「帰命頂礼世の中の 定め難きは無常なり。
親に先立つ有様に 諸事のあわれをとどめたり。」

 愛されていたんだな、と知ったのは折れてからだった。
 地獄というものが付喪神にも存在するのか、長らく生きてきたが聞いたことはない。刀剣男士として肉体を持ってからも、死後の世界のことなど考えたこともなかった。人の身を得たとはいえ我々は元を正せば無機物だ。人間たちが太古より夢想してきた地獄も極楽も、命を持たない刀には関係のないことだ。
 しかし後藤藤四郎がいるのは、話に聞いたことがある賽の河原だった。
 折れてから途絶えた意識はしばらく真っ暗な深淵をさまよっていたが、ふと気がつくと砂利の上に横たわっていた。見渡す限り灰色の空が続くその空間は、現世のどこにも見覚えのないものだった。
 川は向こう岸が霞むほどに広く、黒々と流れている。平べったい石が敷き詰められた河原には、後藤以外の誰もいなかった。
 なぜ、死んだはずの自分がこんな場所にいるのか。抜け出すにはどうすればいいのか。延々と考えても答えが見つかるわけでもなく、仕方なく後藤は人間の迷信に従って石を積みはじめた。親より先に死んだ子は、償いのために仏塔を建てるのだ。乾いた石を重ねる。ひとつ、ひとつ、高くなるごとに本丸での思い出がよみがえる。

 ずっと守ってやるからな。

 己が大将に向けて告げた言葉を思い出す。守るのは得意だと自慢げに伝えた日が悔やまれる。大将が死ぬより前に自分が折れてしまった。後藤の百分の一も生きていない彼女は今ごろどんなふうに過ごしているだろう。苦しい心情を吐露しようにもこの世界には後藤しかいない。ただ一人きりで石を積み続ける。果たせなかった約束を罪として、償い終えるまで後藤は消滅できないのだろう。
 真っ直ぐに石を積むのは至難の技である。この塔は歪んでいる、と思うと大きく地面が揺れて高く育った仏塔を崩してしまう。後藤は砂利の中からさっきよりも形がよく重ねやすい石を拾い集めて、また、川辺に塔を建てる。
 兄弟たちは元気で過ごしているだろうか。短刀の誰かが自分と同じ場所に来ていないということは、誰も折れてはいないのだろう。
 後藤は大勢いる粟田口の短刀のうちの一振りだった。もちろん無下にされたことはないが、特別大将に寵愛を受けた覚えもなかった。他の刀たちと同じように仕え、守り刀としての本懐を果たすことが役目だと信じて疑わなかった。
 思った以上に自分は愛されていたのだな、と知ったのは折れてからだった。
 時折、河原には大きな太鼓のような音が響き渡る。
 どん、どん、どん。一定のリズムで打つ音は、目を閉じて聞けば鼓動の音に他ならなかった。それは後藤が生前、一度だけ大将の懐で聞いた、彼女の拍動に違いなかった。甘え上手な信濃藤四郎が大将の懐に潜るのを眺めていたとき、後藤もおいで、と優しく手招かれたことがきっかけだった。強がりな後藤は素直に甘えることが苦手だったが、その時ばかりは仕方ねえなあと大将の申し出に答えたのだ。
 人間の胸はあたたかく、心臓の音が懐かしかった。
 どん、どん、どん。無人の河原で目を閉じて自分の体を抱く。折れた後藤に脈はない。だが天から聞こえる大将の鼓動の音を聞いていると、彼女の胸に抱かれているような気がして心が軽くなるのだ。
 そうして孤独の痛みに耐えながら石積みを再開する。
 ごく稀に、川の流れに大将の姿が映ることがある。
 後藤の寂しさが見せた幻影なのか、実際の大将の姿を反映しているのかは分からない。しかし決まって川の中の大将は悲痛に暮れた表情をして、ぽろぽろと涙をこぼしているのである。
 それを見るたびに後藤は居た堪れなくなって、大将、と石塔を放り出して駆け出すが、ばしゃばしゃと川面に飛沫を立てると、瞬く間にかき消えてしまう。永遠に近づくことのできない蜃気楼のようなものだ。
 水を吸った靴は重く、河原に戻ると喪失感と疲労でぐったりと倒れこんでしまう。不甲斐ない自分を罰するように石塔は崩れ去る。また同じことを繰り返す。硬い砂利は後藤の涙を吸ってすぐ乾く。

 俺は大将に愛されていたのだ。あんなに泣いて悲しませるほどに。
 それ以上に俺も大将を愛すればよかった。ずっと守ってやると決めた日から、片時も離れず彼女のそばにいればよかった。
 後悔する後藤の悔恨ばかりが高く積もって、空は今日も灰色に渦巻いている。
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