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庭の紅葉が朝の冷たい風に吹かれて揺れている。すっかり秋めいてきたことだと思いながら私は廊下を歩いていた。
刀剣男士の出陣前は本丸全体にぴりりと緊張した空気が張り詰めており、自然と背筋が伸びる気がする。私は今しがた刀装の在庫を調べに赴き、人数分の予備があることを確認してきたところだった。今回の出陣も無事に終わるようにと祈りつつ玄関に向かっていると、誰かの部屋の前を通り過ぎる。

「…あ」

開けっ放しの障子戸から中が見えた。気を引かれてしまって、まあ開けっ放しだし入ってもいいだろうと許可なく部屋に足を踏み入れる。

「膝丸」

近寄りながら名前を呼ぶと、戦衣装に着替え終わり、腰の後ろに手を回していた彼がぴくりと振り向いた。

「あ、主…! 来るなら一声かけてくれれば良いものを…」

いきなり現れた私に驚きを隠せないようである。見れば、袴の上からコルセットみたいなベルトを結ぼうと四苦八苦していたようだった。

「手伝ってあげようか?」

彼の背に回り、返事を聞くより前に手からベルトを取り上げる。けっこうきつい構造なんだな、これ。苦しくないのかな。カチャカチャと背後で留め具を鳴らしていると、膝丸は気恥ずかしそうに声をひそめる。

「いつまでも子供扱いしないでくれ…母様」

特が二回ついた今となっては、彼はもうすっかり大人の姿になっていた。
ベルトを結び終えた私は立ち上がって彼の目の前に並ぶ。膝丸を顕現してから半年。私の背を追い越し、日々鍛えているために体の厚くなった彼は、どこに連れ出しても恥ずかしくない立派な太刀に成長していた。
きつい印象を与えがちな顔つきだが、私の前では柔和な表情をしてくれるのが愛しい。どんなに大きくなっても私にとっては可愛い子供の一振りに違いなかった。

「格好良くなったね」

手を伸ばして頭を撫でる。昔は見上げなくてもすぐそこに手が届いたのに。
膝丸は頬を染めて目をそらした。

「でも前髪、目に入ったら視力が落ちるから駄目だって言ってるでしょ」

長い前髪を手ですくい、耳にかけてやる。小さい頃から何度も言い聞かせてるんだけどなかなか言う通りにしてくれない。このやりとりも何度繰り返したことか。

「…もう俺は子供ではないのだぞ」

髪をするりと撫でた後、離れようとした手を不意に掴まれた。

「…母様、なぜ最近俺を避けるのだ」

ひたと鋭い眼差しに射据えられて、今度は私が目をそらす番だった。
こんのすけに過剰な接触をしないようにと言われた私は、親離れを促すという名目も兼ねて膝丸との距離を置くように心がけていた。
当初、彼は不満そうではあったが、私は抗議の声が届くより先に出陣の回数を増やし、物理的に対面する機会を減らした。また、敵を屠り戦績を挙げる喜びを感じさせることで刀の付喪神としての本分を思い出してもらい、母に対する幼児じみた執着を和らげようともしていた。膝丸の精神安定には良くないと思いつつも強引な手段を使うくらいしか思いつかなかったのだ。
結果的に彼は昔のように縋り付いてくることこそなくなったが、胸の内で私への不満を募らせていたようである。

「膝丸ももう大人だから。私がそばにいなくても大丈夫でしょ?」

説明もなく急に突き放してしまったため、後ろめたい感情がないわけではない。霊気の混合云々の話さえなければ、たまに甘えてくるのもご愛嬌だと受け入れてあげたかった。

「…貴女にお伝えしたいことがある」

手袋の中で掴まれた手が痛い。なんだか良くない雲行きになりつつあるのを感じて胸の底が寒くなった。

「…なに?」
「この場で申し上げるのは畏れ多い。今晩お時間を割いてくれないか」

返事ができなかった。
握られる手の痛みが徐々に増していく。どうしよう。この要求を受け入れたら決定的に何かが変わってしまうという予感が頭の中でぐるぐると回っていた。
蛇に睨まれた蛙みたいに体が動かない。
その時廊下の向こうから脇差の声が聞こえた。

「第一、第二部隊のみなさーん! 出陣の用意はできましたかー?」

出陣の時間が迫っている。時空間転送を行うために私も行かなければ。
ようやく手の力が抜けた。金縛りから溶けたみたいに体が軽くなる。

「…行ってくる」

低い声で呟き、膝丸は私の脇を通り抜けて部屋を出て行った。


まさかその日の出陣で、偶然出くわした検非違使から髭切を奪い取ることになるとは思いもしなかった。





桜吹雪の中で現れたのは白く儚げな風貌の刀剣男士だった。

「源氏の宝重、髭切さ。君が今代の、」
「兄者ーーー!!!」

勢い良く飛びついた膝丸によって髭切は口上を遮られ、彼の腕の中できょとんとしていた。

「兄者! 会いたかったぞ」
「…ああ、弟だね! わぁ〜会えて嬉しいよ〜」

再会を喜び合う源氏の宝刀を見ながら、私はほっと胸を撫で下ろした。近くで見守っていた短刀たちも安心した様子だった。

「大将、良かったな。兄者のほうまで幼児の姿で顕現してたら二児の母になっちまうところだったもんな」
「ほんと…。無事に顕現できて良かったあ…」

早く顕現してくれ! と大興奮の膝丸から髭切の本体を手渡された時から、この太刀もショタになってしまったらどうしようと考えていた。半年前に比べると私も成長したようで、顕現に必要なだけの霊力をちゃんと送れるようになったようだ。無事に青年の姿で現れた髭切を見て心底安堵していた。源氏兄弟揃って育児するはめにならなくて本当に良かった。膝丸一人でさえ持て余している現状だから、大きな子供ができるのはこれっきりで十分である。

嬉しそうに誉桜をばんばん噴出している膝丸を見ていると、別の方面でもふと期待が湧いた。

(これで私への執着も減るんじゃないかな)

うちの重度マザコンの膝丸でも、お約束通り髭切のことは大好きのようだ。犬だったらちぎれんばかりに尻尾を振り回しているであろう膝丸は、心から兄者の到来を喜んでいるように見える。大好きなお兄さんが来たことで私から髭切へと興味の対象が移るのではないかと少なからず期待した。

「これから膝丸と髭切は同じ部屋でいいよね。膝丸、兄者に色々教えてあげてね」

私の言葉に膝丸はもちろんだと花びらを振り撒きながらうなずき、髭切も主である私に向かってよろしくねえと微笑んだ。




数日後、酒や料理や飾りの用意ができたので、髭切の到来を祝って宴会をすることになった。優しげな風貌そのままの穏やかな性格の彼は皆に歓迎され、周りを刀剣たちに囲まれてにこにこしていた。髭切が皆に受け入れられるのを隣で見ながら膝丸も嬉しそうにしているので、兄弟揃って微笑ましい。
久しぶりに全員が集まって宴会を開くのだから羽目を外そう! ということで明日は休みを取ってある。いつもがんばってくれている刀剣たちに、今日くらいは思う存分飲んで騒いで楽しんでもらいたい。もちろん私も便乗するつもりだ。
短刀たちが円になってトランプ遊びに興じ、広間の奥では脇差や打刀の数人がなにやら声を潜めて雑談をしている(たぶん猥談である)のを遠目に眺めながら、私は次郎太刀に勧められるままに盃を舐めていた。アンタもよくやってるんだから大丈夫だよ〜! とよく分からない励ましの言葉と共に背中をばんばん叩いてくる次郎太刀にお酌をされ、このままのペースでは早々に酔い潰れてしまうと思い始めたところで声がかかった。

「主。少しお話ししてもいいかな」

隣に腰を下ろしてきたのは今夜の主役である髭切だった。熱気のせいか酔いのせいか、白い頬がほんのりと紅潮しており色っぽい。ふわりと揺れた髪から良い匂いまでしてきて思わずドキッとしてしまう。

「せっかく君に顕現してもらったのに、あまりお話しする時間が取れなくてね」

なにせ四六時中弟と一緒にいるものだから、と髭切が苦笑する。次郎太刀が髭切のぶんの盃を差し出たのを笑顔で受け取り、彼は言葉を続ける。

「僕がいない間、弟の面倒を見てくれてありがとね」

おそらく髭切は、兄者兄者とうるさい膝丸の相手をしてくれてありがとうと言っているのだろうが、正直言ってうちの膝丸の世話は『子育て』という次元の話であったので、事情を知らない髭切に私の苦労は推し量れない。私は曖昧に微笑み、とりあえず当たり障りのない返事をした。

「髭切が来てくれて私も膝丸も嬉しいよ。これからよろしくね」

初めてまじまじと見た彼の顔は、膝丸と造形こそは似通っていたが与える印象はまるで違う。兄と慕われるだけの余裕と包容力を感じさせる柔らかな雰囲気があった。
髭切はにっこり笑って肩を寄せてくる。

「弟は君のことがすごく好きみたいだね。あの子が他者にこんなに懐くなんて滅多にないから、きっと君はとっても素敵なひとなんだね。いい主様のところに拾ってもらえて僕も幸せだなあ」

別に変な気はないのだろうけど、恥ずかしげもなく賛辞を口にする髭切に胸が奇妙に高鳴ってしまう。
髭切はにこにこしながら私に酌をしてくれる。

「僕が来るまでの話を色々聞かせてほしいなあ」

膝丸とそっくりな琥珀色の瞳が私を映している。綺麗な顔が近くにあるのでドキドキする。周りの刀剣たちも話の輪に加わりながら歓談することしばし、緊張も解けて盃を飲み干すペースが速くなり、頭が熱くなってきたところだった。不意に横から腕を掴まれたのは。

「主。飲み過ぎではないか」

別の琥珀色の瞳が私を睨んでいた。いつの間にかそばに来ていた膝丸が腕を握って渋面を作っている。私と周辺の刀剣たちの視線が一斉に彼に集まった。

「ああ…そうかなあ?」

私は熱くなったほっぺたに片手をやる。話が途切れたのきっかけに座敷を見回してみれば、食卓の上の料理はほとんど空になっており、短刀たちは眠たそうに目を擦っては一期一振に自室へと誘導されていた。会話に熱中するうちに夜も更けていたようだ。

「あ、お酒なくなってきちゃった。新しいの取ってくるねー」

次郎太刀が立ち上がり厨へと消える。ついでに一緒に飲んでいた数振りがそろそろ部屋に戻ると言って席を外した。

「君もおいでよ。一緒にお話ししよう?」

空いた席を指し、ぽやぽやとご機嫌で笑顔を向ける髭切だが、一方の膝丸は険しい顔のままだった。
もしかしてお兄さんを取られて寂しかったのかな…と思いながら私は席を立つ。

「わたし、ちょっと夜風に当たってくるよ。二人とも話してていいからね」

しかし足を踏み出そうとしたところでふらりとよろけてしまった。倒れる。傾いた体に重力がのしかかってくるのを感じ、続いて床にぶつかる衝撃を覚悟したが、代わりにやってきたのは柔らかい感触だった。
ふらついた私の体は膝丸に抱き留められていたのだ。

「だから飲み過ぎだと言ったのだ。まったく、貴女という人は…。俺が部屋まで送る」

強い力で体を支えられ、ほとんど持ち上げられるようにして廊下に連れ出される。おやすみーと髭切が手を振るのが視界の端に見えた。
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