※エグい、グロい
※流血、暴力、流産レイプ

膝丸の子供を孕んで胎の中で育てるたびに鱗が増える。ということに気づいたころには、私の体はほぼ全てが鱗に覆われていた。そしてとうとう、首から上にまで薄紅色の鱗が生え始めた。今までは身体にしか生えていなかったからかろうじて隠し切れていたのだが、顔にまで生えてきたからもう隠すのは無理だろう。
 頬のなめらかな鱗に爪を突き立てる。べり、と嫌な感触と痛みと共に剝がれ落ちた。泣きたいような気持ちで顔に侵食してきたそれを剥がし続ける。出血はすぐ止まったが、手は血まみれになった。
 しかし、それでも、朝起きたら嘘のように鱗は元どおりに生えているのだ。いよいよ己が化け物になっていると自覚せざるをえなかった。

「もう部屋から出られないよ」

 顔を覆って涙ぐむ私を、膝丸は神妙な様子で見守る。

「そんなに鱗が気になるか? 美しいものだと思うが……まぁ、貴女がそう言うのなら、しばらくはお休みになるといい。本丸の刀剣たちには俺から、主は体調が優れないのだと言っておこう」

 指令や用件は膝丸を通してやり取りすることにした。刀剣たちは心配して私に会いに来たがっているらしいが、こんな有様では文字通り合わせる顔がない。こんのすけを通して政府に相談しようかとも思ったが、おそらくこの現象を知られたら検査のために一時審神者業を休業して入院等の措置を取られるだろう。最悪な事態としては、そのまま二度と審神者業に復帰できないかもしれない。私と引き離された膝丸がどうなるかを想像したら、安易に政府へ連絡する気にもなれなかった。

 遠くで刀剣たちの声がする。前はもっと活気にあふれていたのだが、私が引きこもるようになってからずいぶん静かになってしまった。短刀たちの遊ぶ声もしない。私に会えなくてしょぼくれていると聞いて、胸が痛んでいた。
私は静まりかえった部屋の中でお腹を撫でる。この部屋には自分と、腹の子しかいない。裾からのぞいた腕は手の甲まで鱗に包まれていた。人間の肌が残っているのは指先だけだ。そういえばもう半年くらい生理が来ていない。ずっと膝丸の子を孕んでは卵を産み続けているからだと思って、なぜかおかしくなってひとりで笑った。

 突然、静寂を破ったのは天井裏で鳴るゴトゴトという音だった。

「あるじさまーー」

 びっくりして見上げると、潜めたような呼び声が天井から聞こえてくる。この声は。忘れるわけがない。耳にくすぐったい幼い声が懐かしい。

「今剣?!」

 すぐに分かった。短刀の名前を呼ぶ。天井裏がまたゴトゴトと鳴って、天板がずれた。

「げほっごほっ……すごいほこりです……」

 外された天板のすきまから、白い短刀がむせ返りながら顔をのぞかせる。懐かしい顔に涙がこみ上げてきた。

「今剣!! どうしてここに!?」

 今剣は埃に涙ぐんだ目で私を見つめ、とたんに大きな紅い瞳を見開いた。

「あ、あるじさま…? ですよね…?」

 彼の動揺の意味を察した。私はいまや顔中が鱗に覆われているのだ。人間離れした風貌へと変わり果てた主の姿に絶句せざるをえないのだろう。

「そうだよ、私だよ!」

 すぐに気を取り直した今剣は、ぴょこんと軽快な動作で飛び降りてくる。さすがは肝の座っている齢千年の短刀である。

「あるじさま〜!! あいたかったです〜〜!!」

 瞳を潤ませてひとっ飛びに抱きついてくる。手を広げて小さな体を抱きとめた。ぎゅうっときつく抱きついてくる子供の細い体が愛しくて、ぼろぼろと涙が溢れた。

「ずっとしんぱいしてたんですよ! ぼくたち、なんにもしらされないままあるじさまとひきはなされて…! おへやのまえにはけっかいがはられてるし…! 膝丸は、あるじさまはごびょうきでぼくたちにあえないじょうたいだっていってますけど、どんなごびょうきかもおしえてくれないんです! ずっとおかしいっておもってました」

 今剣も泣き始めている。よほど心配してくれていたのだろう。しゃにむに抱きついて、私の鱗だらけの肌に躊躇することなく頬を擦り付けてくる。

「ごめんね、今剣、みんな、ごめんね」
「いえ…っ、ごめんなさい、ぼくたちがもっとはやくきづければ…あるじさまがこんなくるしいおもいをしなくてすんだのに…」

 体にぴったり抱きついている今剣は、私の張り出した腹に気づいて全てを察したのだろう。こちらの心情を慮ってくれる言葉に涙腺が崩壊する。こんなに幼い見た目なのに、今剣は誰よりも聡明で優しかった。私のほうが子供みたいに、彼の小さな体を抱きしめてわんわん泣く。

「ぼくも膝丸のことはおかしいっておもってたんですけど、髭切にもいわれて、きょうこそは、あるじさまのおへやにしのびこむことにしたんです。いまは膝丸は髭切としゅつじんちゅうだからだいじょうぶですよ」

 今剣は私の頭を撫でてくれる。ありがとう、としゃくり上げながら答えた。

「あるじさま、ここからでましょう。せいふにそうだんするべきですよ。いますぐに……といいたいところですけど、膝丸があばれたりしたらあぶないので、まずはまわりをかためたほうがいいです。ぼくがこのじたいを髭切とこんのすけにつたえますから、じゅんびができしだいあるじさまをむかえにきます!」

 なんて心強いのだろう。膝丸一振りのために、こんなに私のことを思いやってくれる優しい刀剣たちを見捨てることなどできようか。やはり政府に連絡してこの異常事態を解決してもらうべきなのだ。本当なら、ためらったりせずすぐに相談するべきだった。

「ありがとう、今剣。お願いします。でもどうか気をつけてね、膝丸はもうだいぶ正気を失っているから」
「はい……。あるじさまも、きょうのことは膝丸にしられないようにしてくださいね」

 どうしてこうなってしまったんでしょう、と今剣が憂い顔をする。今剣はもともと膝丸と馴染みのある刀剣だし、本丸に顕現したばかりの膝丸が成長していく過程を見守ってくれてもいたから、この事態を悲しむのは当然だった。

「それじゃあぼくはいきますね。ぜったいにむかえにくるのでまっていてください!」

 力強く握りしめられた今剣の手に励まされる。生きる希望が湧いてきて、私は心底彼に感謝しながらうなずいた。
 今剣はぴょんっと大ジャンプして、空いた天井の縁に手をかける。そのまま懸垂みたいにして穴の中に入っていった。さすが天狗。信じられないような身体能力である。最後に小さく手を振って、今剣は天板を元に戻した。
 やっとこの事態を看破できるかもしれない。急速に転がりだした展開に胸が鳴るのを抑えられなかった。あとは膝丸が恐慌状態に陥らないでいてくれれば。私が政府に引き渡されることになってもどうか落ち着いていてほしい。誰一人害することなく解決したかった。

 その夜、いつものように寝所を訪れた膝丸を、内心を悟られないように緊張しつつ迎える。彼は特に変わった様子はなかった。布団に横になって鱗に覆われた私の肌を愛しそうに撫でてくる。なめらかな感触がお気に入りらしい。

「兄者がな、俺と貴女の子はどうなったのかと気にしていてな」

 低く穏やかな声で話し始める。おそらく出陣で髭切と一緒だったため、話す機会が多かったのだろう。そういえば髭切は、私と膝丸が擬似の母子関係であることを知らない唯一の刀であり、私が膝丸の子を孕んでいることを知っている唯一の刀でもあったのだ。彼にも久しく会っていないが今日の今剣の話を聞いて、髭切は髭切で私のことを心配してくれていたのだと痛感して胸が熱くなる。

「生きて産まれる子がいないのは悲しいことだ。兄者に見せることもできない」

 膝丸はたいして悲しいと思っていないような声音で続ける。疲れているのかすでに眠そうだった。私を横抱きにして擦り寄ってくるので、背中を軽く叩いてやる。安心したように目を閉じる様は幼い頃と変わらなかった。しばらくそうしていると寝入ってしまう。すやすやと眠る顔はあどけなく、一度タガが外れると狂ったように私を犯し続ける同一人物とは思えなかった。
 眠りにつこうとしていると、不意に、ぽこんと下腹を蹴るような感覚がした。
 はっとしてお腹を見下ろす。もうじき懐妊して一月ほどになる何度目かの子を内包し、下腹部はゆるやかに張り出している。見た目には変化がないが、たしかに今、お腹の中でなにかが動いた。
 意識を集中して待っていると、再度ぽこぽこと小さなものが動く気配がする。

(子供が動いた……?)

 今まで胎児が動くことはなかった。産まれてくる卵は皆、命のない塊だったのだ。
 初めて胎動を感じて、胸が早鐘を打ち始める。どういうことだろう。今度の子は生きて育っているのか。卵で産まれてくるはずの子供がお腹の中で動くってありえるのかな。でもこの子たちはただの人間の子ではないから、別段おかしいことでもないかもしれない。
 下腹に手を当てていると、ぴくん、ぴくんと身じろぎする感覚がする。
 生きている。赤子が腹の中で育っている。初めての感覚に胸がいっぱいになった。ずっと産みたくないと思っていたけれど、今となってはお腹の子供がこの地獄の中で最大の希望みたいに思えた。

「……無事に出てきてね」

 初めて、胎内の我が子へ語りかける。いったいなにが産まれてくるのか、そんなことはもうどうでもよかった。



 今剣が約束通りやってきたのは、あの日から一週間がたつかたたないかというころだった。
夕刻だった。屋敷の中は静まり返っている。血のような朱が障子戸を染め上げて、部屋の中まで夕日の色を落としていた。
 ガタガタと天井板が鳴る音した。即座に顔を上げる。

「あるじさまっ!」

 ひょこり顔を出した今剣が興奮した面持ちでこちらをのぞきこんでいる。

「おまたせしましたっ。こんのすけにもきてもらっています。膝丸のことは髭切があしどめしていますから、いまのうちにみらいへにげましょう!」

 今剣はくるんと一回転して畳の上に舞い降りた。駆け寄ってきた彼の、伸ばされた手を握る。意外にも強い力で引っ張られて立ち上がった。

「こんのすけがげんかんで、みらいへのてんそうそうちをひらいてまってるはずです。ねんのため、にわにでて、やしきのうらをとおっていきましょう」

 うなずいて応えた。数十日ぶりに戸を開けると、しんとした渡り廊下が向こうに見える。私たちは足音をひそめて庭に飛び降りた。そのまま、固く握られた手に引かれて走り出す。私も今剣も素足で青い草を蹴って、初夏の夕暮れを駆けた。
 駆けながら、ここから出たら、とわずか先にちらつく未来のことを考えた。指先だけを残して全身を覆っている鱗をなんとかしてもらって、ふつうの人間に戻れたら。そうしたらまた皆を率いて出陣がしたいな。刀剣男士たちと一緒に戦って、演練や万屋に行って、一喜一憂しながらのありふれた毎日を繰り返したい。もちろんその情景には膝丸もいる。無事に産まれてきたお腹の子供と膝丸と、心穏やかに暮らしたいと、本心で願った。

 ーーずるり、黒く地を這うものが今剣の足元にまとわりついた。それを視界の端に目にしたとたん転倒する。どっと体が緑の上に投げ出され、鼻先に青臭い草の匂いが広がった。
 擦りむいてひりつく顔を上げる。黒いものが首をもたげて今剣に襲いかかるのと、今剣が即座に抜刀し刀を突き立てたのはほぼ同時だった。
 地面に縫い止められたそれは瞬く間に黒い煙となって霧散する。消える前に一瞬だけ見えた細長いシルエットは縄のようで蔓のようで。いや、その形をした生き物ならば心当たりはただ一つしかなかった。
 草地に投げ出されたまま振り向けば、暮れ行く後光を背負って黒い影がこちらを見ている。瞳だけが黄金色に燃えていた。

「その人を何処に連れて行く気だ」

 すでに抜き身の刀を手に下げている、その輪郭が青くぼやける。仄暗い青色をした、瘴気としかいいようのない気を纏っていた。

「あらら…。あしどめしたはずなんですけど」

 言葉の割には動じる様子もなく立ち上がる今剣。私を庇うように立つ小さな背中では、太刀と対峙するにはあまりにも頼りない。
 膝丸がこちらに歩み寄ってくる。勢いをつけて、ぼとりとなにかが投げ捨てられて目の前の地面に落ちた。目を凝らして見た瞬間に凍りつく。二の腕から骨ごと切断された腕だった。それは彼の兄のものに他ならなかった。

「膝丸……。髭切をあやめたのですか?」

 今剣が低い声で問う。彼の紅い瞳は夕日に照らされてさらに真紅に昏く輝いていた。
 膝丸が歩くたびにぱきぱきと骨の砕けるような音がする。目を疑った。獣骨のような棘々した骨が膝丸の背中から生えてくる。これはまずい、というのが直感的に分かった。

「まさか。俺に討たれるような兄者ではない。動けなくした程度だ」

 夕日のせいではない赤を頭から被った膝丸は、返り血だけでなく自身も負傷しているようだった。塞がらない傷口からぽたぽたと鮮血を滴らせ、緑の葉に斑紋を作っていく。

「俺から母を奪う気か?」

 抑えられない怒りに震える声が地を這うように響く。瘴気が濃度を増して膝丸の体にまとわりつき、肩や腕からも植物が芽吹くように鋭利な骨が飛び出してくる。
 あるじさま、と今剣が冷静な声で呟く。

「ぼくがじかんをかせぐので、はしってください。こんのすけがせいふにじじょうをはなしているはずですから、あるじさまはみらいにいけばあんぜんです。膝丸はもうだめです。ぼくたちのことはきにしないで、にげてください」
「あの管狐なら、今ごろ炉で燃えているぞ」

 膝丸の放った言葉に再度凍りつく。

「お前たちがなにか企んでいるのは察していた。今朝になってようやくあの管狐が不審な動きを見せてきたので、問いつめたあと処分しておいたのだ」

 告げる台詞には罪悪感などまるでない。今剣の言うとおり、膝丸の感性も倫理観ももう崩壊寸前なのだろう。

「……あるじさま。おひとりでじくうかんてんそうをおこなってください。こんのすけがいなくても、げんかんまでいけばてんそうそうちをうごかせますよね?」

 毅然として立つ今剣と、異形となりつつある膝丸を交互に見やる。無理だ。私はこの刀たちを捨てることができない。今の状態の膝丸を放置して逃げたら、たしかに私は助かるかもしれないが本丸は取り返しのつかないことになるだろう。堕ちていく膝丸を目の当たりにして、刀剣男士とはいかにあやふやな存在なのかを思い知った。せめて主である私が呼び止めなければと、震える足を叱咤して地面を踏む。

「駄目だ……、駄目だよ膝丸、元に戻って」
「母様」

 膝丸がいくぶん声の調子を和らげる。

「貴女は俺を見捨てないだろう? 俺を置いて何処かに行かないだろう? 貴女が俺を捨てる未来なんて、そんなものは許せないな」

 脅迫じみた圧力を持つ甘ったるい声音にぞっとする。
 今剣は忌々しげに刀を構え直した。

「膝丸! じぶんがどんなひどいことをしているかわかっていないんですか? これはおやこのすることではないですよ!!」
「邪魔をするな。俺はその人を愛しているのだ」
「すきだからってなにをしてもいいんですか!!」

 今剣の悲痛な叫びが、緊迫した空気をつんざくように響き渡る。

「……兄者も貴様も、知らないのだ。愛されたことのない者になにが分かる。本当の母のように愛してくれる人に出会ってしまったら、知らない頃には戻れないのだ」

 目を眇めた膝丸の瞳は、青色の炎を纏ったかのようにゆらゆらと光を放って揺れていた。ずずず、とその額を突き破って角が生える。
 急に、目の前から今剣の姿が消える。金属同士がぶつかる音がして、気がついたら前方で今剣と膝丸が討ち合っていた。宙を飛び回るような速い動作で、今剣は俊敏に間合いを詰めては開き、隙を見ては懐に飛び込んでいく。近づいたかと思えば膝丸の体を蹴って華麗にとんぼ返りする。さっきまで今剣がいたところを膝丸が薙ぎ払い、ぱっと青い草の切れ端が飛んだ。
 短刀と太刀。体躯にもリーチにも明らかに差があるが、最古参に近い今剣は練度も最高であり、実力では太刀に引けを取らなかった。だが異質な力を手にしつつある膝丸は突き出た骨を防御代わりに使い、瘴気を纏った刀を振り下ろして反撃する。

「あるじさま! はしって!」

 死闘の合間に今剣が叫ぶ。仲間であるはずの、同胞の刀たちが互いを殺そうとしている光景を見ながら、私は、動けない。どちらも見捨てることができない。
 いったん距離を置こうと跳躍した今剣を、膝丸から唐突に生えた尾がばちんと叩きつけた。太く骨ばった爬虫類のような尾が今剣を縫い止める。突然のことに反応できなかった今剣が、尾と地面の間に挟まれて顔を引きつらせる。振り上げた太刀が、今剣の真上で鈍く光った。

「膝丸!! やめて! 今剣を折らないで!」

 咄嗟に私は駆け出していた。あれほど逃げろと言われていたけど、今剣が目の前で折られるところなんて耐えられなかった。
 膝丸の近くに寄るとどろどろとした気が伝わってきて肌を焼く。角まで生えたその風貌は鬼みたいだった。

「……母様」

 まだかろうじて理性の残っているらしい膝丸の、腕に抱きついた。

「やめて。お願いだから戻ってきて。私はどこにも行かないから。そんなものに堕ちたら駄目だよ」

 審神者と刀剣はある程度、肌を通して霊力を受け渡せる。私は抱きついた膝丸の体にありったけの霊力を注ぎ込んだ。嫉妬と執着と憎悪で淀みきった彼の器を再構成するように。
 するすると獣骨のような骨が溶けていく。ああ良かった。まだ完全には堕ちていないのだ。青い瘴気も収まっていく。もう二度と彼が方向を間違えないように、きつくきつく抱きしめていた。
やがてゆっくりと、今剣を押さえつけていた尾も消えていく。解放されつつある今剣が逃げる機会を得て身じろぎした、その瞬間。
 膝丸が構えていた太刀を振り下ろした。白い刃の輝きを目にした、理解が追いつく前に耳にぶつりという音が響く。ひっと息を呑んだ時にはもう遅く、膝から下を切断された今剣が呆然と私たちを見上げている。

「……ひざ、まる」

 震える唇で呟いた私と今剣に、彼は元の色に戻った瞳を向けた。

「殺しはしない。これで邪魔はできないからいいだろう」

 本体を鞘に戻すと、膝丸は私の体に腕を回して横抱きに抱え上げた。今剣に振り向くこともなく踵を返して歩き出す。すっぽりと収まってしまった彼の腕の中から背後を振り返る。立ち上がることもできず、自身の血溜まりの中でこちらを見上げる今剣の、その悲痛な顔が遠ざかっていくのを見た。
 膝丸は離れの部屋に戻っていく。恐怖のあまり動くこともできない。膝丸の首に腕を回して震えながらしがみついているしかなかった。
 ふと、後ろや横で人の声がした。騒ぎを聞きつけたのか、本丸の刀剣たちが私たちを見咎めたのだ。

「主?」
「主君…?!」
「大将!」

 懐かしい声たちが私を呼ぶ。ずっと姿を見せなかった主がようやく現れたと思ったら、血まみれの膝丸に抱かれているのだ。みんな私を心配している。泣きそうになった、いや、そう感じたときにはもう涙が溢れてきて止まらなかった。

「大将! 大将! おい、膝丸、どういうことだ? さっきの騒ぎはなんだったんだよ。その血は」
「髭切と今剣は? あんたが」
「あるじー! 無事なの?! こっち向いて!」

 矢継ぎ早に刀剣たちが声を上げる。私は嗚咽を抑えながら首を振った。鱗まみれの異形と化した主をこんな形で目にしてほしくはなかった。膝丸の胸に顔を押し付けて隠しながら、必死にくぐもった声を張り上げる。

「大丈夫だよ……、あとで絶対会いに行くから、待ってて、ね?」

 髭切と今剣も絶対に助ける。ただ、今は、膝丸が再び恐慌状態にならないことが先決で、彼を刺激したくなかった。案の定、刀剣たちに私の心が向いているのが気に食わないのだろう、抱きしめる腕にぎゅうっと力が入る。

「大丈夫……膝丸、落ち着いて…」

 ぽんぽんと肩を叩く。殺気立った気配が和らぎ、彼はまた歩みを始めた。ざわめき続ける刀剣たちの視線を感じながら、私たちは部屋に戻る。
 自室に入り戸を閉め切って、ようやく下ろされた。座り込んだ畳の上でぶるぶる足が震える。
 急に、しゃがみこんできた膝丸にがしっと強い力で肩を掴まれた。瞳孔の開き切った金色の瞳が目の前に迫る。殺されそうなその視線に、一度は忘れかけていた死への恐怖が湧き上がってきた。

「俺を捨てようとしたのか」

 膝丸の手も震えている。

「ちがうよ、そんなつもりじゃなかった」
「ならどうして、黙って未来に帰ろうとしたのだ…! 兄者と今剣と共に俺を謀ったのではないか!」
「政府に相談したあと、ちゃんと帰ってくるつもりだったんだよ…! 膝丸を捨てたりしないよ……。信じて」

 怖くて悲しくて、止まっていた涙がまた溢れてくる。

「貴女を信じたいのに、貴女がそうさせてくれない…!」

 泣きそうに顔を歪めて、膝丸が肩を押してくる。力の入らない体は簡単に押し倒された。天井を背景に、視界が彼の姿で覆い隠される。

「分からない…どうしたら貴女は、俺だけを見てくれるのだろう…! 貴女を犯しても孕ませても、貴女は俺だけのものにはならない。こんなに愛しているのに!」

 その言葉を聞いて、私だって悲しい。こんなに膝丸のことを愛しているのにどうして伝わらないのだろう。我が子同然の存在に犯されて孕まされて、幾度となく卵を産まされ、それでも見捨てられないと思うくらいには愛しているのに。
 いきなり、堰が切れたように唇に噛み付かれる。返り血と自身の血にまみれた膝丸の髪が頬にかかり、濃い血の匂いに息が詰まる。勢いあまってぶつかった歯が粘膜を切り裂き、口内にも鉄の味が広がった。乱暴な手つきで胸元を弄られる。股の間に割り入られて、なにをされるのか想像して、恐ろしさに寒気が走った。強引に下半身の服を剥ぎ取られる。怖くてろくに抵抗なんてできないけど、私は精一杯声を絞り出した。

「だめ、だよ。赤ちゃんいるから、挿れちゃ、だめ」

 嫌な予感が頭を埋め尽くす。今まで膝丸は私が身籠っているときには強姦することはなかった。しかし、もはや理性の飛びかけている今の彼に母体と胎児を気遣う余裕などないだろう。
 だが今度の子だけは。なにがなんでも守りたい。挿入されて万が一のことがあったらと思うと、どうにか膝丸を言い聞かせてやめてもらうしかなかった。

「ね、膝丸、わかるでしょ? いつもみたいに、手でしてあげるから、それで許して」
「どうせ今回の子も孵らぬ卵なのだ。気にする必要なんてないだろう」
「ちがう、この子は動いてるの…! 生きてるんだよ。だからお願い、無事に産ませて…!」

 虚しくばさっと腿を開かれて、寒さと恐怖に鳥肌が立つ。哀願する私を膝丸は冷めたような目で見下ろしてくる。

「そんな虚言を吐いてまで、俺を受け入れるのが嫌なのか」
「ちがうよ…! どうして信じてくれないの! あなたの子供なんだよ! あなたの子が死んじゃうかもしれないんだよ!」

 ぴたっと彼の動きが止まる。その目には再び、嫉妬と憎悪の色が浮かんでいた。

「ああ…そうだな、そんなものは要らないな。貴女の子供は俺だけでいい、母様」

 明らかに暗転した状況に、なおも言い募ろうとした声が喉奥で凍りつく。

「そうだ、子供なんて要らないのだ。貴女の愛が他に注がれることなんて許せない。俺以上に大切なものなんてなくていい」

 かたかたと体が震えだす。失敗したという絶望で涙が視界を覆い尽くした。過呼吸みたいに喉が鳴って息もままならない。嫌だ、やめて、とほとんど息だけで繰り返したが何の抑止力もないことは分かっていた。無意識のうちに下腹部をかばうように両手で抱きしめていたらしい。それを見て、膝丸は憎々しげに目を細める。

「母様、その手を離して俺の肩に回せ」
「……や、やだ……こわい、やめて……赤ちゃん、死なせたくない……、ねえ、ひざま、」

 突如、強い力で腕を掴まれる。こじ開けられた腹部に衝撃が走った。

「…う゛ッッ……?!」

 殴られたのだと気づいたときには、口の中に血の味が込み上げていた。下半身からつま先へと戦慄が駆け抜けていく。冷たいんだか熱いんだか分からないようなその感覚が脊髄を伝って全身に広がり、体の芯からがくがくと震えが始まる。

「貴女の子供は!! 俺だけでいいのだ!!」

 絶叫と共に再度、拳が叩きつけられる。激痛。声が出ない。肺の中の空気を吐き出すように息が漏れて、出し切ってしまったらもう吸うことができない。苦しい。

「そもそもここは、俺が入るべき場所だったのだぞ! 別の存在に貴女の胎を奪われるなんて耐えられない!!」

 気が狂っている。何度も膨らんだ下腹を殴打される。男の、それも刀剣男士の腕力で殴られて無事でいられるはずがなかった。わけの分からない苦痛の中で、腹の中が嫌なかんじに蠕動するのを感じた。痛い、と声に出して訴えることもできない。白くちかちかする視界の中でせめて意識を失わないようにと気力を振り絞る。痛くて苦しくて、頭がぼうっとする。不意に、股の間に新たな痛みを感じる。

「……あ゛っ、い、や…」

 掠れた声を絞り出す。濡れていないそこを強引に貫かれて、奥まで体が引き裂かれるみたいな痛みが走る。生理的な涙と、悲しみによる涙が合わさってぼたぼたと流れた。膝丸の長い手足できつく締め付けられて、身動きが一切取れないまま、激しく奥を穿たれる。がんがんと子宮口をこじ開けるみたいに容赦なく打たれて、中から愛液ではない液体がぐちゃっと溢れ出してくるのが分かった。熱い体液が抽送のたびに掻き出されて股を濡らしていく。
 これ以上痛いところなんてないと思っていたのに、肩に鋭い痛みが走った。牙を突き立てられたのだ。なめらかな鱗に牙が食い込み、ゴリッと嫌な感覚のあとに血が噴き出す。生温かい新しい血の匂いにくらくらした。

「…ぃ、いた、痛い…」

 ようやく苦痛を伝える言葉が口をついて出た。けれど今度は首筋に牙を当てられて、噛みちぎりそうな勢いで食いつかれる。膝丸は本当に私を殺す気なのかもしれない。それでも、おかしなことに血はすぐ止まる。前々から察してはいたが、私の体は異様な再生能力を手にしているようだった。
 激しく腰を打ち付けられて、身に覚えのある痛みが下腹部全体を襲う。ぎゅうぎゅうと収縮する筋肉の動きはもう止められなかった。流れていく我が子をせめて少しでも長く胎内に留めようと、お腹に手を伸ばそうとしたが、察した膝丸に腕を掴まれてしまう。最後に子供の存在をこの手で感じることもできないのだと痛感して、悲しくて悲しくて嗚咽が漏れた。
 膝丸はなにも言わず、ただただ荒い息を吐きながら怒りをぶつけるみたいに渾身の力で熱い楔を打ち込んでは、中を滅茶苦茶に荒らしていく。開きつつある子宮口からは確実に、ただの液体ではないどろどろした流動物が漏れ出していた。繰り返し出し入れされる性器の先端が、ぐちゃぐちゃにそれを潰して掻き回していく。膣内が、壊れた胎児の組織で満たされるのを感じた。目眩がする。痛い。痛いのはお腹だけではなかった。心の一部を抉り取られるように胸も痛かった。
 唐突に、奥まで差し込んだ状態で彼の動きが止まる。中でどくんどくんと脈を打つそれが白濁を撒き散らすのを察した。私の血で赤く染まった歯を食い縛り、膝丸は目を閉じて苦しげに体を震わせながら全て体内へと注ぎ込む。しかしすでに十分に羊水やら血液やらで満たされた膣内では、熱い精液の迸りを感じることはなかった。
 嵐がおさまったかのように静かになった膝丸は、しばらく体液の充満した私の中に体を埋めたままぐったりしていた。ようやく体を離して性器を抜く。ずるりと栓が抜けた瞬間、溜まっていた液体がどっと流れ出した。

「う……うっ……」

 温かい体液が畳を一気に濡らしていく。ごぼ、ごぼっと塊のようなものが産道を通って堕ちていく。膝丸が息を呑む気配を感じた。私は子宮の収縮が落ち着くまで体を起こせなくて、嗚咽を上げながら胎内のものを出し切るまで横になっていた。

「……母様」

 呟いた声は取り返しのつかない後悔に打ち震えていた。
 どのくらいの時間うずくまっていただろうか。お腹の痛みがだいぶおさまって、私はそろそろと体を起こす。もう十分に諦めと覚悟を抱いていても、その光景を直視した瞬間に受けた衝撃は絶大だった。
 生卵とケチャップを混ぜたようなグチャグチャの流動物が、私の股座から畳へと飛び散っている。崩された胎児の破片であろう鶏肉みたいな肉片の中には、黒っぽい目玉みたいなものを有するものもあった。ところどころには殻とも骨ともつかぬ白い石灰成分が浮かんでいる。一部にだけある白濁した液体はさっき膝丸が放った精液だろうなと思った。一面に、羊水と血と胎児の肉片が絨毯みたいに広がっていた。
 死体というより生ゴミにしか見えないそれに手を伸ばす。流れていった私たちの子供はまだほんの少しだけ温かくて、たった数日間だけだったけど私が全身全霊で守ろうとした、私に生きる希望を与えてくれた存在がこれだと思うと涙が止まらなかった。

「……ああ、すまない……すまない、俺は、なんてことを……」

 ぼたぼたと涙をこぼしながら膝丸が懺悔する。指ですくい上げた赤ちゃんはあっという間に冷えてしまった。もう死んでしまった。悲しすぎると感覚が麻痺するんだなと思った。機械的に涙が落ちて、血溜まりの中に色の薄い点を作った。

「すまないっ、母様、かあさま」

 膝丸は決壊したようにしゃくり上げて、泣きながら何度も謝る。子供みたいに前後不覚に泣き続ける彼を、改めて、なんて哀れな存在なんだろうと思った。

「……こんな酷いことをして、許してくれとは言えない。俺を見限るならば、殺してくれ。貴女に愛されなければ生きていけないのだ」

 ただの刀だったのに、心を持ったとはいえ道具の付喪神でしかなかったのに、まるで本当の親子のように私に愛されてしまったために道を違えてしまった哀れな存在。人間にもなれず、ただの刀にも戻れず、ましてや神でもない。なんて哀れで、醜く、愚かな化け物なんだろう。
 私はどうしてこんなものを愛してしまったんだろう。

「おいで、膝丸」

 腕を開いて彼の名を呼ぶ。ずっと昔、彼に出会ったとき、母親代わりになることを決めたあの日のように。
 膝丸は泣き濡れた顔を上げてこちらを見る。私に裏の意図がないことを理解すると、胸に抱きついてきた。

「大丈夫だよ。私はずっと一緒にいてあげる」

 震えている大きな背を抱きしめてやる。ふたりして我が子の死骸の海に浸りながら、結局、私の子供はこの世にただ一人しかいない。そして私はこの子を見捨てることができないのだった。

「……だが俺は、また嫉妬に狂って貴女を害してしまうかもしれない。悪鬼へと身を堕としてしまうかもしれない」

 泣きじゃくりながら膝丸がしがみついてくる。私はその頭に腕を回してぎゅっと抱え込む。

「あなたが鬼にならないように私が押さえていてあげる」

 二度と角が生えないようにと、頭を、額を、手のひらと腕で押さえながら宣言する。膝丸は顔を上げて私を見た。彼の目元をべちゃべちゃに濡らす涙を、指先で拭ってやる。すると見ている間に、唯一人間の肌の残っていた指がめきめきと鱗に覆われていく。とうとう爪の先まで鱗に包まれて、この瞬間に、私は完全に人間としての生を失った。ああ、もういいよ。それもいいだろう。もう隠すことなんてない。異形と化した主でも、私の可愛い刀剣たちは受け入れてくれるだろう。この部屋を出て皆に会いに行こう。きっとまた前みたいになれる。

「母様、本当だな? ずっと俺と共にいてくれるのだな? 貴女と共にいるためならば俺は何でもする。だから、この先もずっと、捨てないでくれ」

 懇願するような膝丸の瞳を見ながら、頭を撫で続けた。
 人外へと変貌した私はあと何年何十年、愛しいこの化け物と同じ時を過ごすのだろう。
 

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