3


「うーんこれ、やっぱりただの美味しい飴だよなあ…」

 もごもごと口を動かしながらひとりごとを呟く。例の『恋の内服薬』とやら、何度も捨てようと思ってごみ箱にかざしては、あの絶妙な味が舌によみがえって思いとどまり……というのを繰り返して、とうとう今日、一つだけならいいかと口に放り込んでしまった。
 私には効果が出ないだろうという99パーセントの確信と、万が一変な気分になったとしても膝丸に相手をしてもらえばいいのだという甘い期待。むしろ抱かれる口実が出来てラッキーじゃないか。ソワソワしつつ飴を舐めていたが案の定変化の兆しも見えない。当然か。お茶でも淹れて落ち着こうと廊下に出たところで、乱とすれ違った。

「あ、主さん」

 ぱっと笑顔になって手を振る彼の姿を見て、雷に打たれたような衝撃が走った。
そう、すべての始まり。この飴を買ってきたのは乱だ。渡されたときの言葉が脳裏によみがえる。
 『意中の相手に使ってね』と。
 その言葉に秘められた真意はもしかして、膝丸に媚薬を盛って強行手段に出ろということだったのではないか。
 乱ならやりかねない。勘の鋭い彼なら、私がこっそり膝丸に片想いしていたことに気づいていたかもしれない。いや、きっとそうだ。間違いない。


「乱、少し聞きたいことがあるのだけど…」
「なあに?」


 不思議そうにこてんと首を傾げて近づいてくる乱の肩を引き、襖の影に隠れる。ここなら誰にも見えないし声も聞かれないだろう。何事かと目を丸くしている彼の耳にそっと唇を寄せた。

「……あの飴、本物だったんだね?」
「飴?」
「恋の内服薬ってやつ。まさか媚薬だと思わなかったから驚いたけど…、おかげでうまくいったよ! ありがとう」

 感謝の意を込めて微笑むと、乱はぱちぱちと二、三度まばたきをした。あれ。伝わっていないのかな。説明不足だっただろうか。もう一度順を追って話そうと思った矢先、

「……あ! こないだお土産で買ってきたやつ?」
「そうそう!」
「あれ、飴だよね? 媚薬ってなんのこと?」
「ん?」

 話が噛み合わない。きょとんとしている乱は嘘を吐いているようには見えなかった。なにかがおかしい。不穏な気配と疑問が広がっていく。

「……乱は、あれが媚薬だと分かっていて私にプレゼントしてくれたんじゃないの?」
「え? 媚薬なんかじゃないよ。だって僕、いち兄たちへのお土産にも同じものを買ったんだもん。みんなで食べたけど、ただの美味しい飴だったよ? そもそも、単なるジョークグッズだって、買う時点で分かってたよ」
「え、あれ…??」
「……主さん、どうしたの? なにがあったの?」

 私は一体誰に騙されているのか、それともなにか重大な勘違いをしているのか。
 心配そうに眉をひそめた乱に洗いざらい今回の経緯を語る。一通り話し終えると乱はしばらく考えていたが、やがてしたり顔でうなずいた。

「ははーん。なるほどね。膝丸さんがね」

 私にはなにがなんだか分からない。図らずも膝丸と一線を超えたことを白状するはめになった上、現状への理解も追いつかなくて。不安を抱いたまま彼を見つめていると、にたりと目元にも唇にも笑みを浮かべた乱が、たっぷりと含みを持たせて言い放った。

「主さん、騙されたんだよ」
「……え、膝丸に?」
「そ。媚薬に当てられたふりをして主さんを手篭めにしたんでしょ」
「……?! え?! あれ、嘘だったってこと?!」
「膝丸さん、意外と演技派なんだよねー。主さんはまんまと嵌められてハメられたわけだね! でも、強引だけど想いが通じ合ったんだから良かったじゃない!」

 おめでとうー! と抱きついて祝福してくれる乱を信じられないような気持ちで受け止める。え、嘘? 演技? 乱の言葉を信じるなら飴はただの飴だし、膝丸にはネタばらしをした後だからプラセボ効果でもないし。ならやはり、膝丸は媚薬で発情したふりをして…それを口実に夜這いしにきたわけだ。


 一杯食わされたのは私のほうだったのか。


 ああ、騙された…。と痛感すれば恥ずかしさと悔しさで顔に熱が上がる。ふつふつと怒りが湧いてくるけど、いまさらこの程度では嫌いになれないほど惚れ込んでしまった私の負けだ。
ともかく。

「あとで問い詰めてやる……」

 真っ赤な顔で拳を握りしめたが、媚薬を飲まずしてあの精力の膝丸に悪びれもせず返り討ちに遭うことを、この時の私は知らないのだった。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。