その日、本丸は大騒ぎだった。
厨では料理の得意な刀剣たちが腕を振るい、大広間では短刀たちが折り紙で熱心に飾りものを作っている。

「主はまだ?」
「あと半刻ほどでくるはずだよ」
「正午ごろに『だうんろーど』するって呟いてたからね」

作業の合間に楽しげに声を交わす。はしゃいでいるのは幼い刀剣たちだけではない。太刀や大太刀、薙刀に至るまで、浮き足立つ気持ちを抑えられずに喜色をあらわにしていた。
僕は加州清光と一緒に本丸の飾り付け、もとい、でこれーしょんをしている。広間の壁いっぱいに垂れ幕を取り付ける重役だ。

『祝! とうらぶポケット記念』

今日は主の時代で3月1日。
来たるとうらぶポケットの解禁日である。
僕も清光も…いや、本丸のみんながこの日を心待ちにしていた。朝からうきうきしてしまって、いつも小競り合いばかりしている清光に向ける顔も自然と笑顔になってしまう。

「安定、そっちどう? 傾いてない?」
「大丈夫だよ」

無事に垂れ幕を飾りつけ、僕たちはご機嫌でそれを眺める。隣に立つ清光は今朝、髪と爪の手入れを入念に行っていたからいつもよりぴかぴかだ。僕はいつも通りの格好だけど、これからずっと主と一緒にいられると思うと勝手に桜が飛び立してくるので体中花びらまみれだ。清光もふわふわ花びらを散らしながらご満悦で垂れ幕を見上げている。

「いーかんじだね。厨のほうもそろそろ仕上げじゃないかな。様子見に行こっか」
「うん」

いったん部屋を出て清光と連れ立って廊下を歩いていると、庭から鷹揚な声がかかった。

「やあ、部屋の飾り付けは終わったか?」

木にモールを巻きつけていたらしい鶴丸さんがこちらに駆け寄ってくる。彼もはしゃいでいるらしく白い頬を上気させてにこにこしていた。

「うん、終わったよ! 鶴丸さんも庭の飾り付けありがとう」
「いやいや、楽しみで落ち着いていられなくてな」

目を細める鶴丸さんからは本当に楽しみで仕方ないというのが伝わってくる。

「外の世界にはどんな驚きが待ち受けているんだろうな!」

ふわっと風が吹いて、庭の桜の花びらと僕らの花びらを飛ばしていく。景趣は春。この日を迎えるにふさわしい晴天だ。
僕たちは顔を見合わせて笑う。主の世界。これからは『すまほ』の画面から主の生きる世界をのぞける。主にいろんなところに連れて行ってもらえるんだ。

その時、ぷつりと本丸の空気が変わるのを感じた。

「始まった…!」

清光が空を見上げる。僕らは主が本丸に接続すると空気の変化を感じるので、主のろぐいんが分かるようになっている。けど、今回のろぐいんはいつもと違った。長くて重い。だうんろーどをしているからだろう。
長いだうんろーどが終わる前に僕らは玄関に向かって駆け出す。やってくる主を迎えるためだ。いつもなら一番先にたどり着いた刀剣が『ろぐいんぼいす』を言っていいという約束なんだけど、今日だけは違った。
僕たちが玄関にたどり着くのをみんなが待っている。

「きたきた…」
「早く早く! もうだうんろーど終わっちゃうよ!」
「初期刀の出番だよ!」

息急き切って駆けつけた清光の背をぐいぐいと押して、みんなが玄関先に追いやる。清光はちょっとばつが悪そうな顔でみんなを振り向いたが、頬は緩んでいて嬉しさは抑えられないみたいだった。ちらっと僕のほうにも視線をやってきたので、後押しするように黙って頷く。清光は照れたように頷き返した。

「みんなありがとね。じゃ…加州清光いっきまーす!」

ぴかぴかに磨いた髪と爪を輝かせ、一張羅をくるんと翻し。
清光は主に向かって満面の笑みを送った。

「あるじ! 可愛くしているから、大事にしてね」

俺たちみんなのこと、と付け加える。きっとその台詞は主には届かないんだけど、清光は気にせず言葉を続ける。

「刀剣乱舞、始めます」

読み込みが終わる。重い空気は晴れ、今度は主を迎え入れる緊張感で張り詰めてくる。

「じゃ、はじめよっか」

とうらぶポケット、はじまります。
ろぐいん完了。主が入ってくると同時に僕たちの視界が色を変えた。




***



スマホの中に愛しの刀剣男士たちがいる。かわいい…かわいい…。私はとりあえず近侍の顔を指で撫でまくる。今まではパソコンで操作していたので近侍をつつくときはマウスでクリックしていたのだが、これからは指で直に触れるんだ…。いや、単に液晶を触っているにすぎないんだけど、それでも感動は大きい。本当ならすぐに出陣してみたいけど今は昼休みであまり時間が取れないからダウンロードして終わりのつもりだった。

「またあとでね」

声をひそめて囁き、近侍をナデナデしてからアプリを落とす。
携帯をポケットにしまって、私は仕事に戻った。


***


ぱこそんの中からすまほの中へ移住して、はや一週間。
初日の宴会の熱も冷め、ようやく僕らは落ち着いてきた。
引越し先のあぷりの中は狭くてちょっと息が詰まるけど、画面越しに主のいる空間をのぞき見できるからすごく楽しい。暗いところでわさわさと揺れ動く時は鞄の中。柔らかいぽけっとの中で主の真面目な声が聞こえて来る時はお仕事中だ。たまに主が楽しそうに文字を打っていることがあって、そういう時は『めーる』だか『らいん』だかをしているらしい。誰とやり取りしているんだろうと内容が気になるんだけど、清光に「それは主のプライバシーだからのぞき見しちゃ駄目」と釘を刺されている。
基本的に僕らはあぷりの中の本丸で生活しているんだけど、その気になればあぷりが落とされたあとにこっそり這い出てすまほの中を動き回ることができる。すまほの中には色んなあぷりがあって、探検にも時間潰しにも事欠かない。写真ふぉるだに入ってみたら、主が撮ったらしい風景やご飯の写真がたくさんあって驚いた。今の時代には僕の見たことないものがたくさんあるんだ。他にも、主とご家族やご友人が一緒に映っている写真があって、楽しそうな主の笑顔を見ていると幸せな気持ちになるんだけど、一方で心が少し痛くなる。僕はげーむの中のでーたにすぎないから、主に存在を認識してもらえることもないし主と一緒に写真に写ることもできない。

せめて僕らが意志を持って動き回っていることに主が気づいてくれたらなあ。


「ねえねえこのアプリなんだと思う?」

一緒にすまほの中を探検していた堀川国広が指をさす。それは水色の背景に白抜きで鳥の絵が描かれているものだった。

「なんだろ…かわいい柄だね。入ってみてもいいかなあ」

興味があった。めーるとらいん以外は清光に駄目って言われてないし、ちょっと入ってみようかな。堀川も同じことを思っていたようで、顔を見合わせて、頷く。
えいっと開いてみると、たくさんの文字の羅列が飛び込んできた。

「わーなんだかいっぱい書いてあるね! これって主が書いたのかな? どれどれ…」

一番上にあった文章をのぞきこむと…

「なになに…『やすさだくんのポニテもぐもぐ』」
「『おいしいなぁ〜〜〜(;;)』……??」

まさか自分のことが書かれているとは思わなかったので、僕は画面を見つめて絶句する。僕のぽにて…? 髪型のことかな?
状況の掴めない僕とは違い、堀川は慌ててあぷりを閉じた。

「こ、これは主さんのプライベートの話だから見ないほうがいいかもね!」

なにがぷらいべーとなんだかよく分からなくて僕は首を傾げていた。



***



私の推しは大和守安定だ。とうらぶポケットで遊ぶようになってからも安定を近侍にしていることが多い。最近の楽しみは、仕事の休憩中にこっそりアプリを開いて近侍の安定をナデナデすることだ…。かわいい…。僕を愛してくれるのかい? と聞かれるとつい愛してるよ!! と答えたくなってしまうほどには重症である。
もちろん他の刀剣男士も大好きだ。嫌なことがあってもポケットの中の彼らに会えば元気が出る。とうらぶポケット万歳。
ただ最近ちょっと気になることがある。勝手に他のアプリが開いていたり、起動が遅かったり。もしかしてとうらぶポケットの容量が大きいから負荷がかかっているのかな。
まあ、ただの思い過ごしかもしれないから気にしないでおこう。



***



ピピピ、と電子音が鳴る。僕たちは目を覚ました。
すまほの目覚まし時計が鳴っているんだ。いつもより早い時間だなあと思いながら僕は眠い目を擦った。主、今日は早起きするのかな?
ベッドに横になっている主は、もぞもぞと身動きしたあとすまほの画面を押して目覚ましを消す。そのまま起きるのかと思いきや、また布団に潜り込んでしまった。

「ねぇ今日ってさ、主、朝早く出なきゃいけないんじゃないっけ?」

清光が心配そうに暦表…かれんだーを調べ始めた。そこには確かに、朝○○時までに出勤! と赤字で書いてある。

「本当だ! どうしよう、主二度寝しちゃったよ」

僕は画面越しにスヤスヤ寝ている主を見つめる。主、主と一生懸命呼びかけて画面を叩いてみるけれど気づかない。起きる気配がないぞ。困ったなあ…。

「そうだ、目覚ましを鳴らせばいいかな?!」

名案。僕と清光は目覚ましのあぷりを開いて飛び込み、手当たり次第に目覚ましの効果音をたっちしまくった。

「あるじー! 起きてー!!!」

ピピピ、とかジリジリジリ、とかゴーンゴーンとか、統一性のない騒音が部屋中に響き渡る。うるさい。本丸にいた刀剣たちも起き出してきて、何事だと血相を変えて駆け寄ってくる。みんなごめんね! でも主がお仕事に遅刻したら困るから、僕と清光は画面をたっちしまくってさらなる騒音を響かせる。するとついに主がもぞもぞと動き始め、うーんと呻き声を上げてすまほを手に取った。

「うるさい…」

ぶんぶんと頭を振って起き上がる。寝起きの主は安眠を邪魔された怒りで恐ろしい表情をしていたので僕らはちょっと震え上がった。

「あれ…私こんなにたくさん目覚ましかけたっけ…? まあいいや…無事に起きれた…」

大きなあくびをしながらベッドから降りる主。良かった良かった。僕と清光はほっと胸を撫で下ろした。
叩き起こされたみんなはぶつくさ文句を言っていたけど、主の生活のさぽーとをするのも僕らの役目! これからはみんなで協力して主のお手伝いをしていこうっていう話に結論付いた。




僕らがすまほに来てもう一カ月。外はすっかり暖かくなってきたようだ。主の着る服も薄手のものに変わっていたし、画面から見える外の景色も春色に色付いて見える。すまほの中の気温は変わらないけど、天気予報あぷりに表示される気温はだんだん上昇している。
その日、主は仕事がお休みのようだった。いつも乗る電車のかわりにバスに乗ってどこかにお出かけしていく。途中でお友達と合流したらしく、楽しげに談笑する声が聞こえた。
どこに行くんだろう…と思っていると主がすまほを取り出したから画面越しに外の景色が見えた。抜けるような水色の空に薄ピンクの花弁が舞っている。

(桜だ…!)

そこは公園らしかった。たくさんの人間で賑わっており、地面に腰を下ろして桜を楽しんでいる人や熱心に写真を撮る人がいた。

「清光! 見てよ! 本物の桜だよ!」

清光の襟巻きを引っ張って画面の前に連れてくる。はしゃぐ僕に「桜なんて本丸でいつも見てるでしょ」と彼は呆れ顔だが、そう言いつつも若干嬉しそうに主と同じ空と桜を見上げている。
主とお花見に来ているんだと思うと嬉しくて、画面を叩き破って外に出たくなるほどだった。ああ本当にそうできたらどんなにいいだろう。

画面に引っ付いて外を眺めていると不意にかめらが起動した。視界いっぱいに桜の枝が映る。主は写真を撮るらしかった。
しかし、急に画面が反転する。

「わわわっっ」

今度は視界いっぱいに主の顔。画面にへばりついている僕と清光も映ってしまっている。

「なに、これ」

びっくりしている僕に、清光はやけに冷静な口調で答える。

「あー自撮りだね。主とお友達で一緒に映るつもりなんじゃないかな」

ああ、なるほど。確かに主とお友達は桜の木を背後に立ち、うまく花が入るようすまほを調整している。
それにしてもどうしよう。僕らはこのままだと画面に一緒に映ってしまうよ。いったんあぷりの中に戻ったほうがいいかな。
僕がその旨を伝えようと口を開いた時、清光はにやりと不敵に笑った。

「ねえ、俺らも一緒に映っちゃおうよ」
「ええ?」
「いーじゃん、どうせ俺らの姿は主に見えないんだしさ。主とお花見に来た記念ってことでこっそり映っちゃおうよ」

それは魅力的な提案だった。確かに僕らの声も姿も主には認識できない。僕らが一緒に写真に映っても、主の目では異変に気づくことはないだろう。僕は思い切ってうなずき、清光の横に並んで画面の隅にちょこんと顔を出した。

「はい、チーズ!」

主のかけ声が耳に届く。
僕は二本指を立てて『ぴーすさいん』でそれに応えた。



***



「……あれ?」

撮ったばかりの写真を点検してみると、少々違和感を感じて思わず固まる。
どうしたの? と一緒に映った友人が手元をのぞきこんできたが、友人は特におかしなところを感じなかったらしく、どこも変じゃないよと言った。

「いや、ここになんか薄く色がついてる気がして」

私は自分の顔のやや後方を指さす。そこにぼんやりと赤と青の光の玉のようなものがある気がしたのだ。
しかし友人は不思議そうに首を傾げた。

「気のせいじゃない? そうは見えないよ」
「うーん…そっかあ」

言われてみると錯覚のような気もする。桜を見に来て心霊写真だなんて縁起でもないので、気にしないことに決めた。
くすくす笑う声が聞こえたような気がした。


***


日中、主の職場はちょっとした揉め事があったみたいだった。深刻そうに話し合う声が聞こえて、主は困ったように何事かを謝っていた。主の上司らしい人物がねちねちと小言を言っていたので僕らは苛々した。

「貴様! 俺の主に無礼な口を聞くな!!」
「主! そんな奴僕が斬ってあげるよ」

血の気の多い長谷部や歌仙が画面越しに刀をチラつかせて怒鳴っている。さすがの僕もこれには慄いた。

「大将ー! やっちまえー!」
「大丈夫…あなたが手を汚すことない。僕が復讐してあげるよ…」

短刀たちも物騒だ。主のぽけっとには凶器がたくさん入っているよ。心強く思ってね。
けれど、どんなに僕らが主の代わりに怒っても励ましても主に声が届くことはない。結局主はその日一日落ち込んでしまって、家に帰ってきてからもとうらぶにろぐいんすることなく寝てしまった。

「うーん…。どうにかして主を励ましてあげたい…」

僕らは大広間に集まって頭を捻っていた。
所詮げーむの中の登場人物にすぎない僕らは概念的なでーたとしてしか存在していないから、主に目視されることも声を聞いてもらうこともない。げーむの中で何かを発言しても、あらかじめ決められた「ぼいす」しか主の耳には届かないようになっている。なんとも不自由な存在だ。心のないただのぷろぐらむだったら、こんな苦しい思いをしなくても済んだのだけど、なぜか魂が生まれてしまったのだから仕方ない。
不意に、僕の隣で悩みこんでいた清光がぱっと顔を上げた。

「メール! メールを起動させて主にメッセージを打てばいいんじゃない?!」

おお、と一同が感嘆の声を上げる。すまほの中に入っている機能なら僕らにも扱えるのだ。

「それは良い案だ。では何と書こうか」
「一人一言ずつ書くかい?」
「いや、あまり長々と書くと主が気味悪がるかもしれないよ。主は僕たちのことをただのゲームキャラとしか思っていないんだから、キャラからメッセージなんか来たらびっくりするだろう」
「確かに。気味悪がられて本丸から足が遠退いたら嫌だもんな。ましてやアンインストールなんかされたらたまったもんじゃない」
「じゃあ短い言葉で簡潔に書きましょう」
「なんて書けばいいかねえ…」

再びみんなが頭を抱え込んでしまう。僕も長いこと悩んでいたけど、結局あるところに答えがたどり着いた。

「こういう時はさ、一番伝えたい気持ちを書けばいいんじゃない?」

みんなが僕のほうを向く。

「みんな、主が好きでしょ? 好きだから応援したいんだよね? だったら…」



***



いつも通りにアラームが鳴る。もっと寝ていたいとごねる体を無理矢理動かし、けたたましく鳴るスマホを手にとって起き上がる。
アラームを解除。ホーム画面に戻る。と思いきや、なぜかメールが起動していた。

(あれ…? 寝る前にメールいじってて、落とさずに寝ちゃったのかな)

送信ボックスの中、下書きのメール画面が表示されている。そこには見覚えのない本文が連なっていた。
書いてあるのはほんの数文字。しかし私に衝撃をもたらすには十分だった。

「なにこれ…?」


『 ❤️主❤️
だいすき
がんばってね 』


こんな文章打った記憶がない。

(主なんて……まるで刀剣男士みたいじゃないか)

寝ぼけて刀剣男士になりきってメールを打っていたのだろうか…。もしそうだったら私は相当頭がやられている。仕事で嫌なことがあったとはいえ現実逃避もいいところだ。
寝ている間に部屋に入ってきた誰かのいたずらとも考えにくい。

(もしかしたら本当に刀剣男士から?)

信じられない話だけど、馬鹿みたいな話だけど、刀剣男士が打ってくれた私へのメッセージにしか思えなかった。
気味が悪いと思ったのは一瞬で、メールの本文の可愛らしさにほんのりと心が温まってくる。昨日から抱え込んでいた辛さがふっと軽くなった。

「ありがとう」

宛て先に自分のメアドを入れて送信する。数秒後、受信した同文のメールを保護しておいた。
不思議なこともあるもんだ。


***


最近主は忙しいらしい。あまりあぷりを起動してくれなくなった。
本丸にろぐいんしてくれなくても、僕らはすまほの中から主の様子を見ているから寂しくはない。寂しくはない…けどやっぱりたまには帰ってきてほしいよ。
主の職場は忙しい時期らしかった。走り回っているようでぽけっとの中ですまほがブンブン揺れる。僕たちも揺れる。指示を飛ばし合い、他の職員と一緒に熱心に働いているようだった。主は夜遅くまでお仕事に励み、帰ってくると疲れてすぐ寝てしまうようになった。

(今日も来てくれなかったなあ)

主の帰宅後、しばらく本丸で待っていたけど結局主は早々に灯りを消してベッドに入ってしまった。
げんなりしながら廊下を歩き、自室に戻ろうとしていると向こうから清光が歩いてきた。
彼は僕を見るとニヤニヤ笑って足を止める。

「なんだよ」
「安定ー。お前さ、最近主が来そうな時間になると玄関前でうろついてるよねー」

ぎくっとして動きが止まる。

「…べ、別にそんなことないよ」
「バレバレだって。お前分かりやすいんだよねー」
「…清光だって主が来なくて寂しい寂しいって拗ねてたじゃん」
「そりゃ寂しいよ。でも主は俺たちに飽きたって訳じゃないからさ、心配したり悲しんだりはしてないよ」

さらりと言ってのけた清光が何だかすごく大人びて見えてしまった。長年の友である彼に置いていかれたみたいでちょっと悔しくなる。この一年で清光もだいぶ自信をつけたようだった。
彼は訳知り顔で穏やかに微笑む。

「お前だって愛されてるでしょ。主のお気に入りじゃん。心配することないって」
「……そうだね」

主はよく僕を近侍にしてくれるし出陣も任せてくれる。僕が主のお気に入りで可愛がられていることは周知の事実だった。
冗談半分に「僕を愛してくれるのかい?」なんて聞いた当初の頃は、これだけたくさんいる刀剣の中で特別に可愛がられるなんて不可能だと思っていた。でも、いつしかその問答は戯れではなくなっていた。愛という言葉は実感を伴って僕の中に育っていた。

(主は僕を愛してくれるから僕も応えたい)

愛されたら愛されただけ返したいと思う。それが道具としての本性なのか、それとも人の心を得たがためなのかはよく分からない。

「主が次に来た時は僕がろぐいんぼいすを言いたいんだ」

隣に立つ清光が横目で僕を見やる。

「主に『おかえりなさい』って伝えられるのは、僕のろぐいんぼいすしかないから」

ふぅんと清光が気のない返事をする。庭に目を向けると、薄緑の淡い光が飛び回っていた。景趣は夏の夜。闇の中でなお暗い木々や池を背景に、幻想的な光を放つ蛍が浮遊している。

「いーんじゃない? 主も喜ぶと思うよ」

だったらさ、と彼は言葉を続ける。

「主がいつ来てもいいように玄関先で待機しとかないとな。他のやつにログインボイス取られちゃうからね」
「そうだね」

蛍がふわふわとこっちに寄ってくる。主の世界も今は夏。主に連れ歩いてもらうと画面越しにも灼熱の陽光と茹だるような熱気が伝わってくる。毎日雑踏の中を歩きながら半袖で汗を拭う主が、ふとした時に僕たちの顔を見て疲れを癒してくれたらなと願う。

待ってるからね。主。



***


夏も終わりという頃だった。最近は忙しくてろくにとうらぶにログインしていない。パソコンよりログインしやすいアプリになったとはいえ、時間がないとどうしてもやる気にはなれないものだ。
そんな折、趣味でやっているツイッターのアカウントで公式からの情報を入手した。

(ああ、新キャラのイベントやるんだ…)

定期的にあるイベントのお知らせだった。期間限定なので興味をそそられる。ちょうど明日には仕事のほうも大きな山場を越し、一息つける予定だった。
これは久しぶりにログインしてみようかな。

(よし、明日になったらとうらぶ再開しよう)

待っててね、うちのかわいい刀剣男士たち。



***



ぷつりと空気の震える音がする。
懐かしいあの感覚。玄関先でまどろんでいた僕はとたんに跳ね起きた。

(来た……!)

主がとうらぶにろぐいんしようとしている。玄関前で待ち構えていた僕が一番乗りだ。計画通り、ろぐいんぼいすはいただき! 毎日ここで待っていた甲斐があった。
喜色満面で画面の向こうを見つめていると、後ろからドタバタと廊下を走ってくる音がした。

「おーい安定! 俺にも一緒に言わせてよ」
「清光??」

駆け寄って隣に並んできたのは清光だった。彼はにっと口角を上げ、

「俺も主におかえりなさいって言いたい」

得意げにそう言うが、僕は首を傾げた。

「でも、ろぐいんぼいすは僕一人の声しか主に聞こえないと思うよ? そういうふうに設定されてるから」
「分かってるよ、でもいいんだ。お前が主におかえりなさーいって伝えたいのと同じ気持ちなんだよ」
「…そっか。うん。いいよ、清光もこっちに来なよ」

玄関前に彼を誘導し、二人で画面を見上げる。久しぶりに主に会える喜びと清光が僕と同じ気持ちでいてくれる喜びに、心がじんわりと温かくなっていく。

「僕を一番愛してくれる人は誰だろう…」

お決まりの台詞を画面の向こうに投げる。ぶわっと桜が自分から吹き出してくる。長い読み込みが終わり、主を迎える準備が整う。

「刀剣乱舞、はじめました!」

僕と清光は扉に手をかけ、顔を見合わせて微笑んだ。
ガラガラッと勢いよく扉を開け放つ。二人ぶんの桜吹雪が視界いっぱいに舞い踊った。

「主!」
「あーるじ!」

画面の向こうへ。僕と清光は満面の笑顔で精一杯腕を伸ばす。


「「おかえりなさーい!!!」」





久しぶりに来てくれた主に、僕を愛してくれるのかい? と尋ねたところ、主は小さく笑って、

「愛してるよ」

と画面越しに指で頭を撫でてくれた。



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