・現パロ
・女体化百合


「はあ??」

 可愛い顔に似合わず険のある声を上げて、安定は思いっきり眉をひそめた。
 そんな彼女の顔の前で私はぱちん! と両手を合わせて懇願する。

「お願い! こんなこと頼めるの安定しかいないんだよ!」

 見慣れた安定の部屋。ローテーブルを挟んで私と彼女は向き合っている。
 ドン引きのお手本のような表情をして私を見ている安定に、テーブルに額をぶつける勢いで頭を下げる。

「このお礼はなんでもするから……。私、強がって経験あるって言っちゃったんだよ。今さら、キスもしたことないなんて言えないんだよ…」
「……だからさ、なんでそれが僕に『キスを教えて』なんて話になるんだ?」

 頭をつけたまま私が震えるのでテーブルの上のマグカップもぷるぷるしている。中身がこぼれないようにと安定はそれを手に取って呆れたような声を出した。
 私と安定は中学校まで一緒だった大親友で、高校が別々になってしまった今も月に数度は会う仲の良さだった。家がご近所なのでこうして頻繁に互いの家を行き来している。

「……モテモテの安定さんなら、一通りの経験はあると思って。ご指南してもらいたいんです…」
「………」

 はぁー、と深い深いため息をついて、「顔を上げなよ」と安定が言う。これはまさか、顔を上げた瞬間に唇を奪われるやつかな?! と思ってドキドキしてしまったが、そんなことはなく安定は哀れむような目で私を見ているだけだった。

「あのさあ。君、初めてのキスを好きでもない同性の僕としちゃっていいわけ? 正直に、したことないって言いなよ」
「うう……」

 事のいきさつはこうだ。私に人生初の彼氏ができた。それはいい。めでたい。嬉しいことなのだが、しかし私は自分で蒔いた種に頭を悩ませていた。なにを血迷ったのか付き合い出す前に、『前に数人彼氏がいてそれなりの経験がある』キャラを演じてしまったのだ。高校生になって急に色めきだした周りの子たちに遅れを取りたくない強がりがそうさせたのだろう。そんな擬態なんてすぐボロが出るのだからやめておいたほうがいいと今になって後悔しまくっていた。

「でも…相手も初めてだって言ってたし…初めてのキスがうまくできなかったらダサいじゃん……」
「…そういうのもいいじゃん…」

 ああ、こういう発言が出てくるあたり、安定は大人だなあ…。私たちは今まで恋話とかあんまりしない仲だったのだけど、絶世の美少女で運動神経もよく、頭の回転も早く、性格も明るく人懐っこい人類の理想みたいな安定が小学校時代からモテまくっていたのは親友の私がよく知っている。高校生になってますます魅力の増した彼女はとうにサクッと大人の階段を上っていることだろう。なんだか差を見せつけられたみたいで悔しくなってしまう。

「ねーお願い。キスのひとつくらい減るもんじゃないでしょ。私、安定にならファーストキス捧げちゃっていいと思ってるんだよ」

 安定はもともと大きな瞳を真ん丸に見開いた。深い青色がかった目はとっても綺麗で、吸い込まれそう。安定は本当にかわいい。
 そんな彼女はなぜか頬を赤く染め、私の手首を掴む。

「ふーん。後悔しても知らないからね?」

 いきなりぐっと近づいた顔に、自分から誘ったといえびくっと体が硬直した。女の子相手でも真正面からこんなに近づくことはあんまりない。

「あの、安定さん、お手柔らかに」
「まずはね、口を閉じて、目も閉じる」

 なんてことだ、すでに安定先生の授業は始まっている。

「えっ、む、むぐ…」

 馬鹿正直に言う通りにした私の間近で、安定の笑う息を感じた。心拍数が跳ね上がる。今になってちょっとやばい気がしてきた。

「そしたら、唇を当てる」

 まぶたを閉じた暗闇の中で、耳にくすぐったい安定の声音がぞわぞわと侵食してくる。ビビって体を引きそうになったところ、温かい指で顎を押さえられてしまう。逃げられない。唇のすぐそこに、安定の湿った体温を感じる。マジでKissする五秒前である。もはや緊張のあまり体が動かない。
 固く目を閉じてどのくらい待っただろうか。ぷに、と柔らかい感触が唇全体に伝わった。安定の唇が私の唇に触れているのだ。頭がかあっと熱くなって、どくどくと沸騰するみたいな血流の音を感じる。

(あ……柔らか…、あったかい……)

 ただ触れているだけのキスだったけど、安定の唇のつるつるとなめらかな感触を感じる。触れ合う部分から体温がじわじわと伝わってくる。というか、息を、どうしたらいいんだろう。顔が近すぎて呼吸ができないんだけれど。苦しくなってきた。体が熱い。
 と思っているとぱっと顔が離れる。さっきまで塞がれていた口が自由になり、ひゅっと咄嗟に息を吸い込んだ。
 ばくばくと胸が鳴ってしまう。目の前の安定の顔を直視できずにうつむくと、また彼女が笑う気配を感じた。

「……これがキスだよ。どうだった?」

 おそるおそる視線を上げる。驚いたことに、余裕たっぷりだと思っていた安定も真っ赤になって目を潤ませて私を見ていた。そのあまりの妖艶さに目眩がしそうになる。こんな表情見たことない。
 つややかな薄い唇を半笑いの形にしてこちらを見つめる安定に、鼓動が早まるばかりで答える言葉が出てこない。硬直したままの私に、彼女はふと心配そうな口振りになった。

「ねえ。やっぱり嫌だった?」

 私は慌てて乾いた喉を無理やりこじ開けた。

「う、ううん! ちょっと、びっくりしただけ……」
「自分からしてほしいって言ったくせに」

 安定はおかしそうにくすくすと笑う。いつもの笑顔に戻った彼女を見てほんの少し安心した。けれど、さっきまでの妖艶な表情は脳裏にこびついて離れなかった。
 私の親友は、男の前ではこんな顔をするのか。と思ったら、悔しさみたいなものが胸にこみ上げてきた。安定のことは私が一番よく知っているはずなのに。私に知らない表情があることなんて許したくない。あれ、これってすごく醜い独占欲なのかもしれないな。

「こんなので動揺してちゃ、本命とキスなんてできないよ」

 なんだかその後は緊張が続いたままで話にならなかった。早々に自宅へ帰った私とは対照的に、安定はけろっとしていて、それもまた不満感をあおった。
 お帰り、と声をかけてくれたお母さんの顔もまともに見れずに、ベッドに倒れこむ。ぼーっとした頭の中で、柔らかくて温かい安定の唇の感触を何回も反芻した。気づいたら無意識のうちに自分の唇を指でぷにぷにといじっていて、私はひとり赤面する。

(なんか…すごいことをしてしまったんじゃないか)

 親友とキスしてしまったという事実が、これまでの私の日常をガラガラと崩壊させていく。ような気がした。
 そしてあの時唐突に沸き上がった、行く先のない嫉妬心。その理由を突き止めてしまったら本当になんだか関係がおかしくなってしまう気がして、私は知らないふりして目を閉じた。




 あんなことがあった翌週の休日、私は安定とふたりでカラオケボックスにきていた。
 会ったらドキドキして顔が見れない! と思っていたけれど案外安定がふつうだったので私も落ち着いて振る舞うことができた。

「でもさあ、良かったの? 彼氏と遊ぶんじゃなくて僕との約束を優先しちゃってさ」

 備え付けのパネルをピピッとタッチしながら安定が言う。

「う、うん! だって彼氏とは学校で毎日会ってるしさ…」
「…………ふうん」

 なぜかつまらなそうに鼻を鳴らした安定に、なにか機嫌を損ねるようなことを言ってしまったかなと思って内心青ざめた。困っているうちに軽快な音楽が流れてきて、安定がマイクを手渡してくる。振り向いた拍子に揺れたポニーテールからいい匂いがした。

「はい。一緒に歌お」
「うん…」

 楽しげに歌う安定の横顔を盗み見て、心底可愛いなあと思う。私はこんな美少女の隣にずっといたのだ。いま、高校が別だから学校で安定の隣にいられないことをとても悔しく思った。

「ところで彼氏さんとはうまくいってる?」

 しばらく歌ったあと、喉を休めるためにジュースを啜りながら彼女が問う。私は嫌なかんじにドキッとした。なんでそんなこと聞くんだろう…と思ったけど、近況を尋ねるのは当然のことかと思い直す。

「うん…まあ」
「あれ、なんか嬉しくなさそうだね」

 実際、嬉しくなかった。
 本来なら初めて恋人ができた幸福感に有頂天になっていてもおかしくないのだが、私はその男のことがちっとも好きじゃないような気がしていた。
 いや、確かに、付き合う前までは好きだったし、付き合うことになったときは嬉しいとすら思っていたのに。いざ恋人同士という関係になったら違和感ばかり感じてしまう。私の隣に男がいるのが不自然なかんじだ。
 だって私の隣は、安定の特等席なのだから。

「うーん……。なんか…慣れない」
「まだ一週間じゃん。そういうものじゃない?」

 肘が触れ合う距離に安定がいる。柔らかい女の子の体。私にはこれがしっくりくる。男の固い腕には触る気になれない。なんだろう。肌に触れられるような近い距離から異性に好意を向けられているっていうのが、気持ち悪い。おかしいな…私はずっと彼氏が欲しかったのに。
 ひとり思案を続けていると、安定がにっと人の悪い笑みを浮かべた。

「ねえ、ところで、もうしたの?」

 腹に一物あるその笑顔に嫌な予感がした。

「……なにが?」
「こないだ練習したじゃん。キスだよキス」

 この間のことがいっぺんによみがえってきて頭を抱えたくなった。

「してないよ!」
「えーせっかく練習したのに」

 私の顔がどんどん熱くなる一方、安定はにやにやとさらに笑みを邪悪にする。ずい、と急に彼女が体ごと向き直ってにじり寄ってきたので、私は仰け反った。

「じゃあさ。もっと深くて、心まで通じるようなキスがあるって知ってる?」
「………なに、を」

 なにを言っているの。と続けようとした言葉が張り付いて声にならない。

「教えてあげようか」

 安定の瞳があの時みたいに妖しく、熱っぽく光る。その視線と同じくらいに熱い手が、私の頬を覆った。
 なにをされるのか見当がつかないほど無知ではなかった。駄目だと牽制するべきだと頭では分かっていたのに体は動かない。むしろ近づいてくる彼女を受け入れるかのごとく目を閉じる。
 安定が笑う。あの柔らかな感触が唇に伝わった。触れ合う部分から溶けるような喜びが全身に流れていく。しばらく触れ合うだけだった唇を軽く吸われて、唇の粘膜を軽く舌先でなぞられる。体内に他人の一部が入ってくる、くすぐったいような感覚にびくっと背が震えた。唇の裏を舐めるだけだった舌が伸びて、ノックするみたいに閉じた歯列を小突く。安定のちいさな舌。
 まぶたの裏が白熱するみたいにちかちかする。ちゅぷ、と唇にかぶりつかれた瞬間にこれはまずいと判断して無理やりに引き離した。
「やめて」と安定を睨みつけて口を開こうとした瞬間、濡れた唇を光らせながら目尻まで赤く染めとろんと蕩けた顔を見て面食らった。
 なんでそんな顔をしているの。

「…ごめん」

 見てはいけないものを見た気がして思わず目をそらして謝罪してしまう。安定はハッと慌てて姿勢を伸ばし声を張る。

「あは、ごめんごめん、やりすぎちゃった」

 乾いた笑い声は不自然だったが少なくとも怪しげな雰囲気は霧散した。
 カラオケボックスの照明に照らされた安定の瞳がうるうると涙ぐんでいるのは酸欠のせいかそれとも別の理由なのかは判断できなかった。



 安定は絶対私のことをからかって遊んでいる。あの日から安定のことが頭に浮かばない日はなかったし彼氏と一緒にいても少しも楽しくなくてむしろ嫌悪感ばかり募るので早くも破局まで秒読みである。もっとも腹が立つのはこんな仕打ちを受けてなお安定に会いたくてたまらない自分の心だ。ああもう苛々する。しつこく送られてくる彼氏からのラインも安定からのラインも既読をつけていない。私は初彼氏どころか長年の親友までいっぺんに失ってしまうのかもしれない。
 休み時間、机に伏して寝たふりをして腕を睨みつけているとポロンと携帯が鳴った。

安定『今日両親留守だから、泊まりに行くね』

 はぁ? このタイミングで。嘘だろうと固まったまま画面を見つめているとさらに続けてメッセージが送られてくる。

『うちの母から君のお母さんへお願い済みだから(^-^)☆』

 頭を抱えた。両親同士が仲が良いというのも考えものだ。安定が泊まりに来るのは珍しいことじゃない。安定専用の布団すら用意してしまうくらい我が家の生活に馴染んじゃってる。
けれど今回はわけが違うんだ。一体どういう神経をしているんだろう。あんなことをされておいて同じ部屋で眠れるわけないじゃないか。それとも変なふうにドキドキしたり不安定に揺れ動いたりしているのは私一人だけなんだろうか。ものすごく癪だ。
 画面には別の人間からのラインも溜まっている。ずっと連絡を取っていない彼氏である。クラスの違う彼とは廊下や帰り道ですれ違わないように細心の注意を払っていた。
 通知に表示されている最新の言葉は『今日会えない?』だ。
 私は少しだけ考えた後、そのトークを開いた。




「久しぶりのお泊りだなあ」

 我が家にしては少々豪華だった夕飯をたいらげてから、安定はごく当然の顔をして私の部屋のベッドに腰かけている。
 なぜか機嫌の良い彼女と目を合わせたくなくて、私は下を向いて着替えの用意をしていた。

「ねえ、今夜なにする? 僕ねボードゲーム持ってきたんだ。二人で出来るやつだよ」

 ベッドに肘をついて無邪気に笑いかけてくる姿にブチっとなにかが切れた。

「あのさあ。迷惑なんだよね」
 
 自分でも驚くほど冷たい声が出て、部屋の温度が数度下がるのを感じた。
 安定は真ん丸な目を見開いている。

「私、今日の放課後彼氏と会ってたんだけどさ。安定がうちに来る予定がなければ夜まで一緒にいられるはずだったんだよね」

 ピシ、と明らかに彼女の周りの空気が固まるのを感じた。苛々する。もっと傷ついた顔が見たい。みるみるうちに血の気が引いていく安定はうつむいて、ごめんと呟いた。

「そっか、彼氏さんとは上手くいってるんだね」

 一瞬の葛藤の後にすぐ親友の顔を取り戻した彼女はしおらしく微笑んだ。

「まあ、安定のおかげでアレはちゃんとできたから、感謝してるけど」
「……なに?」

 すぐにその仮面は剥げる。思わず問い返したはいいが露骨にひそめられた眉が話の続きを聞きたくないと物語っていた。シーツの上に置かれた指が強張っている。聞きたくない聞きたくない。今にも耳を塞ぎたそうな安定に

「キスだよ」

 と言い放つと、思ったよりその言葉の威力は絶大だったようで、ブルーの瞳は凍りつきこの世の終わりのような色になった。

「…へえ、」
「深いのは初めてだったから緊張したな。でもあんなのやっちゃえばなんてことないね。キスなんてたいしたことじゃないからさあ、安定も軽い気持ちで私にキスしたんでしょ」

 吐き捨てるとしばらく沈黙が続いた。
 口の中に後味の悪い罪悪感が込み上げてきた私は背中を向けてカーペットの上に腰を下ろす。
 ギィ、とスプリングが軋んで安定が立ったのを感じた。

「ねぇ、どこまでしたの?」

 涙交じりの鼻声に思わず振り返る。安定はふるふると肩を震わせて涙を溜めながらこちらを睨んでいた。

「僕とキスした口で男とキスしたんでしょ。舌も入れたんでしょ。そのあとは? 胸は触られた? 服の下に手を入れられた? どこまで肌を見せたの? もうセックスしたの?」

 ごくり、乾いた喉が鳴る。怒涛のように浴びされる質問に気圧された。鬼気迫る様子で肩を鷲掴みにしてきた安定に何の反応を返すこともできない。
 気がついたら床に背中がぶつかっていて天井に彼女の顔があり、怒りのためかふうふうと荒くなった息が顔に当たる。

「答えてよ!!!」
 
 急に張り上げられた怒声にびくりと肩が跳ねる。
 止まりかけた思考を必死に回転させていると、目の前の充血して潤んだ瞳から生温かい滴が落ちてきた。

「僕が、どんな気持ちでいたか、知らないでしょ。友達とキスなんてするものじゃないって、いくら僕だって分かってるよ…! それを、君は、君は…たいしたことないとか…軽い気持ちでしたなんて…! 」

 震える指が強い力で私の襟元を掴んだ。
 涙でぼろぼろの安定の瞳には暗い決意が浮かんでいる。

「男に汚される前に僕がぜんぶ奪ってやる」

 首を絞められるのかと思ったがそうではなかった。安定は嗚咽交じりにわななきながらシャツのボタンを外していく。服の間に滑り混んできた熱い手の感触が鮮やかで生々しくて脳天を貫かれたようにハッとした。

「安定! 待って」

 細いが、力強く強張った指に制止をかける。
 安定の目が私の目を見る。震えているのは怒りのせいだけでないのだと理解していた。

「嘘。ごめん、今のぜんぶ、嘘だから」
「……は?」
「彼氏とはなんにもしてないの。ごめん。会ったのは本当だけど、別れたいって言ってきたの」
 
 数秒、見つめあったまま沈黙。ごめん、と再度つぶやくように繰り返すと、とたんに脱力した指がへなへなと床に置かれた。

「はぁ…?」

 ごめん安定。私の言葉でそんなに怒ったり傷ついたりしてくれるとは思わなかった。私ばっかり振り回されているのが悔しくて、ちょっと突き放して喧嘩でもしてやろうと思って吐いた馬鹿馬鹿しい嘘なんだけど、でもその泣き顔や独占欲が嬉しくていま私の心は妙に浮き足立っている。
 これではっきり分かった。

「私、安定のことが好きみたいって、気づいたの」
「……うそ、」
「嘘じゃないよ。安定だって、私のことが好きなんでしょ」

 のしかかったまま固まっている安定の頬に手を寄せる。発赤した肌は熱くて熱くて私の体温まで上がってしまいそう。すこしぬるくなった涙のあとをなぞると、彼女はさらに真っ赤になって耳まで染まった。

「あ……あぁ〜〜」

 正気に戻ったらしい安定は今さら自分の発言と行動の大胆さに気づいたようだ。さっきまで止まっていた涙がまた溢れてくる。この涙はきっと安堵のせいだろう、私を睨みつける目つきからは毒気が抜けている。

「ばっ…かじゃないの?! なんでそんな嘘吐くんだよ!? ああ〜恥ずかしい〜嫌だ死にたい! 君なんかもう知らないよ絶交だ!!」
「待って、本当にごめんって…! だって、安定がキスしてくるのは私をからかってるんだと思ったんだもん…!」
「そんなわけないだろう?! 僕、今までの人生でキスなんてしたことなかったんだよ?! 彼氏がいたこともないよ! だって…ずっとずっと君のことが好きだったんだから!」

 大声で放たれた告白の言葉がしんとした部屋に響き渡る。
 息を荒げる安定が私を見下ろす。目も耳も赤く染めて涙でぐちょぐちょになった格好悪い顔。何年もそばにあった綺麗な瞳。それがこんなにも愛しく感じたのは初めてだった。

「ずっと、私を好きでいてくれたんだね」
「…うん」
「遅くなっちゃった、けど、私も安定が好き」

 彼氏には悪いことをしたと思う。けれどいま、すごく嬉しい。心の底から爪先の細胞に至るまで喜びが充満していく。
 高鳴る胸をおさえながら、そっと彼女の頬を撫でた。きっと、私がドキドキしているのと同じくらい安定もドキドキしている。

「ねえ、深くて、心まで通じるようなキスがあるって言ってたよね」

 じっと見つめ合う目線に自然と熱がこもる。

「教えてほしいの」

 ごくりと安定の白い喉が動く。
 柔らかな桜色の唇に向かってささやいた。

「キスを教えて」

 一から十まで教えてもらえるのならばあなたがいい。
 まばたきと共に長い睫毛が揺れる。
 何度かそれを見たあと、近づいてくる距離に目を閉じた。

 きっと私たちはいま世界でいちばん幸せだって、泣きたいような気持ちで思ったの。

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