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「主の今日の服かわいーじゃん」
「えへへ、そう?」
「うん。いつもの主とは雰囲気違うけど、よく似合ってるよ」

夏らしく鮮やかな生地のハイウエストで切り替えのあるワンピースは、先日の買い物で髭切が見繕ってくれたものだった。

「僕、服飾店を見たいなあ。付き合ってくれない?」
なんて言い出した髭切に珍しいものだと思いながら着いて行くと、嬉しそうに向かった先は女性もののブティック。
「君に新しい服を買ってあげようと思ってね」
落ち込んでいた私を元気付ける計らいのつもりだったのだろう。ぐんぐんと腕を引かれて奥に連れ込まれ、これはどうかな、もう少し明るい色がいいかな、と私に服を当てて思案する髭切は楽しそうにしていたが、女性客の多い店内を異性と物色するのは少々恥ずかしかった。
「これなんかよく似合いそう。それに、弟の好みなんじゃないかな?」
そうかなあ。でも膝丸に気に入ってもらえるかもしれないなら……。そういうわけでレジに持って行ってしまった服はそれなりの値段はしたが、代金は髭切が払ってくれた。
一方、今剣と岩融は女性の服は分からんと言って別行動していたのだが、あちこちの万屋を巡って楽しんでいた模様だ。最後は四人でかき氷を食べて仲良く帰ってきた。

……という経緯を話すと、加州はなるほどねとしきりにうなずく。「意外と髭切って見る目あるじゃん」と悔しそうに腕を組んでいるので、今度コーディネート合戦でもしてみたらいいんじゃないかな。
微笑ましく見ているとふいに床板のきしむ音がして、向こうから歩いてくる足音が続く。次いで、にゅっと現れた膝丸とばっちり視線が噛み合ってしまった。
なんというタイミング。向こうも呆気にとられたようで、片手に金色の刀装を握ったままパチパチと瞬きする様子が可愛らしい。どうやら余りの刀装を予備袋に戻しにきたようだが、これはチャンス。真正面から見つめ合うのは数週間振りといっても過言でないのだ。

「膝丸、おはよう!」
「……ああ」

いつも通り気まずそうに目を逸らす膝丸だが、チラチラとこちらをうかがっている。やはり髭切の予想通りこの格好は膝丸の好みなんだ! ーー単に露出が多いせいだとは信じない。膝丸に限って生脚を物珍しげに見ているだけだとは……断じて違うはず……。でもなんか足元ばっかりじろじろ見てくるのは…いや、きっと照れて目を合わせる勇気がないからだよね…。

「ねえ、膝丸、この服どうかな? 似合ってる?」
「可愛いよねー!」

同意を促すような加州の声に押され、膝丸はたどたどしく口を開いた。

「そうだな…」

ようやく視線を上げてくれた膝丸がじっと私の目を見つめる。嬉しい。こんなふうにまっすぐ向かい合ってくれるのはいつ以来だろう。しかもわずかに顔が赤いのは暑さのせいではないはずだ。すっかり舞い上がってしまった私は饒舌に言葉を続けた。

「この服ね、髭切が選んでくれたんだよ」

ぴくりと彼の眉が跳ねた。

「兄者が……」
「うん。こないだ髭切と、あと今剣と岩融と一緒に街に出かけてね、服屋さんで髭切に新しい服を買ってもらったんだ。……膝丸も気に入ってくれた?」

どんどん膝丸の表情が暗くなっていることに言い終わるまで気づかなかった。隣で加州があちゃーと呟く声が聞こえた時にはもう、膝丸の瞳は底冷えのする色に変わっていた。

「なるほどな……そういうことか」

突然低くなった声音にぎょっとする。苦々しく睨みつける視線に親愛の情は少しも見当たらず、浮かれていた気持ちは一気に地平まで叩き落された。
膝丸は剥き出しの足元から裾へじろりと舐めるような視線を這わせると、冷たく吐き捨てた。

「俺はもっと慎みのある格好が好きだ」

売女とでも罵るような口振りだった。

「やけに男を誘うような格好をしていると思ったら、兄者が見繕った品なのだな。ならば俺の意見などどうでもいいだろう? 勝手にすればいいではないか」

一息に言い放つと膝丸は眉を歪めて私を睨んだ。ぎゅっと真一文字に結んだ唇は強く噛みすぎて血の気が失せている。彼のこんな乱暴な口調は聞いたことがなかったので、怒りや悲しみよりも驚きが先に来ていた。

「ねえ、それはないんじゃない」

代わりに言い返したのは加州だった。たまに大和守とやかましく口論する加州だが、どこか戯れ合いのようなその雰囲気とは全く違い、ピリピリと肌を刺すような殺気を漂わせている。

「主がなんのために可愛い格好してるか分かるよね?」
「可愛い格好を"させられて"いるのだろう? 誰かの好みに合わせてな」
「……全然違う。なに? 嫉妬してるの?」
「なんのことだか知らないが、主のことはもう俺には関係のない話だ」
「本気でそう思ってるなら、あんたはとんだ大馬鹿者だよ。千年間居眠りでもして生きてたの?」
「……小童が、分かったような口を利くな」
「ふーん。俺、少なくとも、あんたよりは人間の気持ちに寄り添えると思うよ?」
「……貴様に分かるまい。人の心ほど当てにならないものはないと……」

バチバチと火花を飛ばす二振りはいまに一騎打ちでも始めそうだ。一触即発の雰囲気だが、私はおそるおそる加州の手に触れた。

「加州…もういいよ。行こう?」

加州が私のために怒ってくれていることは伝わったから、充分だ。こちらの都合で二振りを険悪にさせるわけにはいかない。加州は困ったように眉を下げると、ごめん、とつぶやいて私の手を握り返した。
その場を去る前にちらりと振り向いて見た膝丸は、なぜか泣き出しそうな顔をしていた。


「あー……ごめんね。主、びっくりさせちゃったよね」
「うん。平安刀にとっては幕末刀って小童なんだね…」
「そこ?」

一気に緊張が解けたらしい。加州はへなへなと脱力して壁にもたれかかった。

「ほんっっとあのじいさん、素直になれないっていうか、卑屈になりすぎっていうか。頭カッチカチなんだよ」

そうか、刀の同種族から見たら膝丸ってじいさんなんだ……と謎の感心をする私はショックから逃げているのかもしれない。あんな怖い顔で睨まれたんだ、って、自覚したら恐ろしくてたまらなくなりそうで。

「……でも、主の言い方もちょっと良くなかったよ」
「そうなの?」
「嫉妬するに決まってるじゃん……。別の男に買ってもらった服を嬉しそうに見せられたらさ、そりゃあその男と懇意なのかなって勘ぐっちゃうよ?」
「別の男って、髭切のことだよ? 膝丸の兄弟だよ…?」

膝丸の怒りポイントが全然分からない。ああ、彼にも文句を言われたじゃないか、「君はなにも分かっていない」って。本当に膝丸の気持ちがひとつも分からないや。こんなんじゃ好きでいるのも諦めたほうがいいな。

「私、少し膝丸と距離置いてみようかな…」
「……うん、それがいいかも。そしたらあの人もちょっとは素直になれるでしょ」

ひとしきり憤慨したあと、「その服、本当に似合ってるよ」と加州はふわりと目元をほころばせた。





あれから、ものすごい視線を感じる。夕食の席でみんなと歓談しているとき、縁側で短刀とお茶を飲んでいるとき、出陣前の刀たちに刀装をつけてあげるとき、そしてお風呂上がりにアイスを食べて涼んでいるとき。

「あるじさま。膝丸がこっちみてますよ」
「うん…」

知ってる。知ってるけど振り向かない。
今剣が肩をすくめ、スプーンを口に運ぶ。秋の虫の声が大きくなり、随分と涼しくなった夜風が私たちの間を吹き抜けた。山ほど買ったボックスアイスもそろそろ食べ切らないとね。と厨係の刀たちが好きなだけお皿に盛り付けてくれたバニラアイスの甘さが舌の上でとろける。

「膝丸もアイス食べればいいのにね」
「……はぁ〜〜。あるじさまはどうしてこうニブチンなのでしょう…」

いや、分かっている。アイスが羨ましいから膝丸がこっちを見つめているわけじゃないことなんて。だって四六時中熱い視線を注がれているのだ。ただならぬ感情を抱かれているのだと理解せざるを得ないし、それがプラスの感情ではないことは確かだった。
あの加州との口論以来、膝丸とは一線を置いて接している。と言っても集団生活をする中で、一応は主である私が露骨に誰かを避けるような態度は取ってはならない。挨拶や必要最低限の声はかけるが目は合わせないといった程度だが、予想以上に応えたらしい。膝丸がめちゃくちゃ怒っている様子なのは視界の端で認識していた。やはり誇り高い重宝の彼は、人間に蔑ろに扱われることに耐えられないのだろう。

「もう膝丸のことはすきじゃないんですか?」

くりんと大きな瞳が不安そうに見上げる。今剣たちにたくさん相談して応援もしてもらったのに、膝丸との関係を拗らせてしまった自分が情けなかった。

「……ううん。好きだよ。でも膝丸に迷惑かけるくらいならやめようかなって…」
「もし、あるじさまが膝丸への恋をあきらめて……それで、膝丸のこころはらくになるとおもいますか?」

叱りつけるような今剣の声に目をみはる。勝手に好きになって勝手に諦めるなんて、振り回される側からしたらたまったものではないということか。答えに詰まっていると、後ろからどすんどすんと大仰な足音が響いてきた。すぐに巨体の影が迫る。

「いやあ、主よ。あきらめるのはまだ早いぞ」

どっかりと腰を下ろしてきたのは岩融だ。さっきまでだんまりを決める膝丸の横で何事かを話しかけていたようだが、話は終わったのかそれとも反応のない膝丸に飽きたのか。にんまりと目尻を下げる悪人面が驚くほど絵になっている。彼は懐から薄いピンク色の薬包紙を取り出した。

「万屋を探し回って見つけたのだ。これを奴に飲ませるといい」

先日街に行ったときに買ってきたのか。強引に手の中に渡されたそれは、効能や説明が一文字も書いていない、どう見ても怪しげな薬だった。

「なにこれ? 変なもの膝丸に飲ませられないよ?」
「いやいや。人間には馴染みのない薬かもしれんがな、我らの世界ではありふれた一品なのだぞ」

特別な効能を持った薬なのだろうか。怪訝な目を今剣に向けると、彼も自信満々にうなずいた。

「なんの薬?」
「そうだなあ、さしずめ"素直になる薬"といったところか」

自白剤のようなものか、と思い至り、岩融の言わんとすることが分かった。

「これを飲ませてから主のありのままの気持ちを伝えてみるといい。さすれば、奴も己の本心に正直に答えてくれるだろう」
「なるほど…」

理解はしたが、同時にすっと腹の底が冷えるような心地に襲われる。これを使ったら包み隠しのない膝丸の本心があらわになってしまうのだ。もし私のことを疎ましく思っていると言われたら。身勝手な人間は嫌いだ、お前の所業は許せないと言われたら。私のしゃぼん玉ハートはパチンと弾けて二度ともとに戻らない気がする。

「今から奴を呼び出して、一服盛ってみてはどうだ?」
「気持ちはありがたいよ。でも心の準備がまだ…」
「善は急げと言うだろう?」
「なにが善なの……」
「ははは。奴は今ごろ布団にこもって泣いているであろうな! 主が言って話をしてやらぬと勝手に刀剣破壊しかねんぞ?」
「なんで?!」

物騒な台詞に思わず彼の着流しを掴む。動転する私をよそに、岩融は膝に頬杖をつくと、鬼のような歯を剥き出して人相の悪い笑みを浮かべた。

「先ほど俺がたっぷり灸を据えてやったのだ。奴の耳元でな、最近主が冷たいとは思わんか? 目も合わせてくれぬだろう? とうとう愛想を尽かされたのだろうな? まあ仕方ない、自業自得だ。おぬしに主は釣り合わぬものなあ? とな。震えながら部屋に帰るところまで見届けたぞ」

うわ鬼畜……。岩融のこの笑顔からの畳み掛ける言葉責めだ。旧知の仲である岩融だからこそ、容赦のない発言ができるのだろうが、それゆえに膝丸のダメージも計り知れないものがある。
こうしちゃいられない。岩融の言葉を間に受けたらしい膝丸の誤解を解かなくては。これ以上彼との仲を悪化させてどうする。

「がんばってくださーい!」
「しかと飲ませるのだぞ!」

手を振る二振りに見送られて、私は源氏兄弟の寝室へ走った。膝丸と不仲になってからは、彼らの部屋に集まって皆でゲームをしたりお酒を飲んだりして盛り上がることもなくなっていた。
明障子越しに声をかけるとくぐもった話し声が止まり、すぐに戸が開く。

「やあ、主。こんばんは」

着流しの上に羽織をかけた髭切がにっこりと微笑む。事情をすべて見透かしているような態度にすこし安心した。

「ご用があるのかな? 僕に? それとも弟に?」
「膝丸と話がしたいの」
「そっかあ。おーい、弟丸〜」

ふわりと振り向いた髭切は呑気な声で呼びかけるが、部屋の奥は沈黙したままだった。さっきまで話し声がしていたのだからいるのは分かっている。寝たふりでもしているのだろうか。

「こら。主がおまえとお話したいって言ってるんだよ」

語気を強めた兄の言葉に、長い沈黙のあと「…………あとで行く」と弱々しい声が答える。やれやれと髭切が眉を下げた。

「ごめんね。落ち着いたらちゃんと行かせるよ」
「膝丸は平気なの?」
「大丈夫大丈夫。薙刀の彼のせいで、今夜は格別ひどいけど、ここ最近ずっと夜泣きしてるんだよ。僕も困ってるんだよねえ」

膝丸が夜泣きしてるってどういう状況なんだろう。気になるが、想像するのは恐ろしいので訊ねることはできなかった。しかしあの膝丸が毎晩泣くなんて……いや、凹んでも立ち直りの早いはずの膝丸をそれほど追い詰めてしまっているなら、なおさら腹を割った話し合いが必要だ。

「……ねえ、この間買ったわんぴーすの件、弟を勘違いさせてしまったようですまなかったね」

ふいに声をひそめた髭切が申し訳なさそうに顔を寄せてつぶやく。あの一件のことは正直あまり思い出したくないから、似合うと褒めてもらった可愛い服もクローゼットにしまったままだった。

「髭切のせいじゃないよ。買ってもらって嬉しかったし。加州も似合ってるって言ってくれたよ」
「……僕、あの服を着た主なら弟を悩殺できると思ったんだ。それで弟の理性がぶち切れることを期待してたんだけど…」

思うようにはならないねえ。と憂いの声を漏らす髭切の思考回路はやはりぶっ飛んでいる。そういえば膝丸は裾からのぞく生脚をチラチラ見て赤面していたし、兄の審美眼はあながち的はずれでもなかったのかも……。しかしそんな意図があったのを知ると空恐ろしい気持ちになった。

「あの、ともかくあとで膝丸は私の部屋に来てほしいの……。伝えておいてね?」
「うんうん! 今夜こそは必ず行かせるよ。安心して待っててね」

力強くうなずく髭切の瞳は底知れない光を潜めている。またおかしな計画を思いついていないといいけど。膝丸を慰めたり叱咤激励したりする作業に戻った髭切の声を聞きながら廊下を帰っていった。

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