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「え、あれ……?」

 パタンと勝手に戸が閉まったとたん、外界から遮断されたかのように音が聞こえなくなった。

「どういうことなんだろう…」

 改めて室内を見回せば、闇。濃度の高い闇が部屋中に充満して、足元になにがあるのかさえ見えない。

「……膝丸? いるの?」

 部屋の奥にむかって呼びかける。返事がないから辺りに注意してそおっと足を踏み出した。
 そのとき、シュッと畳が擦れる音がした。よくよく目を凝らして音のしたほうを睨めば、うっすらと、闇の中になにか大きなもののシルエットが浮かんでいる。

「膝丸?」

 ずるずる。呼びかけに反応するかのごとく、大きなものが畳を這う。右ななめ前で音がする。いや、左からも。床にも、天井にもなにかが擦れて。得体の知れない巨大なものが前方いっぱいに広がっている。
 一抹の気味悪さを感じたそのときだった。

「………主…」

 掠れた低い声は間違いなく彼のものだ。私は少なからずほっとした。

「いるんだね。出ておいでよ、膝丸」

 たぶん前方で蠢いている巨大なものは膝丸なんだろう。一体どんな姿になってしまっているのか。怖さもあるが興味がそれを上回る。
だが膝丸は拒絶する。

「駄目だ…出て行ってくれ、主」
「どうして? 膝丸がどんな姿になってても私は大丈夫だよ。体を元に戻してあげるから、出ておいで」

 シュッシュッとまた音がした。あれ、これって、畳を擦る音じゃない。息の音だ。

「いくら君でも、今の俺の姿を見たら怯えるだろう。体のことなら、三日くらい放っておいてくれれば過剰な霊気は抜けて元に戻るはずだ。だから構わないでくれ」

 ムカッとした。そこまで言われると私も意固地になる。大事な刀剣のために勇気を出してここに立っているのだ。今さら異形を見たくらいで尻尾を巻いて逃げ出すつもりはない。なんとしても姿を現してもらうぞと決心した。

「三日も膝丸をほったらかしになんてできないよ! 私はあなたの主なのよ。刀の調子が悪くなったらお手入れして、大事に管理するのは当然でしょう」

 ほんの少し闇の中で沈黙が続いた。もう少し説得を続けたほうがいいかなと口を開きかけたところで、急に足元をすくわれた。
 足首を引っ張られ、ぎゃっと声を上げて倒れこむが、そのままなにかに抱きとめられる。抗いようのない力に引かれ、体が勝手に滑っていって視界が回った。ぐるぐると円を描くように回転させられ、流される感覚はウォータースライダーにでも乗ってるみたいだ。
 やがて動きは止まって、つま先から胸の下までが弾力のあるひんやりしたものに巻きつかれた。

「…君が逃げないからこうなるのだぞ」

 耳元で声が聞こえてびっくりした。そっちの方向を見れば、どこか切なげな金色の瞳がこちらを見つめている。
 どうなってんだか分からないが、私は怖々とそちらに手を伸ばした。さらさらした髪が指に触れて、ちゃんと人間らしき頭はあるみたいだと安心する。
 撫でているうちに膝丸はくすぐったそうに目を細めた。

「よしよし…もう大丈夫だよ」

 子どもにするようにいいこいいこを繰り返していると、私の体に巻き付いているものが甘えるようにずりずりと前後に動く。
 予想はついた。たぶんこれは蛇だ。

「主…、今の俺を見ても嫌いにならないでくれるか?」
「当たり前でしょう」

 ふだんの彼では考えられないような自信なさげな声。励ますように返事をすると、ゆっくりと闇が薄くなり、目の前にいるものの形が明らかになっていった。
 まず見えたのは頭で、これはいつもと変わらなかったが、そこから視線を下ろしていけば異変に気づく。胸までは人の姿だが、腹から下は鱗に包まれ、足は退化して完全に蛇の体になっている。腰回りで太くなった胴は部屋を埋め尽くすように長く伸びて尾になっており、西洋の半人半蛇の魔物を彷彿とさせた。
 しかしそれだけではなかった。薄闇の中で目を凝らせば、彼の背から翼のように生えているものに気がついた。黒っぽいそれはなんだろうとよくよく目を凝らして見ると、巨大な蜘蛛の足だった。ちゃんと八本、背中を突き破って生えているらしい。節の目立つ足は柔らかそうな黒い毛に覆われ、ぞわぞわと蠢いている。

「見事に混ざっちゃったのね…」
「気持ち悪いだろう」

 人と蛇と蜘蛛のキマイラのような姿だ。確かに心の準備なく対面していたら度肝を抜かれていただろう。
 で、私はその太い胴にぐるぐる巻きにされて、簀巻き状になってとぐろの中心にいるのだった。
 驚きながらも身動きは取れず、さてどうしようかなと思っていると、膝丸が腕を伸ばして己の胴ごと私を抱きしめてきた。剥き出しの胸に密着させられ、なめらかな肌と固い筋肉を感じて、心臓が一拍飛ばして鳴り出す。
 突然男の胸に抱かれて驚いている私に、膝丸は熱のこもった苦しげな声で訴えてきた。

「主、助けてくれ…。ああは言ったが、本当は体が熱くて仕方ないんだ」

 荒い呼吸が耳に当たる。私を抱きしめて頬を擦りつけてくる膝丸は本当に辛そうだった。こんな姿に変貌してしまうくらいだ。増えすぎた霊力を必死に抑えても、制御できない奔流が体の中で放出を求めて渦巻いているのだろう。悶えるみたいに尾がびたんびたんと床を打つ。さすがに可哀想で居ても立ってもいられなくなった。

「よしよし。すぐになんとかしてあげるからね」

 と言ったものの。肩に押し付けられている頭を撫でながら考えるが、どうやったら霊気を抜いてあげられるんだろう…?
 審神者から刀剣に霊力を与えることは簡単だ。本体の刀に手を添えて念をこめてやればいい。だったら余分な霊力を抜いてあげるのも、本体の刀に細工したらいいのかな。

「ねぇ……私はどうしたらいいかな? できることならなんでもしてあげるよ?」

 本人に聞いてみるのが一番と思い、問いかけたところで。
 いきなり頬を両手で掴まれて、顎を上げられたかと思ったら、唇に噛みつかれた。呆然としているうちにぬるりと舌が入ってくる。柔らかくて温かな粘膜同士が触れ合って鳥肌が立つ。にゅるんと上顎を擦られて思いがけない快感に体が跳ねた。ようやく我に返って膝丸の肩を押して離れようとするが、抵抗むなしくぢゅうぢゅうと口を吸われる。

「んっ?! ん…!! はっ、ひざま、むっっ…!」

 なんとか逃れた一瞬のうちに声を出すが、言葉を作った唇がその形のまま再び塞がれてしまう。驚くほど長い奇妙な感触の舌が荒っぽく蹂躙してくるのに対し、たまに唇を吸ってくる力は優しく。そのバランスの取れない不安定な力加減がそのまま彼の余裕のなさを表していた。

「じゅっ…ちゅっ、んっ、ぷはぁ……は、膝丸…! いったいどういうつもりなのよ…!」

 さんざん舐られて唇が腫れ上がってしまいそうなほど長い口付けのあと、ようやく解放された私は怒気をあらわに詰問する。だが不意打ちのキスに思いがけず快感を拾ってしまった口では、腑抜けたような力無い声しか出てこないのだった。己の情けなさに苛ついたが、しかし膝丸の少しも悪びれない恍惚とした瞳を見た瞬間に、自分に対する怒りなど吹っ飛んでしまう。

「主、俺を助けてくれるんだろう? ああ…これ以上抑えられない。体が疼いて苦しい。目の前にこんな柔らかい肉があるのだから喰わずにいられるものか」

 はぁはぁと息を荒げて頬を上気させている膝丸は明らかに様子がおかしい。いや、それより、ちょっと待って…私もしかして喰われる? ぺろりと舌舐めずりをした膝丸の舌はなんと二つに割れている。蛇舌だ。だからさっきのキスで変なかんじがしたのか…。赤い口からのぞく牙もいつもより鋭く、長い。これはヤバいのでは? もしかして石切丸のお札の出番かな?
懐に手を入れようとした瞬間、膝丸の指が唇に割り込んできた。

「主。俺の霊力を抜くために、君の体を貸してくれ」

 噛むこともできずにんんーっ?! と声だけで疑念を表すが、お構いなしに親指と人さし指で顎を押し開けられてしまう。
 大きくこじ開けられた口に、膝丸も同じく口を開けて押し当ててくる。唾液と共に先ほどの蛇舌が捻じ込まれた。少しとろみのあるような、甘いような薬くさいような不思議な味の唾液をとめどなく送りこまれる。口の中がいっぱいで苦しい。その状態のまま頬の内側や舌の裏を二枚舌の先で撫でられれば、ぐちゅぐちゅと淫らな水音が響く。
 息が止まりそうだ。交わる唇からは溢れた唾液が糸を引いて垂れてしまう。口内を埋め尽くすそれを、こくこくと喉を鳴らして飲み干すしかなかった。

「……ん、ひっ、ふ……、なんなのよ、これぇ…!」

 力が緩んだ瞬間に顔を引いた。口元を拭いながら目の前の男を睨み上げる。

「なんでこんなことするの?!」
「なんでもすると言ってくれただろう?」
「いやっ…だからって、キスとか…! おかしいでしょ!」
「おかしいことはないぞ。もしや、主は房中術の類を知らないのか?」
「ぼ、ぼうちゅー……?」

 顔が熱い。明らかな興奮と情欲を孕んだ目で見つめながら頬を撫でられて、お腹の底からぞくぞくするような感覚がこみ上げる。

「房事を通して気を操る、養生術の一種だ。雄には陽、雌には陰の気があるとされ、互いの気を取り入れることで調和を図るという。ちょうど俺は男体として顕現しているし、主は女体だから都合がいい。俺の過剰な霊力を捨て、主から霊力をもらうことができるから一石二鳥だ」
「え、え……? ちょっと待ってくれない…?」

 テンパった頭では言ってることの半分も理解できなかったが、あらぬ方向に話が転がっているのは察した。

「その、房中術って、なにをすればいいの」
「まあ堅苦しい名称こそあれど、つまりは性交するのが手っ取り早いということだ」

 やっぱり! 薄々勘付いてはいたけど言葉にして宣言されると衝撃が走った。なんでもするとは言ったけど、刀と性交するとは予想外すぎる。世の中には刀剣男士と恋仲になったり肉体関係を持つ審神者が少なくないことは知っているが、私はあくまでよき主従でいることに心を砕いていた。だから当然、特定の刀を寵愛することも、職権の濫用で夜伽を命じるようなこともしてこなかったのである。
 まさかここにきて操を破ることになろうとは。しかも半妖と化した膝丸とどうやってセックスするというのか。

「ねぇ、膝丸…それはちょっと差し障りがあるよ。他の方法を探さない…?」

 ひかえめに彼の申し出を拒絶すると、膝丸はとたんに悲しそうな顔になった。

「……そうか。斯様に醜悪な姿と成り果てた俺とは、交合などしたくないよな……」

 わさわさと背中の蜘蛛足が動く。確かにこれだけ見れば化け物だ。気持ち悪い。けれど、見た目が怖いから性交したくないわけではないのだということを伝えたくて、私は慌てて口を開く。

「醜悪だなんて思ってないよ。どんな姿でも膝丸は私の大事な刀剣だから、見た目で嫌いになったりなんかしないよ…。でもね、やっぱり、いきなりセックスするってのはどうかな…わたし心の準備が…」

 うなだれた彼の頭を撫でながら、私も下を向いてもごもごと呟く。頬が燃えるようだ。恥ずかしさとさっきのキスの余韻でいっこうに熱が引いてくれない。そもそも口付けされただけでも心臓が早鐘を打って鳴り止まないのだ。性交なんてしたらどうなってしまうのか。

「…主、では今さら俺を放ってどこかに行ってしまうのか?」

 上目遣いに視線を上げた膝丸の目がうるうると哀切に光る。ふだんは気丈な彼がこんな表情をするのは初めてで、胸を揺さぶられるような感傷を覚える。

「この体は、苦しい。早く霊力を抜いて楽になりたい。君がどうにかしてくれないとおかしくなってしまいそうだ…。見捨てないでくれ…」

 切羽詰まった口調で懇願してくるうえ、ぎゅうっと胴を絞めつけてくる。蛇体に巻きつかれた体が圧迫感を増し、骨が嫌なかんじに軋むのを感じた。苦しい。命の危機を覚え始める私に、膝丸は再び頬を擦り付け、駄々をこねる子供のようにしがみついてきた。

「主、頼む…行かないでくれ。このまま抱かせてくれ…!」
「わ、分かった分かった! してあげるから…! その、怖いことと痛いことはしないで…」

 頭を押し返すようにしながら声を張り上げると、やっと彼は力を緩めてくれた。

「ああ…ありがとう、もちろんだ。君に苦痛を強いるような真似はしない」

 先ほどの捨てられた子犬のような様子とは打って変わり、喜色と興奮を浮かべた目がこちらを見据える。

「君のことも、ちゃんと善くしてみせるからな…」

 甘ったるい響きを含んだ低い声で囁き、ぺろっと長い舌が頬を舐め上げた。蛇さながらのその姿にぞっと鳥肌が立つ。射抜くような強い光を宿した瞳が近づいてきたので、まぶたを閉じて三度目の口付けを受け入れる。
 唾液で湿った唇を甘く噛み、裏側の粘膜をゆるゆると舐めたあとに深く侵入してくる。強請るように突かれる舌をおそるおそる差し出せば、ちゅ、ちゅっと音を立てて吸われ、あげく軽く牙を立てられて、痛みと快感の融合した感覚に体が跳ねた。髪の中に指を這わされて、そっと付け根を撫でられるのがぞくぞくする。塞がれた口の端が震える。声を抑えられない。気持ちいい。キスだけでこんなに感じてしまうなんて。
 ぴくぴくと揺れる体は固い腕と蛇体に抱き締められ、逃げるどころか身悶えることすらできない。舌を絡めて擦り合わせ、流し込まれる唾液を夢中になって吸っているうちに、なんだろう、この味は。ふつうの体液じゃない気がする。

(甘い、薬みたいだ……)

 頭の中がぼうっとする。強いアルコールを飲んだときみたいに喉が焼けつくように熱い。でももっともっと欲しくなって、膝丸の舌と頬を舐めては吸い、分泌を促進しようとしてしまう。
……いや、これ、やっぱりただの唾液じゃないわ。

「ふ、あ…っ、ひざまる、これ…なに? なにのませたの?」

 酔っ払ったみたいに呂律が回らない。それでも必死に涙でにじんだ視界で彼の顔を見上げると。

「気づいたか。これは蛇毒だ」
「蛇毒…」

 膝丸はぱかっと大きく口を開いた。すると見る間に、上下の牙の先端からぽたぽたと雫が滴り落ちていく。

「案ずるな。蛇の毒は傷口から直接体内に注ぎ込まないかぎり害にはならない」

 ほとんどの蛇毒は蛋白質から構成されている。だから口から摂取したとしても消化酵素で分解されて毒性を失うのだ。咬み傷から直接血流に乗らなければ効力を発揮しないものが多い。
 しかしそうだとしたら、この体の異変はなんなのだ。

「ん…でも、なんか体がおかしいよ…! 熱いの…!」

 全身の細胞が茹だっているみたいに熱くてもどかしくてたまらない。触られていないのが苦しくて体の奥が震えだす。

「ふむ……どうやら、特殊な効果があるようだな。毒にはならないので飲ませてみるのも一興かと思ったのだが」

 突然、体を絞めていた蛇体が弛み、代わりに股の間に割り込んできたものがある。服越しにぐいっと押し当てられたのは、腕ほどの太さの固い蛇の尾。

「ひっっ?!♡」

 待ち望んでいた刺激に背が反って、それだけで軽く達してしまう。

「媚薬作用があるのか」
「んっ、んんーっっ!?」

 ズリズリと股に挟んだ尾を前後させられて、敏感な場所を擦られる快感に腰が砕けそうになる。しなやかで筋肉質な尾が柔らかな秘部の割れ目に食い込んで、乱雑にごりごりと擦る。刺激に応じて熱いものが股から溢れるのを感じた。
 おかしい…。気持ちよすぎて変だ。ちょっと触られるだけでこんなに気持ちいいなんて。

「あっ…ひ、膝丸…、媚薬って、まさか蛇毒が媚薬の役割をしてるの…?」
「主の反応を見るにそのようだな」

 粘膜からわずかに吸収された毒液が、媚薬の役割を果たして全身を駆け巡っているらしい。まさかそんなことが。じゃあキスをしたあとから体が熱かったのは、緊張のせいではなく蛇毒のせいだったのか。

「面妖なこともあるのだな。しかしこれならますます君を悦ばせることができる。女人を愉しませることは房中術の基本だからな」

 膝丸は嬉しそうに言って、私の服の襟に手を伸ばしてきた。太い尾で股を圧迫され続けてろくに抵抗できない私の衣服を簡単に脱がしていくと、懐から転がり出てきたお札に気がついたようだ。

「ん? これは、石切丸の呪符か」

 封魔の術をかけたお札だ。膝丸は目を眇めてそれを指先でつまむ。

「なるほど、これを貼られたらさすがにひとたまりもないな。で、どうする主。今ならこれを使って、俺を封じ込めることができるぞ」
「う、ん…?」

 すっかり息が上がってしまい、涙ぐんだ目で膝丸を見やる。私が返事をしやすいように秘部でうねうねしていた尾の動きを止めてくれたが、刺激を失った体はとたんに切なさに襲われる。たまらなくなって内腿で尾をぎゅっと挟めば、固い圧迫感が心地よい。でもそれだけじゃ足りない。

「そんなの、使わない…! だからやめないで…。もっと、欲しいの…気持ちよくなりたい…」

 挟んだ内腿を擦り合わせるように動かすと、蛇の縦に裂けた瞳孔が細まった。シュッと笑い声のように息が漏れる。

「ならば俺と主は合意の上で体を交えるのだ。いいな?」

 膝丸の手の中で呪符がグシャッと握り潰された。狂喜の滲んだ熱い目で射竦められつつ、あっという間に全裸に剥かれてしまう。

「望み通り、蛇の毒で君の体をぐずぐずに蕩かし、この異形の腕で快楽を叩き込んでやろう」

 太い蛇の体が歓喜を表すように波打ち、蜘蛛の足が私の背筋をぞぞっと撫で上げた。


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