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三ヶ月目。
ぐらついていた歯はすっかり生え替わり、口を開ければ鋭い牙が覗くようになった膝丸は、もう私と同じくらいの身長になっていた。
この頃には彼は自身の本体である太刀を振り回せるようになり、出陣を任せられるようになっていた。とはいえまだ本来あるべき肉体まで成長しきってはいないため、敵の本陣に乗り込むような危険な任務ではなく、すでに制圧した時代での遡行軍の残党の殲滅などそれほど困難ではない戦場に出すようにしている。
敵を屠るようになると膝丸の練度はめきめきと上がり、源氏の宝刀としての威厳を見せつけるようになってきた。猪突猛進に突っ込んでいくのは若干危なっかしいが、成長するにつれやがて安定するだろう。それまでは他の刀剣たちがカバーしてくれる。彼が戦場を駆ける様を見ると、かつて演練で見た他所の膝丸の戦いぶりが重なって見える。

「帰ったぞ、主」

いつの間にか低くなった声が私を呼ぶ。ちょうど庭に出ていた私がその声に振り向けば、膝丸たちの部隊が帰城してきたところらしかった。

「おかえりなさい。みんな無事だね」

一昨日の夜から彼らは遠征に旅立っていたのだ。初めて遠征をさせた時は半日私のもとを離れるだけで泣き喚いていたのに、今や一日や二日顔を見なくても平気なようになった。
膝丸の背中には今剣がくっついておんぶしてもらっている。昔は今剣が膝丸を抱きかかえて移動していたのに…。本当に大きくなったものだ。小さかったあの子がこんな逞しく成長してくれたんだなあ…と思うと感慨もひとしおである。

「主、これが今回の結果だ」

資材や依頼札の包みを手渡してくれた膝丸に、ありがとうと笑顔で応えると、背中の今剣が不思議そうな顔をする。

「あれ、膝丸。あるじさまのことかあさまってよばないんですか?」

膝丸は目を伏せてちょっと顔を赤らめた。

「公私は、分けなければならん……」

私と今剣は顔を見合わせてくすくすと笑う。ちゃんと予想通りのお堅い真面目な性格に育ってくれたようだ。
刀の扱いも板についてきた彼は、特がつくころには頼りになる戦力になることは明らかだった。立派な刀剣男士の一振りとなりつつある膝丸を見ると誇らしい気持ちになる。



ただ。


「…膝丸、もうそろそろいいでしょ」

ただ少し問題はある。

「嫌だ。二日も母様と離れていたのだ。まだまだ足りない」

私のお腹に顔を埋め、くぐもった声で答える彼は、ぎゅっと腰に腕を回してしがみついてくる。
私はため息をついて手元にある薄青い髪を撫でる。さらさらと指通りのよい乾いた感触は絹糸のようだ。
長い足を投げ出して床に寝転がり私のお腹に抱きついている膝丸は、もう三十分ほどこの格好のままでいる。

太刀としては力も能力も順調に成長しているのだが、なにぶん私の育て方が悪かったのか、メンタルのほうはすっかりマザコンになってしまった。
タブレットの情報や他の審神者から聞いた話によると、本来の膝丸は兄である髭切が大好きなブラコン(?)だという。この本丸には髭切がいなかったため、幼子の姿と精神で顕現してしまった膝丸は代わりに最も近しい存在である私にべったりになってしまったのだろう。身近な歳上の相手に依存する傾向があるのかもしれない(実際は私は歳上ではないのだが)。
私のお腹に縋り付いて甘えてくる彼は、もう見た目には十代の半ばほどである。まだ幼さの残る容姿ではあるが、少なくとも、母の体に抱きついて遊んでもいい年齢ではない。

「母様…しばらく遠征はやめてくれ。本来なら片時も離れたくはないのだ」

人前では母様と呼ぶのを恥ずかしがるくせに二人っきりだと憚かることなく母様呼びをしてくるのも憎らしいやら可愛らしいやら。言っていることも甘ったれの極みである。どうしてこんな子になってしまったんだ。いや、私が悪いのか。これでも添い寝とおっぱいは卒業させたのだから評価してほしい。あの時みたいに膝丸に授乳しながら変な気持ちになるのは二度とごめんだったので、どんなにごねられても徹底的に拒否した。
宥めてもすかしても膝丸が離れそうにないので、気を取り直して話題を変える。

「そういえば、もうすぐこんのすけが来る予定なんだよ。視察がてらにあなたの成長をチェックするって言ってた」
「…あの管狐が?」

低い声で答え、ようやく膝丸が顔を上げる。せっかくの美しい髪は乱れて顔に貼り付いており、頬には私の着物の線がついている。格好良い顔が台無しである。

「膝丸がきちんと成長してるか確かめたいんだって。刀剣男士を育ててる審神者はあまりいないから貴重なデータになるんじゃないかな」

自分たちが観察対象にさせられているのはあまり心地よくないが、政府が情報を欲しているのだから仕方ない。
やはり膝丸も面白くなさそうな顔をした。

「…余計なことを」
「あ、噂をすれば来た来た」

審神者様、と声がかけられて私の部屋の戸が開く。絶妙なタイミングで登場したこんのすけは、私の腹に抱きついていた膝丸が慌てて体を起こすのをしっかり目撃してしまった。

「おやおや。親離れできていないのですねえ」
「貴様! 主の部屋に許可なく入るな!!」

ベタベタしていたのを見られてしまった膝丸は羞恥と怒りで真っ赤になりながら吼える。片手で彼を諫めながら私はこんのすけを手招いた。

「膝丸、こんのすけと話すから少し席を外していてくれる?」

こんのすけが愛玩動物よろしく私の太ももに上がってくるのを膝丸は喰い殺しそうな目で見ていたが、渋々立ち上がって部屋を出てくれた。
かたんと戸が閉められて、膝丸と入れ替わるようにこんのすけが息をつく。

「ふぅ。昔は可愛かったのに物騒な顔をするようになりましたねえ」
「今のはこんのすけもちょっと悪いよ。いきなり部屋に入ったら駄目でしょ?」
「見られて疚しいことでもしているのですか?」

突拍子もない台詞に、え? と思わず声が出た。
こんのすけの瞳は黒一色で何の感情も読み取れない。

「審神者様。刀剣男士は神とも化け物ともつかぬ存在です。人間とは考えることも望むことも異なるのですよ。あなた様が抱いている感情とは別の想いを抱いているやもしれません」
「…だからって早計に下品なことと結び付けないでよ」
「刀剣男士と関係を持つ審神者は少なくないのです。恋愛も性交も別に禁忌ではありませんが、ご自身にその気がないのに強姦などされぬよう。刀と人間では妊娠こそしないと言われていますが」

目の前が暗くなる。ふつふつと煮え立つような怒りが湧いてきて、私は足の上からこんのすけを下ろすと、頬の毛皮を掴んで正面から漆黒の目を睨む。

「私と膝丸はそんな関係じゃない。親子のようなものなの。我が子同然の可愛い子に下品な妄想を押し付けないで」

怒りで声が震える。こんのすけは何かを言い淀んだが、私の気迫に押されて目をそらした。

「…申し訳ありません。口が過ぎました。ご無礼をお許しください」

まだ溜飲は下がらないが、私はこんのすけの頬肉をつまむ指を離した。
こんのすけはぷるぷると身を震わせ、私の手が届かないよう数歩後ろに下がる。頬の毛皮に皺が寄って痛そうだ。

「…本題に入りましょう」

暗黙の了解でこの話はおしまいになった。私は近日の戦況や資材の在庫などを報告し、こんのすけは政府からの連絡を伝える。今後の展開についても軽く相談して、一通りの話が終わるのに半刻もかからなかった。

「では、今日のところはこれにて終了です。わたくしはそろそろお暇します」

こんのすけはぺこりと頭を下げ、部屋の出口へと小走りに駆けた。そのまま廊下に出るかと思いきや、彼は戸口の前でつと足を止め、こちらを振り向いた。

「……審神者様、どうかお気を悪くせずに聞いてください。わたくしが先ほど膝丸様を見た時、あなた様との距離が近すぎると感じました。肉体だけではありません、魂もです。現にあなた様と膝丸様の霊気は似通ってきています」
「え? なにそれ」
「膝丸様と審神者様は心身ともに密着した生活を送っていましたから、意図せぬところで霊力交換が行われていたのでしょう」

呆気に取られる私の理解が追いつく前に、こんのすけはどんどん言葉を続けてしまう。不意にそのお面のような顔が曇った。

「……あの。膝丸様は先ほどまで抱きついていた模様ですが、肌を通して霊気を混合させていたようですね。それを意識的にか無意識のうちにやっているのかは分かりませんが」
「……は、肌から霊気を送り込まれてるってこと? そんなことって起こるの?」
「膝丸様とあなた様は非常に絆が強いので、肌を寄せるだけで霊気の受け渡しが簡単に行われてしまうのでしょう。霊力が混ざり過ぎるとあなた様の体になにか異変が起こるかもしれません。ですから過剰な身体接触は避けたほうがよろしいかと…。出過ぎた真似でしたらすみません」

それだけ言い残すとこんのすけは一瞬で掻き消えてしまった。取り残された私は呆然としながら今言われたことを反芻する。
似た有名な話だと、『刀剣男士との性交を繰り返すと神気を注がれて人間に戻れなくなる』という噂話はある。しかし所詮は信憑性の低い都市伝説にすぎないのだ。刀剣男士は付喪神の分霊であり、審神者の霊力がないと顕現できないくらいあやふやな存在である。彼らの持つ神気など微々たるもので、人ひとりを神の域に連れて行くほどの力はないのだ、それは周知の事実だった。
だから、性交以前にただのスキンシップで霊気を送り込まれるなんて信じられない。しかしこんのすけの言うことが本当なら、膝丸は肌を介して私と霊気を交わらせているという。
得も言われぬ恐怖が背筋を這い上る。自分の子供のように愛していた彼に初めて恐ろしいものを感じた。

(膝丸が甘えてくるのは私と霊気を混ぜ合わせるためなの?)

無邪気に擦り寄ってくる彼に何か得体の知れない魂胆があるかもしれないということだった。付喪神。神と名はあるが実質は妖霊の類である。でも、こんなにも私に懐いて慕ってくれる彼に不可解な一面があるとは思いたくなかった。


「母様! 帰ったのかあの畜生は」

急に声がしてびくりとする。まだ憤りの収まらない表情で膝丸が部屋に顔を出した。
硬直している私を見て、彼は不審そうに眉をひそめる。

「…あの管狐に何か言われたのか?」

黙ったままの私の手をするりと持ち上げる。少しだけ体温の低い乾いた手の中に包まれる。いつの間にか私より大きくなってしまった。

「…ううん、なんでもないよ」

包み込まれた彼の手の中からさりげなく抜け出そうとしたが、意図を読まれたかのように、逃げようとした手をぎゅっと掴まれる。

「あなたが心配することは何もない。いかなる時であっても俺があなたをお守りするからな」

その蜜色の柔らかな瞳に、こちらを優しく絡め取るような、見てはいけない仄暗い影を見た気がして私は目をそらした。
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