5

 目が覚めると布団の中にいた。
 飛び起きた瞬間、股から腰にかけて激痛を感じて思わず呻く。
 腰をさすりながらあたりを見回す。私の部屋のようだ。廊下へ続く障子戸は閉まっているが、こぼれる光からまだ明るい時刻だと分かる。

 いったいなにが起こったんだっけ。

 思考をめぐらせた瞬間、遠ざかっていた記憶が一気に戻ってきて、横っ面をビンタされたかのような衝撃と共に覚醒する。顔を覆った。そうだ……膝丸とあんなことやこんなことになってたんだった。覆った手のすき間からちらっと己の体を見下ろすと、服は新しい清潔なものに換えられていて、肌にも下着にも不快なところはない。誰かが世話を焼いてくれたのだ。
 羞恥と鈍痛に呻きながら立ち上がり、足を叱咤して歩を進める。股関節が痛くて仕方ない。生まれたての子鹿のような歩き方になってしまう。
 廊下に出て様子をうかがう……やけに静かだけど、まさか、まさかとは思うけど、神隠しとか……ないよね…。縁側に出たところで、庭で遊んでいる短刀たちと畑当番をしている連中が見えたので、ほっと息をついた。審神者が刀剣男士に神隠しされるという噂話はまことしやかに流れていて、気が気でなかったのだ。

「あっ…あるじさまー!!」

 不意に今剣の声が聞こえて振り向くと、彼は大急ぎでこちらに走ってくるところだった。

「めがさめたんですね! しんぱいしてました!」
「今剣…どうなってるんだか説明してくれる?」
「はい!」



 まだ本調子ではないから安静にしてくださいと言われ、布団に座らされた私は今剣と正面から向き合う。

「あのひ…あるじさまが膝丸のへやにはいって、でてくるまでに、二日かかりました」
「二日?!」

 今剣は哀れむような目を向ける。

「へびのこうびは…ながいんです。ぼくたちがいいかげんにやめろってとめにいかなければ、もっとつづいていたとおもいます」

 信じられない……二日もぶっ通しで膝丸と交わっていたのか…そりゃあ股も腰もガクガクするわけだよ。むしろ裂けてなくてよかった。
 ところでなんで私は膝丸とセックス始めたのだろう。ああ、房中術を通して彼の霊気を抜くためだっけ…。

「ねえ、膝丸は人間の姿に戻ったの?」
「はい。ぼくたちがとめにいったときには、にんげんにもどっていましたよ。にんげんにもどってからもあるじさまをだいてたみたいですが…」

 あの蛇野郎の性欲はどうなっているんだ。精液出し尽くしてカラカラにならないのか。
今剣が首をかしげて私を見ている。

「なぜ、石切丸のおふだをつかわなかったんですか?」

 お札。封魔の術をかけた呪符のことだ。成り行きで膝丸に身を任せることになってしまい、使わないまま捨ててしまったもの。確かにあれを使うべきだったのだ。蛇毒の媚薬作用で酔っていたとはいえ、後先構わず安直に体を許しすぎた…と今になって反省するのみである。

「石切丸は、膝丸があるじさまをおそうかのうせいがあることをしんぱいして、おふだをわたしていたんです」
「え? そうだったの?」

 今剣は語る。
 霊気を交換するために房中術という手段があることは、多少なりとも呪術の心得のあるものにとっては有名な話であるという。特に使役霊と術者の間では肉体関係を持つことは珍しくない。良い働きをしてくれたご褒美として、僕しもべに体を許す術者もいるとのことだ。
 だから房中術にかこつけて、膝丸が私との交合を求めることは考えられる事態だったらしい。
 しかも、

「膝丸はあるじさまのことがすきだって、ぼくたちしっていたんです。それにれいりょくのぼうそうで、りせいをコントロールできなくなっているかのうせいもありました」
「……なんでそれを早く言ってくれないのよ…」

 知っていたら蛇窟に飛び込むような真似はしなかった。というか膝丸は私のことが好きだったのかよ。性交中に何度も好きだと言われたのは、官能が生む一時の甘言ではなく本心だったのか。

「ごめんなさい…。でもぼくたち膝丸のこいをおうえんしてましたから…」

 同じ主に従うものとして主を傷つけるような真似は許さないが、合意の上で性交に及ぶのならよいだろうという総意に至り、石切丸のお札を持たせて送り込んだという。
『万が一意に沿わないことを要求されたときにはこれを使うんだよ』
彼に言われた言葉の意味を今さらになって理解した。


「ごうい、だったんですよね?」
「合意っていうか…。いや、確かに最初は合意ではあったけど…」

 二穴責めされてさんざん中出しされたあげく、二日も抱き潰されるとは思っていなかった。どうしよう、妊娠とか、大丈夫だよね…? 相手は半分蛇だったしそもそも刀だし…。

「うーん、とりあえず、あるじさまがおきたら膝丸をよぶようにたのまれているので、よんできますね」
「えっ?! 合わす顔がないんだけど…」
「こんごのことは膝丸とはなしあってください」

 なにせ膝丸はあるじさまと結婚するつもりでいますから、と言い残された言葉に肝が冷えた。





「顔を上げてくれ」

 真っ赤になってうつむいたままの私にひかえめな声がかかる。そろそろと目線だけ上げると、こちらも若干気まずそうな顔をしている膝丸と目が合った。
 私の目の前に正座している彼はちゃんと二本の足がある。すっかり人の姿に戻れて大団円と言いたいところだが、諸手を上げて喜ぶ気分には到底なれなかった。

「無理をさせてしまってすまなかった」

 頭を下げ、まず謝罪の意を表されて、少なからず拍子抜けさせられる。

「体は痛むか? 」
「……うん、ちょっと」
「すまない…気持ちが昂ぶってしまって止まらなかった」

 顔に熱が集まる。恥ずかしげもなく熱情を口に出されては平常心を保つのが難しい。それに、そんな愛しげな目で見られるのには慣れていない。

「……神隠しとか、されるかと思ったよ」

 ぼそりと呟くと、膝丸はむっと顔をしかめた。

「そんな野蛮なことはしないぞ。するとしても君の合意がないと無理だ」

 そういえば性交する際にも膝丸は私の合意を得てから事に及んでいた。変なところで生真面目な彼はその辺の線引きがしっかりしているんだろう。
……つまり私の合意さえあれば隠すこともやぶさかではないということだろうか。
 空恐ろしい気分になり、黙ったまま視線をうろつかせていると、彼はふっと表情を崩して微笑んだ。

「…こんな形で君に想いを伝えることになってしまってすまない。多少順序を間違えたことを許してほしい。本来なら一夜を共にする前に伝えるべきだったな…。勿論、昨日のことは責任を取るつもりでいる」

 膝丸は居住まいを正して畳の上に手をついた。

「俺と夫婦に、」
「ちょっ、ちょっと待って!!!」

 膝丸が婚姻の旨を言い切る前に私は声を張り上げた。
 目をぱちくりさせて私を見つめる膝丸の視線を受け止め、いたたまれない気持ちになりつつも口を開く。

「あのね……、膝丸の打たれた時代はどうだったか知らないけど、私の時代では、性交したからって即座に結婚には結びつかないの…。だから責任取って結婚とかは、必要ないかなって…」

 このままでは娶られると危機感を覚え、とっさに口に出した台詞ではあったが、あながち嘘ではない。

「……ふむ、そうなのか」

 しばし考えこむ仕草をした膝丸だったが、すぐに明るい表情をして顔を上げる。

「そうか、まずは恋人として関係を深めていきたいということだな? 確かに君には審神者としての仕事があるし、俺の妻になるのは時期尚早かもしれないな。祝言を挙げるのは数年後でも構わないぞ」

 どうして話がそういう方向に転がるんだ…。

「いや、私…膝丸と結婚する気、ないから……」

 精神が疲弊してきたが、なんとか絞り出すように言い切る。私には現世に残してきた生活があるのだ。少なくとも今のところは膝丸をはじめ付喪神と結婚するつもりはない。
 だが私の発言が心外だったのか、膝丸は傷ついたように目を見開いた。

「まさか、君はすでに心に決めた人がいるのか?」
「そういうわけではないけど…」
「ならば俺を恋人にすることに何の問題もないだろう?」

 私が答えあぐねていると、「それに」と膝丸が言葉を続ける。

「君の胎だ」
「………?」
「俺との子がいるかもしれない」

 きらきらと目を輝かせる膝丸とは対照的に、私の顔からは血の気が引いていった。長い沈黙のあとようやく開いた口はからからに乾いていた。

「……あの一回の性交で、妊娠する可能性は低いよ」

 人間が妊娠するためにはタイミングが大きな割合を占める。一度性交したからといって、たとえ精液を大量に注ぎ込まれたとしても確実に妊娠するわけではない。
 そもそも膝丸は刀だし、あのとき突っ込まれたのは蛇の性器だったし。万一の可能性を考慮するなら、こんのすけに頼んでアフターピルを取り寄せてもらえばいい。それでも駄目なら最悪堕胎すれば。
 そう筋道立てて考えていても、さんざん精を飲まされた胎はいまだに重く、冷や汗はだらだら流れて、不安が拭えることはなかった。
 しかし私の懸命な思考は、小首を傾げる膝丸に呆気なく打ち砕かれる。

「蛇の精子は雌の胎の中で二、三年生き残るということを知っているか?」

 それが意味することを理解できないほど愚鈍ではなかった。

「人の子が生まれるまでには十月十日だったか…。ならば俺の子を二、三人は生めるだろう」

 蛇の精子が胎の中で元気に泳ぎ回っているなら、アフターピルなんかに効果はない。
 たとえ堕胎しても堕胎しても、排卵が起こるたびに蛇の子を妊娠するという事実。一年で十二回。×かける二、三年、対策しなければ孕むということだ。避妊薬を飲み続ければなんとか抗えるかもしれないが、

「だが、古い精を残しておく気もないのでな、何度でも新しく注ぎ直してやろう」

 では何年間膝丸の子を孕み続ければいい?
 ようやく気づいた。房中術なんていうのは名ばかりで、最初から私を犯して孕ませて手篭めにする気だったのだ。まんまと嵌められたわけである。
 冷たく震える指を優しく取り上げて、膝丸が手の甲に口付ける。なめらかでひんやりした唇がくすぐるように動き、逃げようとした私の手を捕まえる。

「蛇は執念深いんだ。一度手に入ったものを逃がすような真似はしないぞ。主は俺の子を孕み俺の妻となるのだ。約束したろう?」

 取り返しのつかないことをしたと後悔してももう遅い。体の芯まで凍るような心地で子を宿すかもしれない腹を撫でれば、ぞくりと中が呼応するように反応した。
 それは恐ろしいことに、間違いなく甘い疼きで。
 思わず身震いした私を見て、膝丸は満足気に目を細める。

「ああ…、もちろん祝言を挙げるのは君にその気になってもらってからだ。俺は君の嫌がることはしないからな。今はまだ抵抗があるようだが、じきにその気になる。俺なしでは生きていけないと思うようになる」

 毒が回るからな。

 お腹がきゅうっと熱くなり、彼の形に作り変えられる感覚を思い出して疼きだす。
一度胎の中に注がれた蛇の精は中で毒を発し体を蝕んでいるのだ。あの快楽を私が忘れられないように。

 甘い毒に身を任せ蛇の子を生んで、膝丸の嫁になるか。
 それとも堕胎と避妊薬を駆使しつつ、堕ちそうになる体と心に気力の限り抗うか。


 手の甲に呪いのような冷たい接吻を受けながら、私にはふたつの選択肢しか残されていないのである。


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