・闇堕ち、刀剣破壊(味方は全員折れる)
・蛇姦、強姦孕ませ、バッドエンド


 真っ赤に照らされた明障子の向こうではいくつもの影がひしめいていた。怒声の合間に刀がぶつかり合い、あるいは逃げ惑い力尽きて床に倒れていく。目まぐるしく踊る影絵は阿鼻叫喚の相を呈し、その景色をかき消すように、ごうごうと燃える柱が大仰な音を立てて崩れ新たな悲鳴が上がる。

「主君! どこにいるんですか?」

 切羽詰まった声と共に短刀の影が障子を駆け抜けていく。焼け落ちていく城をどうすることもできずに私は布団の上にいる。煙と血の匂いが死を連想させ、横たわった体に大きく震えが走った瞬間、枕元に控えていた男が穏和に話しかけてきた。

「大丈夫。ここにいれば安全だ」

 場にそぐわず悠長な声を出す男はガタガタと揺れる障子戸をちらりと一瞥した後、たいして気にも留めずに視線を戻す。かつて金色に澄んでいた瞳は血のような赤に変色し、禍々しい瘴気を放ってこちらを見据えていた。
 煙の充満した廊下から再び主君、主君と私を探し求める声が近づく。ここだよと叫ぶことはできなかった。なぜなら私の口元は恐ろしい縄状のもので幾重にも塞がれていたから。遠ざかっていく短刀に助けを求めたくて身動きをとると、巻きついているものがぬるりと威嚇のように冷たい体を滑らす。ざらついた鱗の感触に鳥肌が立って硬直した。
忠実な僕の様子を見て男は笑みを湛える。微笑む唇からのぞく牙は鋭く、厚い肩からは骨のような棘が突き出し、腰から下にはあるべき脚が見当たらず代わりに鱗に包まれた太い胴がとぐろを巻いていた。堕ちた刀の行く末がこれか。 恐怖と悲しみが渦を巻き、伝える手段のない思いが雫となって目尻からこぼれ落ちた。
 涙の理由を勘違いしたのか、男は優しい指で濡れた頬を拭った。

「なにも恐れることはない。君には指一本出すなと奴らに命じている。この喧しい戦いが終わったら我らの拠点へ向かおうな」

 遡行軍たちの濁った鬨の声が不気味に響く。まもなく我が本丸は全滅するだろう。破滅の種を蒔いたのは私だ。こんな悲劇を予想できていたら膝丸を折らなかったのに。





 一月前、戦況は最悪だった。政府から指定されたのは明らかに練度の釣り合わない戦地への出陣、言いかえれば総出で死にに行けというような任務だった。

 初夏の訪れと共に幕を開けた戦闘は、煮え立つような盛夏の時分になっても終わりの影が見えない。じゅわじゅわと油で揚げるような蝉時雨が降り注ぐ庭園。干上がりそうな夏の光から逃げ、日陰を求めて屋敷の中に入れば、そこは一転して通夜のような雰囲気が立ち込めている。すっかり人気のなくなってしまった広間には、塞がらない傷口を包帯で覆っただけの刀剣たちがうつむいていた。
 日々負傷を蓄積して帰還してくる刀剣たちが沈痛な面持ちで手のひらを広げれば、粉々に砕け散った仲間の破片が積み重なっていく。もともと資材も兵力も潤沢とは言えなかった本丸だ。長期戦になればなるだけじりじりと追い詰められ、兵力も精神も削られる。城が落ちるのは時間の問題だった。
 増援の依頼は当然のごとく無視されて一週間が経つ。この本丸は見捨てられたのだと誰もが暗黙のうちに理解していた。所詮審神者も刀剣も国益の捨て駒にすぎない。受け入れがたい事実を苦々しく噛み締めるしかなかった。

 しかしここで犬死になどはしたくない。私は地図を睨みながら戦略に頭を痛めていた。夕刻。終末のように喚くヒグラシの声が思考を鈍らせる。じっとりと汗が背中を滑り落ちる不快な感覚。死が実感を持ってにじり寄ってくるいま、生き延びたいという本能が身の内で吠え回り、こだわりなど持っている余裕はなかった。

 戦地は入り組んだ渓谷の付近にある。足の速い刀剣を一振り囮として、崖の下にうまく敵軍を誘導して奇襲をかければ、一縷の望みはあると考えられた。しかし囮になった刀の生存は期待できない。皆のために死ね。そんな非人道的な命令を審神者直々に下せるとしたら、思いつくのは一振りしかいなかった。

 私はひどい人間だと思う。卑怯だと分かっている。好意を利用して、無理な出陣をお願いするだなんて。
 夜更け、だいじな話があると言って呼び出したのは膝丸だった。手入れに回す資材がなく、頰に絆創膏を貼ったままの膝丸は、思いつめた私の様子に深刻なものを感じ取ったらしい。話を促すように、「どうした」と尋ねてくる。
 囮になってほしい。そう伝えるとしばらくの沈黙があった。逡巡する素振りを見せても結局この男は私の頼みを無下にできない。返事を求めるように目線を合わせると、重々しくうなずいてくれた。

「君の策に従おう。どうせこのままでは総倒れになる未来は遠くない」
「ありがとう……ごめんなさい。膝丸しか頼める刀剣がいないの」
「ああ、分かっている」

 残っている刀剣はわずか十数振り、その中で練度の低いものをのぞけば、戦力になるのはほんの一握りだった。膝丸は適任だ。隊長を任せることもあるくらい強く、打たれ強い太刀で足が速い。彼はそれを分かっていたから心を決めてくれたのだろう。私は後ろめたい気持ちを抱えながらその場に手をついた。

「膝丸。ほんとうにごめんなさい。こんな役回りをあなたに押し付けてしまって、申し訳ないと思ってます」
「君が気に病むことはない。他に手段がないことは重々承知でいる。それに俺たちは刀だ。主のために我が身を振るい、戦の中で折れるのならば本望だ」

 じっとこちらを見つめる膝丸の瞳には、刀が主に向ける忠誠とは違う種類の熱がこもっている。その真摯さに、私はいつも気圧されていた。射抜かれてしまいそうに強いその瞳は、寡黙な口とは正反対に、めらめらと身の内で燃える炎を反映して流暢に彼の内心を物語る。交わす目線、書物を渡すときに触れる指先、丁寧に「主」と呼ぶ声。一挙一動で分かってしまった、膝丸が私に並ならぬ想いを寄せていると。そして私は彼がはっきりと気持ちを伝えないのをいいことに、差し伸べられる親切に甘えて、こうして好意を利用して死地に送り出してしまう。

「……ただ、主。一つだけ約束をしてほしい」

 彼がなにかを要求してくるのは初めてだった。おもむろに伸びてきた手が膝の上で重ねられ、びくりとちいさく体が震えた。

「なに?」

 あたたかく乾いた体温。大きな手に包みこまれて真正面から見つめられると、目をそらすことができなかった。琥珀色のきれいな瞳がしばし逡巡に揺れ、意を決めたかのようにゆっくりと口を開く。

「もし……生きて帰ってくることができたら、俺と添い遂げてくれ」

 プロポーズのようなものだったのだろう。
 私の手を握る膝丸の指にぎゅっと力が入る。目尻をほんのりと赤く染め、すがりつくようにこちらをのぞきこんでくる姿に憐憫を感じた。

「……はい」

 死にに行く男の要求を跳ね退けることはできなかった。膝丸の目に見たこともないような生気が宿る。緊張のあまりこわばっていた顔からふと力が抜け、嬉しくてたまらないというふうに柔らかく微笑んだ。

「ああ…ありがとう、主。愛している。ずっと君のことが好きだった」

 はじめて告げられたその想いに返す言葉はなかった。曖昧に微笑み、握られた手の温度を確かめる。膝丸はしばらく幸せだとつぶやきながら私の手を撫でていたが、ひとしきり想いを伝え終えると、決戦に備えると言って自室に帰っていった。
 ようやく彼の手から放たれて、こらえていた吐息が漏れた。ほうっと息をつくと肩から力が抜ける。

 私は膝丸を愛してはいない。
 
 騙すような真似をして罪悪感に苛まれるが、最初から想いにこたえるつもりはなかった。審神者と刀剣男士。付喪神である彼と人間である己が釣り合うわけがない。だからこそ今の今まで、主従の域を超えて寄せられる好意に気づかないふりをしていたのだ。添い遂げたいと思うほどの愛を向けられても、受け止める器を持たない私にとっては息苦しいだけだった。
 だが、そう気に留める必要もないだろう。
 膝丸だって分かっているはずだ。戦力不足の部隊が救出に向かったところで、囮が生還できる可能性は限りなくゼロに等しい。刀剣破壊を防ぐというお守りがいくつあったところで間に合わないだろう。だから十中八九、果たされることのない約束なのだ。
 どうせ、膝丸は折れる。



「主君」

 ぼろぼろに消耗しきった格好の前田藤四郎が時空間転送の装置から降り立ち、真向かいに控えていた私を見上げて一言つぶやく。彼の後ろからは同様に服も鎧も擦り切れてボロ雑巾のようになった乱と、蜻蛉切と、大倶利伽羅が現れた。
 この日、戦地は豪雨だった。足場と視界の悪さは遡行軍から機動力を奪い、篠突く雨は投石兵と弓兵の攻撃を白い雨煙の中に隠した。

「終わりました」

 勝利の宣言をする前田、しかしその表情に喜びの色は一切ない。ぐっと唇を噛み締めて血と泥のついた頰をぬぐい、彼は両手に恭しく抱えていた包みを差し出した。
 開ける前から分かっていた。それがなにを意味するのかを。
 前田の外套で包まれたそれを丁重に開くと、きらりと光るものが視界に飛び込んできた。悲しいほどに軽くて薄い金属の塊。真ん中でパキリとまっぷたつになったその刃が、膝丸のすべてだった。


 ずいぶんと寂しくなってしまった屋敷を見渡して、失ったものの大きさにすこしだけ泣いて、残った仲間たちと手を取り合い復興を誓ったのが一月前の話である。時間を巻き戻せるならばあんな約束など口が裂けてもしないのに。
 襲撃してきた遡行軍の中に異形と化した膝丸を見たときの絶望は言葉にできない。すこしでも愛していたら違う感慨が浮かんだのだろうけど。
 それにしても木造の屋敷はよく燃える。障子越しの真っ赤な火の粉、じりじりと炙るような暑い空気。去っていく夏が盛大な別れの挨拶をしているようだ。炎に包まれた本丸の一室で、後悔は先に立たないのだと身をもって痛感していた。


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