※DV女主とマゾ膝丸

 己より劣っているものしか愛せないくせに、横に並び立つならば誰もが一目置くような優秀な男でなければならないという強迫観念じみた拘りがあった。
 案外、それは簡単だ。愚かで顔の良い男を捕まえて自分好みに教育すればいいだけの話だ。なんせ私より聡明で狡猾な男など、今までに存在した試しがなかったので。

「主のことが好きだ」

 長く生きているというのに少年のように頰を染め愚鈍な告白をしてきたこの刀に、私は久しく感じていなかった支配の予感を覚えた。審神者になってから、めっきり色恋とは遠ざかっていた。本丸では言葉通り人間離れした美貌の男たちに囲まれていたわけだが、元来面食いというわけではないので気分が高揚することはなかった。容貌が美しいことよりなにより、踏みつける相手が欲しかったのだから。
 しかし、この男ならば私に釣り合うだろう。私に似合う美しい操り人形になってくれる。主人に対する好意と恋愛感情をごっちゃにしている刀剣は少なくはなく、この男もおそらく同じだろうが、物事が都合良く進むのなら知ったことではない。私は彼の告白を受け入れた。
 私の自尊心を満たすという点において、男は完璧だった。所作や言動は元が優れていたことはもちろん、こうしてほしいと要求すればすぐに私好みに改めてくれた。美しい男を連れて街を歩くのはたまらない。そして彼の手を振りほどき、他所の刀剣男士や審神者と親しげに会話をしてみせれば、彼は面白いほどに嫉妬してくれた。俺のどこが不足なんだ、直すから言ってくれ、もとの俺らしいところなんて一つもなくなってしまっても構わない。足元に縋り付いて懇願する男を見るたびエクスタシーに似た脳内の快感を覚えた。そうして、うるさいと振り上げた拳を避けることもせずに、私の気がすむまで暴力を受け入れてくれる。彼の忠誠は主従の延長なのか、それとも盲目的な恋情に起因しているのか、判別はつかなかったが私はこの関係に満足していた。世間では共依存とか言うのだろうか。ああ、くだらない。私は、膝丸が、好きだ。


 恋愛というのは耳触りのいい契約だと思う。恋人同士という名の下で、相手の自由を奪うことが許される。私にとってそれはマウントを取るための手段であった。
 支配下に置かれた多くの人間がそうなるように、付喪神である彼も精神の均衡を崩している。今日は私が浮気をしているのではないかという疑心に取り憑かれてストーカーのように後を尾け回してきた。いい加減苛々するし他の刀剣たちの目も痛いので、彼の部屋に連れ込んでいつもの行為を開始する。自分よりずっと体格がよく上背のある男が恨みがましく涙を浮かべ、腕を引かれるままについてくるのは気分が良かった。

「主は俺のことが好きではないのだろう。どうしてなにも言ってくれない? やはり他の刀剣と懇ろになっているのか? 俺が鬱陶しくなったから目も合わせてくれないのか」
「黙れ」

 ぱしん、乾いた音と共に手のひらに痛みが散った。
 頰を打たれて男は一つ涙を流す。しかしその唇は歪んだ弧を描いている。ああ、鬱屈している。私も彼も。今日はじめて直視したその瞳には暗い喜びが浮かんでいた。

「お前のせいでみんなから白い目で見られるだろうが。気持ち悪いんだよ」

 張り手を拳に変え二発目を打ち込む。私の力でぶん殴られたくらいで男の体幹は揺るがない。それをいいことに突っ立ったままの男を繰り返し殴打する。形のよい頬骨に拳がぶつかり、己の手がジンジンと焼けるように痛み出したころにやっと止める。赤く腫れ上がった頰に涙の筋を光らせながら、彼はどこか恍惚としたように目を細めて私を見上げた。

「あるじ…」

 口内が切れて血が溜まっているのだろう、呂律の回らない舌で呼びかけてくる様に少しだけ罪悪感が沸き起こる。「もう寝る。着いてくるな」と吐き捨てて足音を鳴らしながら自室へ帰った。

 深夜、暑苦しさに目覚める。冷たい水を飲みに行こうと厨へ足を向けると、流し台の上の小さな蛍光灯がついていた。目を凝らすまでもなく、すぐに後ろ姿で誰か分かった。寒々しい人工の光に浮き上がって、その背中は悲しいくらい頼りなく見えた。
 数歩近づいたところで彼は気配に気づき振り返る。殴られた頰にタオルでくるんだ保冷剤を当てて冷やしているようだった。私の姿を認めると切れた唇をにっと緩めて微笑む。痛々しい笑顔だと思った。

「眠れないのか?」

 傷をつけられてなおこちらを気遣ってくれる優しさが腹立たしくて愛しい。彼の手をそっとずらして腫れた頰に触れてみても拒否しなかった。

「痛い?」

 氷でひんやりと冷えていたそこはしばらく撫でていると再び熱を持ち始める。男は心地よさそうに目を細めた。

「主の手が好きだ」
 
 散々殴られたはずの手のひらに愛しげに頬擦りをする様は幼い子供のようで、私の母性と嗜虐欲を同時に満たした。ああ、好き。愚かな男が大好きだ。私のだいじな操り人形、きらきら光るとっておきのアクセサリー。この手でぼろぼろにして捨てるのが楽しみだし、永遠に手放したくもないと思う。私の欲は矛盾している。

「殴ってごめんね。膝丸が大好きだよ」

 嘘ではない言葉を囁けば、男は嬉しそうに笑ってぎゅっと私の背に腕を回してきた。あたたかく湿った体温が不快ではない。

「ああ…。君は俺を捨てないと信じている。他のどんな男へ目移りしても、必ず俺のところへ帰ってきてくれるだろう? 君が苛々するのは俺が至らないせいであるのだから、いくら殴ってもいい。だからずっと俺の所有者でいてくれ」

 甘ったるい声で屈折した独占欲を発揮されるのが気持ちいい。恋人同士、という以前に、人とモノ、としての距離感が今までにない感覚で癖になる。

「ごめんね、痛いでしょう? 今から手入れしてあげるね」

 不恰好に膨れた頰を撫でさすりながら呼びかけると、彼は白痴のように微笑んだ。蛍光灯の白い光に照らされて、その瞳は底知れぬ月の沼のように光っていた。



 今日は膝丸さんが料理手伝いだって、と脇差の一振りが話しているのが聞こえ、なんとはなしに恋人の料理姿を見てみようと思い立った。
 席を立つと彼らの目線がこちらに向くのを感じる。本丸の刀たちはなまぬるい目で私たちのことを観察している。

「ねえ、主さま、あんまり膝丸さんに入れ込まないほうがいいですよ」

 別れたほうがいいと遠回しに私に忠告してくる者も少なくないのだが、なぜか引っかかりを覚える物言いだった。確かに膝丸とは進んで不健全な関係に甘んじていると思うが、盲目になっているのは彼のほうではないか。適当に返事をして厨へ向かう。
 晩御飯のいい匂いが鼻をくすぐる。先刻、買い出しから帰ってきた燭台切が「今日の夕飯はポトフだよ」と言っていたから楽しみにしているのだ。暖簾をひょいとかき分けて厨へ顔を出すと、ちょうど膝丸が背を向けてトントンと食材を切っているところだった。刀ではなく包丁を持つ姿も様になっていて格好いい。やはり良い男と付き合ったものだと優越感に浸る自分は、もしかしたら脇差の言う通りすっかり惚れ込んでいるのかもしれない。
 そろそろ声をかけてみようかと思いながら彼の後ろ背を見守っていると、カタンと音を立てて包丁を置いた。どうしたのだろうか。彼は指を鍋の上にかざしてなにかしている。

「膝丸さん!」

 突然大きな声がしてびくりと体が跳ねた。燭台切が米袋を抱えて蔵から帰ってきたのだ。

「指を切ったの? 大丈夫かい?」

 燭台切は大股で膝丸に近寄ると心配そうにその手をのぞきこんだ。
 二人とも私が見ていることには気づいていない。

「ああ。人参の皮を剥いている途中で、手が滑ってな」

 そうか、指を切ったのか。可哀想に、手入れをしてあげないと。でもなんで鍋の上に指をかざしていたのだろう?

「うわあ、慣れてないのに任せちゃってごめんね。血が出てるね」
「問題ない。このくらいの傷ならばすぐ直せる」
「そうだね。悪いけど料理を手伝ってもらいたいし、いま直してもらっていいかな」

 ああ、と答えた彼がもう片方の手で傷口を撫でる。私の場所からはなにが起こっているのか見えない。どうして手入れ部屋に来ないのか。不審な気持ちが膨らんで、わざと床を鳴らして彼らに近づいた。

「やあ、主。まだご飯はできないよ?」

 振り向いた燭台切が笑顔で手を振る。なにかを察したのか膝丸はじっと私を見つめた。

「指、切っちゃったの?」

 いまだ手を押さえている膝丸の手を剥がして傷口を見やる。が、そこにはつるりとした白い肌が光っているだけだった。

「聞こえてたの? でももう大丈夫だよ。このくらいすぐに直せるからね」
「……どういうこと?」

 屈託無く話す燭台切から目をそらして膝丸を見つめる。

「僕たちは軽い怪我なら手入れをするまでもなく直せるんだよ。知らなかった?」

 黙ったままの膝丸に代わって燭台切がにこやかに説明する。私は言葉を失った。
 膝丸の瞳がぎらぎらと光る。宝石のようなその表面に硬直した私の表情が映り、ふいに不気味に歪んだ。

「心配させてすまなかったな」

 笑っている。
 ではなぜ私に殴られた程度の傷を直さなかったのか。
 …そんなの、考えればすぐに分かることだった。すべては私の思い通りにさせるため。気持ちよく彼を支配するためのお膳立てをしてくれていただけだったのだ。
 食えない男だ。無性に腹が立って、今夜は酷くしてやろうと思ったが、それすら彼の策の内だろうからああ、嫌になってしまう。もう知らない。手を払って踵を返した私の背中に、男は肌が粟立つほど甘い声で呼びかける。

「主、今夜の鍋は期待していてくれ。必ず君の口に合うものを作ろう」

 振り向いて見た彼の笑顔は獣じみていた。
 そこにマゾヒスティックな支配欲を見る。捕らえられているのは逆に私のほうかもしれないと、初めて気がついた。私の上に立つなんて許さない。お前の思い通りになんてならないぞという意思表明に、その夜、鉄臭いポトフをぜんぶ残して夕餉の席を立てば、男は残念そうに眉を下げた。ああ、よかった。私は己より劣っているもの、愚かなものしか愛せない。まだしばらくはこの男を愛していられそうだと、内心、胸を撫で下ろした。

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