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明け方、目が覚めてもしばらくそのまま、背中に感じる別の体温を噛み締めていた。好きな人に抱いてもらえたのだから死ぬまでこの思い出を大事に秘めていよう。後ろから回された膝丸のあたたかい腕を撫でる。もう一度寝てしまおう。幸せな夢からすぐ覚めれるように、今度起きたら一人きりになっていることを期待して。疲れ切った体は簡単に眠りにつく。



「……ぐずっ」

ずび、くすん。
近くで変な音と髪がくすぐられる感覚がして再度意識が浮上する。しばらく静かになったかと思えば、また濡れた音が頭の後ろから響いてきて、見過ごすことのできない違和感にとうとう覚醒した。

「う……」

正体は膝丸だった。私の肩に額をくっつけてすんすんと鼻を鳴らしている。湿った感触がするのはどうやら泣いているようだ。

「膝丸……?」
「……ぐす、主……うっ……」
「ど、どうしたの…?」

反転して膝丸の顔を両手で挟むと、彼は泣き濡れた目で見上げてきた。

「刀解してくれ……」
「ええ?!」

しょんぼりとうなだれる膝丸の瞳からはぽろぽろと涙が落ち、いつもの勝気な風貌からは程遠くなっていた。濡れて肌に張り付いた髪をかき分けると、悲しげに沈んだ顔がこちらを見つめる。

「一体どうしたの…?」
「俺は…主にとんでもないことを…」

膝丸は私を見上げていた瞳をふいと伏せ、束になったまつげを震わせた。自分より一回りも二回りも大きい男がぐすぐすと泣く様にびっくりしてしまうが、どうにか肩を撫でて落ち着かせようとする。

「昨日のこと言ってるの?」
「当然だ……。俺は主を汚してしまったのだ、いかなる罰でも受けよう…」
「待って、膝丸はなんにも悪くないよ…?」

膝丸があんまり悲しそうに泣くのでこちらの胸もきゅっと苦しくなってきた。私は膝丸に抱かれて死んでもいいほど幸せな気持ちだったけど、彼はそうでなかったのだろう。

「ごめんね。私のことなんて抱きたくなかったでしょう?」

ぴくりと腫れたまぶたを上げて膝丸が私を見つめる。その瞳には悲しみだけでなく、さっきまではなかったはずの怒りが滲んでいた。

「……君はこの期に及んで、俺の気持ちを弄ぶつもりか?」
「…え?」

ぎゅっと眉を寄せた険しい顔。怖いけど、睨みつけてくる瞳からぽろぽろと涙を流しているから迫力がない。

「好きでもない人間を俺が抱くわけがないだろう。あんなものを飲まされたとはいえ、相手が君でなければ抑えようもあった」
「……膝丸は私のことが好きなの?」
「ずっとそのつもりでいたのだがな」

恨みがましい告白の言葉に呆気にとられ、じわじわとあたたかい気持ちが広がっていく。膝丸が、私のことを好き。だなんて、本当なら目眩がするほどに嬉しい。だが同時に疑問も膨らんでいった。

「じゃあなんで最近冷たかったの…?」
「……君に好意を抱かれていることは知っていたし、嬉しいと思っていたのだ。しかしあの夜、刀を抱きしめて眠った主の本音を聞いてしまってから、どうにも主の顔が見れなくなってな」
「あ……その節は本当にごめんなさい…」
「いや。君の言葉をきっかけに、己が主を邪な目で見ていると気づいてしまったのだ」

膝丸にもそういう気持ちがあるのだと知ってなぜか感動してしまった。勝手に高潔なイメージを抱いていたから。しかし昨夜あんなに、気を失うほど抱き潰されたのだから、人並みに欲はあるんだな。
私が安心する一方、膝丸は相変わらず苦しげな様子で続きを話した。

「しかし、刀が主を……付喪神が人を恋うるのは、許されるべきでないのではないか。俺がそう悩んでいる間に、主は兄者と懇意になっていたな」
「それは誤解だよ膝丸……。髭切には相談に乗ってもらっていただけ。膝丸が冷たくなったからどうしようって」
「そうだったのか? てっきり、顔が同じ兄者でもいいのかと…」
「……膝丸のことを好きなのは、見た目だけの話じゃないよ」

目を見開く膝丸はやはり人間とは感性がズレているのだろう。ちゃんと言葉にして伝えなかったから、どんどん誤解が連鎖してがんじがらめになってしまったんだと反省する。

「そうか…では俺が勝手に嫉妬して八つ当たりしていただけだったのだな。悪いことをした」
「ううん。私もごめんなさい。膝丸にちゃんと気持ちを伝える勇気がなかったの」

濡れた頰をぬぐってあげると膝丸は私の手を握った。大きな手に包みこまれるあたたかさが嬉しい。しかしいったん意識してしまえば恥ずかしくなってしまって顔をそらすと、膝丸に頰を押されて強引に目線を戻された。

「主は俺のことが好きなのだな」

真剣に見つめてくる熱っぽい眼差しにこちらの熱も上昇する。やっとの思いでこくんとうなずくと、膝丸も改めて頰を染めた。

「では、昨夜のことは不問に付してくれるか?」
「もちろん。びっくりしたけど、膝丸に抱いてもらえて嬉しかったよ」

膝丸は照れたようにうつむいたあと、ぽつりとつぶやいた。

「しかし驚いたのは俺も同じだ…。媚薬を仕込むなんて、君は意外と大胆なことをするのだな…」

「え?」

「ん?」


聞き間違いだろうか。その割にははっきり聞こえた気がするんだけど。いやいや、冗談。

「媚薬?」
「君が茶に媚薬を盛ったのだろう?」

膝丸はしごく真面目な顔をしている。よくよく考えれば彼はこの場面で冗談を言うような性格ではない。

「なんのこと…。薬を盛ったのは否定しないけど、自白剤だよ…?」
「自白剤だと? あれはそういう類のものではなかったぞ。飲んでしばらくすると体が熱くなって自制がきかなくなったのだ」

確かに、突然襲いかかってきた膝丸の行動はふだんならありえないものだった。では本当に媚薬だったのか……。いったいなぜ。岩融はそんなこと一言も言わなかったのに。

「おかしいな…岩融は、"素直になる薬"って言ってたよ」
「……待て。奴からあの薬を渡されたのか?」
「うん。これを飲ませてから話をすれば、膝丸が正直になるだろうって」

見る間に膝丸の顔が険しくなる。繋いだままの手にぐっと力が入り痛いほどになった。そういえば昨日、膝丸は岩融にさんざん嘘を吹き込まれて落ち込んでいたっけ。
……つまり私たち二人とも騙されたのか。

「彼奴め、主を騙すだけでなくいかがわしい薬を渡すなど、臣下にあるまじき謀叛だぞ」

メラメラと燃やす怒りの炎には膝丸の私怨も含まれている。いまにも刀を掴んで立ち上がりそうな彼の手を慌てて引き戻した。

「待って待って。岩融は私たちの仲を一生懸命取り持とうとしてくれたんだし、結果的に誤解が解けたんだから良かったんじゃない?」

膝丸はぐぬぬと納得いかぬ顔をしたが思いとどまってくれた。万事解決したつもりだけれどまだ大切なことを聞いていない。ドキドキを早鐘を打つ胸をおさえながら私は膝丸の目をのぞきこんだ。

「膝丸、……私の恋人になってくれますか?」

まだ冷めやらぬ怒りに歯噛みしていた膝丸は、その言葉にはっと目を見開いた。ふいに優しくなった瞳が私を映す。

「……ああ。元よりそのつもりだ。君が許してくれるなら、永遠に俺と添い遂げてほしい」

両手で手を包まれて真正面から見つめられて、頭が沸騰しそうに熱くなった。幸せすぎて涙ぐむ視界に大好きな色が近づいて、ふにっと柔らかな感触を唇に残す。
たくさん遠回りして傷つけ合って、いろんなステップを吹っ飛ばして結ばれたけれど、これからはもっと幸せな毎日のはじまり。






「俺は嘘を吐いてはおらぬぞ。あれは本能に素直になる薬だからな! ガハハハ」
「あるじさま、おめでとうございます! 膝丸とこいびとどうしになれてよかったですね! ぼくたちもこれでひとあんしんです!」
「おお、やっとくっ付いたのかあ。たくさん応援した甲斐があったなあ」

膝丸に問い詰められた岩融は悪びれもせず豪快に笑い飛ばし、今剣は私の肩にひょいと手を乗せてお祝いの言葉を口にする。めでたしめでたし、と髭切が手を打って微笑んでいた。
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