持ちいい」

 軽く中をくすぐられるだけで涙がこぼれる。快楽を逃がそうと頭を振りながら、だんだん激しくなっていく攻め立てに喘ぐ。男を受け入れた体は勝手に締め付けて愛液を流して喜ぶ、気持ちよさしか感じない、中がびくびくと波打って絶頂に達した。
 まだ震えている体から鶯丸が引き抜いた。力の入らない腰を強引に立たされて彼の上に乗せられる。

「今度は君に動いてもらいたい」
「えぇ……?」
「先日はこうだったんだ。主がみずから腰を振るさまはいやらしくて興奮した。またやってほしい」

 かああっと熱くなる頰。楽しむように目を細めている鶯丸は確信犯だ。恥ずかしくて泣きたくなるけど、罪滅ぼしだと思えば仕方ない。寝転んだ彼の腹に手を置いてぎこちなく腰を上下させる。しかし、自分の重みで奥まで入るうえ、動けば動いたぶんだけ中が擦られて快感が増幅してしまう。

「んっ……きもちいい、っ?」

 ヤケになって尋ねると鶯丸はにっこりと応える。

「ああ、上手だ。こうしていると主の乳が揺れているのがよく見えて、いい眺めだな」
「ばか…」

 下から胸を掴まれる。長い指のすきまから柔らかな肉がはみ出しているのがいやらしくて目を背けた。重力に従ってふるふると揺れるそれを両手で揉みしだかれて、ぺたりと足の力が抜けてしまう。その拍子にぐんっと突き上げられた。

「あっ、あ、あああぁ」

 耐えられなくなって彼の胸に倒れこむ。鶯丸は胸を揉んでいた手を離してお尻を鷲掴みにすると、いっそう激しく腰を突き立ててきた。ぐちゅんぐちゅんと結合部が音を立てる。恥ずかしくて気持ちよくて、開きっぱなしの口から嗚咽みたいな嬌声が止まらない。

「主、可愛い、な…。君のなかはすごく、熱い。こうしていると、溶けてしまいそうだ」

 ふだんから色っぽい声なのに、息を荒げた低音に耳元を撫でられてぞくぞくと鳥肌が立つ。甘く掠れた声で愛を囁かれたらそれだけでいってしまいそうだ。奥まで揺さぶられて涙でぼやける視界の中、目の前で輝いている首筋にちゅっと噛みついた。苦しそうな声を上げて獣みたいに呻く。中で彼のものが一回り大きくなって狭いそこをみちみちに押し広げて……これ以上は、もう。

「っあぁ、あ、うぐ、鶯丸、も、だめ……!」
「いっていいぞ、俺ももう…っはぁ…、あ、あ…!」

 ぴったり体が密着するよう抱きしめて、一番深く、奥に鶯丸のを突きつけられてびくんと体がのたうつ。引き攣ったように喉をわななかせ、頭が真っ白になるような絶頂に震える私の中に鶯丸が欲を吐き出した。
 注がれる霊気が熱い感覚となって全身に巡っていく。じわじわと心地よさが広がる。涙で濡れた頰を優しい指が拭った。こんなに、幸せなことが、世の中にあったなんて。
 はぁはぁと呼吸を落ち着かせながら目を閉じる。幸福感と脱力に襲われてすぐに意識が暗くなった。



 桜が舞っている。縁側に腰かける私たちの手元にひとひらの花びらが飛び込んできて、湯飲みに水紋を広げた。

「いつまで休憩しているんだ!」

 厳しい男の声が飛んで春の庭を見やれば、タオルを引っ掛けた大包平が仁王立ちしている。鶯丸とお揃いのジャージ。二人に内番を任せた当本人である私が、畑仕事をサボる鶯丸の横でのほほんとお茶を飲んでいるのを見て大包平は憮然とした。

「主たるものが臣下の怠慢を許してどうする! 審神者の執務は終了したのか? 油を売っていないで仕事に戻れ」
「まあそう目くじらを立てるな。俺と主はだいじな話をしていたんだ」
「ほう? いい加減、婚儀の日にちを決めるつもりになったのか?」
「そんなところだ」

 してないしてない。美味しいねえってお茶と茶菓子を楽しんでいただけだが、性根が素直らしい大包平は簡単に鶯丸の口車に乗せられる。

「そうかそうか! やっと身を固める決意がついたのだな! 婚礼は大安吉日を選べ!」
「はは。もちろんだ。だがまあ、主はまだ若いのでな…急がずゆっくりと考えてもらえばいいと思っている」
「何? 相変わらず呑気なことを言っているな。人間の一生などあっという間だぞ。お前が茶を啜って呆けている間に、主は天に召されてしまうかもしれないのだぞ」

 鶯丸はちいさく笑った。その笑顔が彼らしくもなく弱々しく悲しげだったので、思わず大包平を睨む。彼なりに善意のアドバイスだったのだろうが、このタイミングでは不躾だと言えなくもない。刀と人で結ばれたばかりの私たちに『人間はすぐ死ぬ』なんて。
 無言の抗議に大包平は肩をすくめ、目をうろつかせたあと、すまんと呟いた。

「……死別が怖いなら、早く、お前のものにしてやれ」

 背を向けた大包平を、鶯丸は黙ったまま見送った。
 心配になって手を引くと、彼はこちらを振り向いて頰をゆるめる。しかしいつもの穏やかな雰囲気を纏ってはいなかった。

「鶯丸」

 促すように名を呼ぶと、なにかを言い淀んで、悩み、やがて真剣な瞳で私を見つめる。

「主。婚礼に興味はあるか」
「え?」

 結婚式のこと? そりゃあ綺麗なドレスなり白無垢なりを着てみんなに祝福されるのは素敵なことだし、一生に一度はやってみたいけれど。しかし鶯丸と付き合うようになったからといって、いきなり結婚とか、早計すぎるんじゃないかと思う。

「俺は、君が番いになってくれたらいい。挙式自体にあまり関心はないんだ。だが…大包平も言った通り、いずれ別れる時が来るだろう」

 すでに千年近くの歳月を経ている太刀からしてみれば、たとえ私の最期まで添い遂げたとしても、一緒にいられる時間は僅かなんだろう。人の死を恐れる。優しい刀だなと思った。

「もし、形式だけでなく、魂までも俺と契りを結んでくれるなら……主と俺は永遠に一緒にいられるだろう。子を成すことも可能かもしれない。だが…歳も取らず、現世に帰ることもできなくなる。それでもいいのなら、考えておいてほしい」

 待っている。そう告げて微笑んだ鶯丸が私の手をぎゅっと握る。予想以上に強い力に彼の秘めたる執念を見た気がして、何も答えることができないまま曖昧にうなずいた。
 そろそろ仕事に戻ると笑ったジャージの背中を見送って、いろんなことが胸の中に巡り巡って考えてしまう。
 でもいつか、私は結局、鶯丸の思い通りにさせてしまうんだろうと思う。

 桜の浮かんだお茶をごくごくと飲み干して立ち上がる。床板がきゅうきゅうと小鳥みたいに鳴いて私の足取りを軽くした。悪くない。常春に色づいた未来を思った。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。