※異形化、蛇姦
刀剣男士が人体を得る際、歴代の持ち主や刀に伝わる逸話を元に人の姿を形作っているという事実は、少しでも彼らに関わったことがある者なら誰でも知っているだろう。
裏を返せば持ち主や逸話が多いほど、顕現するときに影響を受ける要素が増えるということである。例えその逸話が創作だったとしても……極端に言ってしまえばその刀剣の存在自体が空想の産物だったとしても、刀を巡る人の『思い』が具現となって男士の姿をとるのだ。
そこで困った問題も出てくる。
「刀剣の付喪神である彼らが顕現の能力になんらかの支障をきたしたとき。様々な逸話の混じり合った、こんがらがった化け物に変貌してしまうというのは、理論上はありえる話です。ゆめゆめご注意を」
と、私は審神者になってすぐにこんのすけに説明を受けた。
うちの刀剣男士にかぎってそんなおそろしいことは起こらないだろう、とすっかり忘れて一年経つ。
まさか今朝になってそれを思い出すはめになろうとは。
「膝丸のようすがおかしいです。あさごはんのじかんになってもおへやからでてきません。ぼくがしんぱいしてこえをかけても、『放っておいてくれ』のいってんばり。膝丸はひきこもりになってしまったんでしょうか? どうしましょう、はんこうきです!」
朝食の場から引っ張り出された私は今剣に先導され、齢千年を越えて遅めの反抗期を迎えたという太刀の部屋を訪れていた。
「うーん、反抗期ねえ…」
固く閉ざされた戸を一瞥したときから、事態はそんな些細なものではないと察していた。戸のすき間から溢れる瘴気に近いほどの濃い霊気が異常を物語っている。
「あるじさまがこえをかければはんのうするかもしれません」
今剣が困ったように眉を寄せる。とにかく心配になった私は大きく息を吸って襖戸の向こうへ呼びかけてみた。
「膝丸、どうしたの? 心配してるから出ておいで!」
張り上げた声は板張りの床に反響し、室内の彼へも確実に届いたと思われるが、しばらく待っても反応はない。気配が全くしないわけではないから室内にいるのは確かだと思うのだが、音一つ立てない様はまるで息を殺して潜んでいるかのようだ。
私たちは顔を見合わせた。
「どうしたんだろう…。こんなことって珍しいよね」
膝丸という刀剣の性質がそうなのか、我が本丸の彼も責任感が強く真面目な性格をしている。そんな彼が朝寝坊するなどもってのほか、部屋に引きこもって主の呼びかけに返事をしないというのも異常事態だった。もしかしたらよほど具合が悪いのかもしれない。
「膝丸には悪いけど、戸をこじあけて様子を見てみよう」
しかし襖の引き戸を掴んだ手はバチリと静電気のようなものに弾かれて、鋭い痛みと共に跳ね除けられる。
「痛っ! 術がかけられているね…」
「そこまでしてへやにはいられたくないんでしょうか…?」
いよいよ心配になってきた。
審神者になってから、ある程度の呪術の知識は身につけてきた。とはいえまだ術者としてはひよっこである。術式を解読すれば膝丸の術を解けるだろうが、解読までに時間がかかることは否めない。
困ったなあと腕を組んでいた私の裾を今剣は屈託なく引っ張り、
「こういうときは、くわしいひとのところにいきましょう!」
他力本願。慣れないことはせず専門家に聞くべきと、向かったのはあの御神刀の部屋だ。
「それで私が呼び出されたんだね」
朝一番の加持祈祷もそこそこに連れ出された石切丸は不満たらたらな様子だったが、膝丸の部屋の前まで来るとはたと真面目な顔になる。やはり彼も異様な濃度の霊気に気づいたようだ。
「おや…。これは…」
片手で印を切って、目を眇めるような仕草をする。おそらく透視のような技を使っているのだろう。
「なにか見えた? 石切丸」
「ああ、分かったよ」
振り向いた石切丸が困ったように微笑む。
「霊力が暴走しているようだね」
怪訝そうな顔をしたままの私たちに小さく笑い、彼は言葉を続けた。
「膝丸くんはつい先日、二回目の特がついたばかりだろう?」
そう。刀剣男士は練度がある一定に達すると、特がついて新たな力を手に入れる。ほとんどの刀剣は一度しか特付きを経験しないのだが、膝丸は二回特が付くというイレギュラーだった。ちなみに兄者はまだ来ていない。
これでますます力が増えたね! やったね膝丸! と喜んでいたのは昨日のこと。
「特がつくと霊力が大幅に増加し、能力も上昇するんだ。私たちは一度しか特が付かないから膝丸くんの二回目の特については想像するしかないのだけど、おそらく一度目の特より増える霊力が多いのだろう」
「なるほど…」
「それで、急に増加した霊力に体が追いつけず、おかしなことになっているようだね」
「あれ、それじゃあもしかして…こんのすけが言ってたあの話かな?」
そこで私は冒頭の、かつてこんのすけに言われた注意事項を思い出したのである。
刀剣男士は付喪神の分霊。審神者の霊力と付喪神自身の霊力とが合わさって、人体を得て顕現している。だから両者のバランスが崩れれば具現の能力に何らかの障害をきたす。
そして膝丸を取り巻く逸話、伝承の多さを鑑みれば、霊力をコントロールできなくなった彼が人の姿を保てずに、様々なエピソードの混じり合った化け物に成り果てているというのは想像に難くなかった。
「じゃあ膝丸は今どんな状態になっているの? 石切丸には見えたんでしょう?」
己の推測が正しいかを確かめたくて石切丸に問えば、彼はまた困ったように笑う。
「うーん…人間離れした姿になってしまっているから、君たちに見られたくないんだろうね」
石切丸は配慮してくれたが、しかしどんな姿であろうと膝丸が大事な刀剣の一振りであることに変わりはない。霊力が暴走し、急に体が変貌してしまって混乱の中にいるであろう膝丸を、主である私が見て見ぬ振りふりして放置するわけにはいかないのだ。
「どうしたら膝丸は人の姿に戻れるの?」
「おや、助けてあげるつもりなのかな?」
「当たり前でしょう! すぐにでもなんとかしてあげたいよ!」
試すように問いかけてきた石切丸の瞳には、なぜか暗くためらうような光があり。
ーーーなんで? なにか企んでいる?
一瞬不審に思ったが、すぐに彼は真面目な表情に戻ったので違和感は消えてしまう。
「ええとね、おそらくいまの膝丸くんは己の霊力が肥大したぶん、審神者である君からもらった霊力は流れ出てしまって減っている。バランスが崩れているんだよ。だから膝丸くんから適度に霊力を抜き、逆に君が適度に霊力を注ぎ込んであげれば、均衡が元に戻って顕現の能力も戻るはずなんだ」
「はぁ…そうなんだ…」
今剣は黙って私と石切丸とのやり取りを見上げていた。
すっと石切丸が襖に手をかざす。
「この程度の術ならば簡単に解ける。主が中に入るというなら解除するけれど、申し訳ないけど私たちは部屋の中には入れないよ。膝丸くんの放つ霊気が濃すぎて、私たちにとっては毒になる」
私は別段不快には感じないけれど、彼らにとっては害になるらしい。そういえば石切丸も今剣も顔色が優れない。
石切丸がぶつぶつと口の中で呪文を唱える。ゆっくりとその指が戸の間をなぞれば、パチンと解錠されるような音がして襖の結合が緩んだ。これで術が解けたということなのだろう。
「……そうだ。主にこれを」
石切丸がおもむろに懐に手を入れる。私に差し出したのは数枚の呪符だった。すでに術がかけられている。
「封魔のお札だよ」
もし彼が君を傷つけることがあったら、すぐに使うといい。体の自由を奪う作用があるからね。
それを受け取って、私は彼を見上げる。ちょっと不安になってきた。
「そんな物騒なことにならないといいけど…」
「念のためだよ。私も、彼が主を傷つけるとは思っていない。けれど、万が一意に沿わないことを要求されたときには使うんだよ」
「あるじさま! 膝丸をよろしくおねがいします!」
「うん……ん?」
なんか引っかかるところがあるが、緊張した頭の中では違和感の正体を突き止めることができなかった。
それより、ぐだぐたしてたら中の膝丸が可哀想 だと思い、襖の引き手に手をかける。
手を弾くような力は消えており、嘘のように戸は簡単に開く。室内は朝とは思えないほどに暗かった。
私はおそるおそる一歩を踏み出した。
「それじゃあ、がんばってください!」
今剣の声を背後に聞いた直後、自分の意思があるかのようにひとりでに戸は閉まった。
刀剣男士が人体を得る際、歴代の持ち主や刀に伝わる逸話を元に人の姿を形作っているという事実は、少しでも彼らに関わったことがある者なら誰でも知っているだろう。
裏を返せば持ち主や逸話が多いほど、顕現するときに影響を受ける要素が増えるということである。例えその逸話が創作だったとしても……極端に言ってしまえばその刀剣の存在自体が空想の産物だったとしても、刀を巡る人の『思い』が具現となって男士の姿をとるのだ。
そこで困った問題も出てくる。
「刀剣の付喪神である彼らが顕現の能力になんらかの支障をきたしたとき。様々な逸話の混じり合った、こんがらがった化け物に変貌してしまうというのは、理論上はありえる話です。ゆめゆめご注意を」
と、私は審神者になってすぐにこんのすけに説明を受けた。
うちの刀剣男士にかぎってそんなおそろしいことは起こらないだろう、とすっかり忘れて一年経つ。
まさか今朝になってそれを思い出すはめになろうとは。
「膝丸のようすがおかしいです。あさごはんのじかんになってもおへやからでてきません。ぼくがしんぱいしてこえをかけても、『放っておいてくれ』のいってんばり。膝丸はひきこもりになってしまったんでしょうか? どうしましょう、はんこうきです!」
朝食の場から引っ張り出された私は今剣に先導され、齢千年を越えて遅めの反抗期を迎えたという太刀の部屋を訪れていた。
「うーん、反抗期ねえ…」
固く閉ざされた戸を一瞥したときから、事態はそんな些細なものではないと察していた。戸のすき間から溢れる瘴気に近いほどの濃い霊気が異常を物語っている。
「あるじさまがこえをかければはんのうするかもしれません」
今剣が困ったように眉を寄せる。とにかく心配になった私は大きく息を吸って襖戸の向こうへ呼びかけてみた。
「膝丸、どうしたの? 心配してるから出ておいで!」
張り上げた声は板張りの床に反響し、室内の彼へも確実に届いたと思われるが、しばらく待っても反応はない。気配が全くしないわけではないから室内にいるのは確かだと思うのだが、音一つ立てない様はまるで息を殺して潜んでいるかのようだ。
私たちは顔を見合わせた。
「どうしたんだろう…。こんなことって珍しいよね」
膝丸という刀剣の性質がそうなのか、我が本丸の彼も責任感が強く真面目な性格をしている。そんな彼が朝寝坊するなどもってのほか、部屋に引きこもって主の呼びかけに返事をしないというのも異常事態だった。もしかしたらよほど具合が悪いのかもしれない。
「膝丸には悪いけど、戸をこじあけて様子を見てみよう」
しかし襖の引き戸を掴んだ手はバチリと静電気のようなものに弾かれて、鋭い痛みと共に跳ね除けられる。
「痛っ! 術がかけられているね…」
「そこまでしてへやにはいられたくないんでしょうか…?」
いよいよ心配になってきた。
審神者になってから、ある程度の呪術の知識は身につけてきた。とはいえまだ術者としてはひよっこである。術式を解読すれば膝丸の術を解けるだろうが、解読までに時間がかかることは否めない。
困ったなあと腕を組んでいた私の裾を今剣は屈託なく引っ張り、
「こういうときは、くわしいひとのところにいきましょう!」
他力本願。慣れないことはせず専門家に聞くべきと、向かったのはあの御神刀の部屋だ。
「それで私が呼び出されたんだね」
朝一番の加持祈祷もそこそこに連れ出された石切丸は不満たらたらな様子だったが、膝丸の部屋の前まで来るとはたと真面目な顔になる。やはり彼も異様な濃度の霊気に気づいたようだ。
「おや…。これは…」
片手で印を切って、目を眇めるような仕草をする。おそらく透視のような技を使っているのだろう。
「なにか見えた? 石切丸」
「ああ、分かったよ」
振り向いた石切丸が困ったように微笑む。
「霊力が暴走しているようだね」
怪訝そうな顔をしたままの私たちに小さく笑い、彼は言葉を続けた。
「膝丸くんはつい先日、二回目の特がついたばかりだろう?」
そう。刀剣男士は練度がある一定に達すると、特がついて新たな力を手に入れる。ほとんどの刀剣は一度しか特付きを経験しないのだが、膝丸は二回特が付くというイレギュラーだった。ちなみに兄者はまだ来ていない。
これでますます力が増えたね! やったね膝丸! と喜んでいたのは昨日のこと。
「特がつくと霊力が大幅に増加し、能力も上昇するんだ。私たちは一度しか特が付かないから膝丸くんの二回目の特については想像するしかないのだけど、おそらく一度目の特より増える霊力が多いのだろう」
「なるほど…」
「それで、急に増加した霊力に体が追いつけず、おかしなことになっているようだね」
「あれ、それじゃあもしかして…こんのすけが言ってたあの話かな?」
そこで私は冒頭の、かつてこんのすけに言われた注意事項を思い出したのである。
刀剣男士は付喪神の分霊。審神者の霊力と付喪神自身の霊力とが合わさって、人体を得て顕現している。だから両者のバランスが崩れれば具現の能力に何らかの障害をきたす。
そして膝丸を取り巻く逸話、伝承の多さを鑑みれば、霊力をコントロールできなくなった彼が人の姿を保てずに、様々なエピソードの混じり合った化け物に成り果てているというのは想像に難くなかった。
「じゃあ膝丸は今どんな状態になっているの? 石切丸には見えたんでしょう?」
己の推測が正しいかを確かめたくて石切丸に問えば、彼はまた困ったように笑う。
「うーん…人間離れした姿になってしまっているから、君たちに見られたくないんだろうね」
石切丸は配慮してくれたが、しかしどんな姿であろうと膝丸が大事な刀剣の一振りであることに変わりはない。霊力が暴走し、急に体が変貌してしまって混乱の中にいるであろう膝丸を、主である私が見て見ぬ振りふりして放置するわけにはいかないのだ。
「どうしたら膝丸は人の姿に戻れるの?」
「おや、助けてあげるつもりなのかな?」
「当たり前でしょう! すぐにでもなんとかしてあげたいよ!」
試すように問いかけてきた石切丸の瞳には、なぜか暗くためらうような光があり。
ーーーなんで? なにか企んでいる?
一瞬不審に思ったが、すぐに彼は真面目な表情に戻ったので違和感は消えてしまう。
「ええとね、おそらくいまの膝丸くんは己の霊力が肥大したぶん、審神者である君からもらった霊力は流れ出てしまって減っている。バランスが崩れているんだよ。だから膝丸くんから適度に霊力を抜き、逆に君が適度に霊力を注ぎ込んであげれば、均衡が元に戻って顕現の能力も戻るはずなんだ」
「はぁ…そうなんだ…」
今剣は黙って私と石切丸とのやり取りを見上げていた。
すっと石切丸が襖に手をかざす。
「この程度の術ならば簡単に解ける。主が中に入るというなら解除するけれど、申し訳ないけど私たちは部屋の中には入れないよ。膝丸くんの放つ霊気が濃すぎて、私たちにとっては毒になる」
私は別段不快には感じないけれど、彼らにとっては害になるらしい。そういえば石切丸も今剣も顔色が優れない。
石切丸がぶつぶつと口の中で呪文を唱える。ゆっくりとその指が戸の間をなぞれば、パチンと解錠されるような音がして襖の結合が緩んだ。これで術が解けたということなのだろう。
「……そうだ。主にこれを」
石切丸がおもむろに懐に手を入れる。私に差し出したのは数枚の呪符だった。すでに術がかけられている。
「封魔のお札だよ」
もし彼が君を傷つけることがあったら、すぐに使うといい。体の自由を奪う作用があるからね。
それを受け取って、私は彼を見上げる。ちょっと不安になってきた。
「そんな物騒なことにならないといいけど…」
「念のためだよ。私も、彼が主を傷つけるとは思っていない。けれど、万が一意に沿わないことを要求されたときには使うんだよ」
「あるじさま! 膝丸をよろしくおねがいします!」
「うん……ん?」
なんか引っかかるところがあるが、緊張した頭の中では違和感の正体を突き止めることができなかった。
それより、ぐだぐたしてたら中の膝丸が可哀想 だと思い、襖の引き手に手をかける。
手を弾くような力は消えており、嘘のように戸は簡単に開く。室内は朝とは思えないほどに暗かった。
私はおそるおそる一歩を踏み出した。
「それじゃあ、がんばってください!」
今剣の声を背後に聞いた直後、自分の意思があるかのようにひとりでに戸は閉まった。
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