・ファンタジーパロ
・魔法使い女主×精霊うぐ

 四季は勝手に巡ってくるものだと思っている人が多いけど違うのよ。
 春には花を、夏には熱を、秋には風を、冬には氷を、それぞれ運んでくる役目を持ったものがいる。そうした運び屋さんたちは地球上のあらゆるところに季節を届けるために世界中を飛び回っているから、多くの人はすれ違っても気づかないわ。

 あたしが出会ったのは春を司るというものだった。
 その冬、片田舎のちいさな街には疫病が流行ってみんなバタバタ死んでいった。あたしは怖くてずっと聖堂に隠れて、必死に祈りを捧げていたけど駄目だったわ、神様は救いの手を差し伸べてくれなかった。すっかり静かになったころに街に出ればあたりは霜の降りた死体で溢れていて途方に暮れた。その頃のあたしはまだプライマリースクールに入学したばかりのお子様だったんだもの、家族も先生もシスターたちもみんな死んでしまった街でどうやって生きていけばいいの?

 ぼーっと通りに立ち尽くしていたら、向こうから歩いてくる人が見えたの。生きている人。ああ、まだこの街にも頼りにできる大人がいたんだって安堵したけれど、すぐにその希望は消えた。
 だってその男の人、聖堂の絵で何度も見た悪魔の姿にそっくりだったんだもの。
 角はなかったわ。でも、背中に、太陽を覆い隠してしまうくらい大きな緑色の翼が生えていた。それ以外はふつうの、上質なコートと革のブーツを身につけた、綺麗な男の人だった。でもね、悪魔ってのは人を騙して誑かすために総じて美しい姿をとるのよ。

 あたしはすぐに分かった。だからこう言ったの。「あんたがこの街に疫病を流行らせた悪魔なんでしょう」って。
 けれどその人は笑いながら首を振ったの。

「俺は春を告げに来た鳥だ」
 ってね。

 彼が凍った地面を踏んでこちらに歩いてくるとブーツの下から雪解けの水が流れ始めた。
 目の前まで来ると立ち止まって困ったふうに笑って、君は運が良かったなあと言った。

「それはどういう意味?」
「もちろん、この街でただひとり生き残ったことと、それから、俺に会えたことだ」

 あたしは顔をしかめて聞いた。

「なんであんたに会えたことがラッキーなの」

 だってそう思うでしょう。得体の知れないいきものにばったり遭遇しちゃうなんてむしろ不運よ。
 その人が優しい、慈しむような目で自信満々に微笑むのも気に食わなかった。

「精霊に出会えた者には幸運が訪れるという言い伝えがあるだろう?」

 つまり、彼は悪魔やモンスターではなく精霊だというわけ。

「あんたは誰なの?」

 彼が翼を揺らすと隠れていた太陽が顔を出し、冬の弱々しい日差しではない、あたたかな光が降り注いできた。

「そうだな。俺は春を司る精霊というやつだ。ウグイスだなんて呼ばれた国もあったな」

 もちろん天使も悪魔も見たことないし、精霊だって見るのは初めてだった。へえ、本当にいるのね。あたし、信仰心はあったけれど心のどこかでファンタジーだと思っていたわ。じゃあきっと神様だって実在するんでしょう。でもあたしの祈りを無視して街を救ってくださらなかったのね、役立たずな神様。
 心の中で神に中指を立てていると、

「この街にも春を連れてきたんだ。もう、用は済んだな」

 彼はなんの未練もなくあたしの横を通り過ぎて歩いていってしまう。真横を通るときに大きな翼が頬に触れて、ふんわりと豊かな羽毛の感触に思わず「待って」と呼び止めた。

「あたしも連れて行って」

 彼は少し進んだところで立ち止まり、苦笑した。

「悪いが、俺たち精霊は人間を助けることはしない。俺たちはただ存在し、通り過ぎていくだけの現象だ。特定の生き物に肩入れはできないのさ」

 おかしな話だと思わない?
 わざわざ人間の姿をして、人里に現れて、あたしと親しげに口を利いておきながら、人間とは一線を画するものだと自称するなんて、崇高ぶって人間を貶めたいだけよ。精霊だかなんだか知らないけれど、生まれついた属性によって相手を差別するのは下衆のすることだわ。そもそもあたし見下されるのって大嫌いよ。
 だからなんの遠慮もなく、湧き上がってきた怒りを翼の生えた背中にぶつけた。

「ねえ待ってよ。あたしみたいな小さな子をほったらかしにして見殺しにするっていうの? それであんたの良心は痛まないわけ、それとも緑の鳥には心がないのかしら」

 振り返り、やれやれと肩をすくめた彼は仕草とは反対に愉快そうに笑った。
 その時にはすっかり日差しも春の陽気になって、足元の雪解け水が反射してまぶしいくらいだったわ。

「口が達者だなあ。おっしゃる通り、君のような幼い子供を見殺しにするのは後味が悪い。心配するな。人の心がない精霊にも、弱きを助けるという美徳は備わっているんだ」

 ただ、やっぱり、連れて行くことはできない。あげられるものは助言だけだと言って、日の出の方向に顔を向けた。

「帝都に行くといい」

 この街はずいぶん北のほうにあるから、国の中心にある帝都には馬車で5日はかかる。というのはパパに教わった話。帝都は魔法の力でとても栄えているけど恐ろしい魔術師や獣人がいるからこの街に住んでいるのが一番だと聞いていた。

「君は俺の姿が見えるんだ。見鬼の才能があるんだろう。帝都は魔法使いの教育に熱心だからな、きっと優秀な魔法使いになれるさ」

 突拍子のない発言だと思ったけれど、身寄りのない孤児が魔法使いに弟子入りして衣食住を得るのは珍しい話ではないと後になって知ったわ。
 この時は言葉の半分の意味も分からなかったけど問い直すには時間が足りなかったし、なにより翼を広げた彼の背中がこれ以上教えることはないと物語っていた。

「生き延びるといいな、幸運な子」

 バサッ。

 あたたかな春風が地面から舞い起こって、足がふらつくくらいの強い力であたしを押しのける。
 ピシャピシャッと頬を打つ雪解けの水に思わず目を閉じてすぐに開いたときには、彼は青い空に浮かぶ緑の切れ端になっていた。
 どこから飛んできたのか、ひらひらと薄ピンク色の花びらがあたしの目の前を横切っていった。


 その後といえば、なにはともあれ旅仕度。言葉通り本当に春を連れてきた精霊はこの街にあたたかな日の光をもたらしてくれたけれど、そのせいで溶け始めた死体が腐るのは時間の問題だったから大急ぎで荷造りをして翌日の日の出とともに街を出たわ。
 そのへんの家にお邪魔して持ち主のなくなった服やお金を盗んできたから旅仕度には困らなかった。干し肉や缶詰め、水なんかも台所から引っ張り出して持てるだけ持った。
 とはいえ子供の足では帝都まで10日以上かかるだろうし、途中で盗賊やモンスターに襲われないとも限らないし…、重い荷物を運んだことも街を出たこともない箱入り娘のあたしには命がけだったわけ。

 正直、途中で何度か死にそうな目にも遭ったけど……まあ結局こうして生きているんだし割愛するわね。


 帝都に到着したあたしは魔法使いのもとに弟子入りしてひとまずあたたかい家と学び舎を手に入れた。
 10歳になった時、親からもらった名を捨てて、みずから新しい名をつける儀式をしたの。契約した悪魔や敵の魔法使いに真名を知られると魂を握られてしまうから、一人前の魔法使いになる前に捨てておくのが通過儀礼なのよ。
 姓と名を木札に彫って炎に焚べ、炭となったときにはそれはあたしを縛る名ではなくなっている。代わりに自分で考えたとっておきの名前の人物として生まれ変わるの。
 親につけられた名前って呪いの一面もあるのよね、理想通りの娘であれと型に嵌める見えない鎖なのよ。だから名前を変えてからはますます才能が開花して同年代の誰よりも優秀な魔法使いになった。詠唱も召喚も飛行もあたしの右に出るものはいなかった。


「そろそろ君も専属の使い魔と契約してみたらどうかな」

 12歳の冬、いつもの通り修練を終えて居間で師匠特製のディナーを食べているとき、唐突に彼はそう言って微笑んだ。
 暖炉には火がぐらぐら燃えていて発した熱が所狭しと部屋に並んだビン詰めの香草の匂いを際立たたせている。
 専属の使い魔と契約することすなわち一人前の魔法使いとして独立できることの証であり、当時のあたしの年齢は先例を鑑みれば異例の早さだった。

「本当に? いいの?」

 喜び勇んで椅子から飛び降りたあたしに師はにっこりとうなずいて肯定した。この日が来るのを待ちわびて何度も何度も夢想してはベッドの中で微笑んでいたくらいだから、嬉しくて小躍りしたい気分だったわ。

「君のことだから用意周到だとは思うけど一応確認はしておくよ。スカウトする魔物の目星はつけているのかな」
「ええ、もちろん。真名は把握済みだし召喚に必要な道具も揃えてあるわ」
「さすがだね。でも、分かっているとは思うけど、使い魔と契約するためには己のなにかを代償に差し出さなければならないよ」

 そう言う師の右目は眼帯で覆われている。
 片目を代償として使い魔に渡したからよ。
 失った右目はがらんどうの空洞だったらしいけど、蠱術で新しい視力を得たというそこは薄い布一枚めくれば赤い蟲の複眼のような不気味な目玉がギョロギョロとあちこちを見回しているのをあたしは知っている。
 話を聞いていたのかどこからともなく彼の使い魔が飛び出してきた。そう、この子。ちっちゃな足をちょこんとテーブルに乗せたこの子、白い体に青の翼を持つドラゴンは大きな金色の瞳をくりんとさせ「みっちゃんの目玉は美味しかったぜ」と、食事時にはお控え願いたい台詞よね。
 己の目玉を喰ったドラゴンはそれでも親愛なるパートナーであるらしくて、細く愛らしい喉元を擽りながら師は苦笑する。

「まあ君は大丈夫だとは思うけど、過去数多の間抜けな魔法使いたちのように体の半分や魂やらを持って行かれないように気をつけてね」



 赤青黄色と蜜を垂らす蝋燭、重たい香油の煙、紋を描く形に敷き詰めた植物の根、葉、動物の牙、それらが充満する床の上に鉄の鎖で縫い止められた男が這いつくばっている。
 熱い部屋の中、発光するペンタクルの中心であたしは召喚した獲物を眺めていた。

 見事な緑の翼は鉄に締め上げられてじゅうじゅうと羽毛を焦がし嫌な匂いを発している。苦痛はいかほどのものか、震える顎を持ち上げて精霊はあたしを見上げた。その唇は場違い極まりない穏やかな微笑みを浮かべていた。

「久しぶりだなあ」

 呑気な声は数年前の記憶と違わなかった。
 体の自由を奪われ、精霊にとっては害悪である鉄に翼を焼かれていようと、あたしを見る瞳は幼い子どもの成長を愛でる類のものだった。

「俺の目に狂いはなかった。君は大物の魔法使いになったなあ」

 春を捕まえるほどに。
 そう口にして初めて彼は痛みに顔を歪ませた。
 部屋の温度が数度上がった気がしたのは間違いなかった。春の化身である精霊を呼び寄せたせいでこの街が強制的に春になっていたの。

「それで俺になんの御用だ? この国に春をもたらすにはまだ早い時期だろう」
「私と契約しなさい」

 煙の熱気と緊張で汗が滴り、思わず身じろぎをしたくなるけど気を抜けば術が解けてしまう。あたしは拳を握りしめて高揚する気持ちを抑えた。

「はは、君は本当に面白い子だな。季節を司る精霊を使い魔にしたいのか。俺が君に仕えることで世界にどれほどの被害を与えるか分かっているだろう?」
「あたしは世界のことなんてどうでもいい悪い魔法使いなの」

 笑みの消えた無機的な顔が見上げてくる。新緑を閉じ込めた瞳があたしのもとに屈服している。

「あんたが言ったのよ。あんたが背中を押したから今のあたしがいる」

 精霊はしばらく感情のない顔をしていて、そうしていると生き物の気配というのがまるっきり抜け落ちてしまい木とか石とかと同じ雰囲気の、理屈も意味もなくただそこに在る事象という性質をあらわにしていた。
 ややあって彼は口を開いた。

「君たち魔法使いは契約の代償に身体の一部を差し出すことが多いようだが、悪魔や魔物と違って精霊は血生臭いのは好まん。君の目玉でも心臓でも俺を繋ぎ止めることはできないぞ」
「ええ、そう言うと思っていた」

 あたしは首に下げていた紐を引っ張り出した。先端にはゆっくりゆっくりと粉を落とす砂時計がくくりつけられている。宝石のように光る砂はまだ少ししか溜まっていない。

「代償は時間。契約期間はあたしの寿命いっぱい。あたしが死ねば契約は解ける。この条件でどうかしら」

 馬鹿な、と精霊の目が憐憫と侮蔑をないまぜにした色に変わる。あたしの申し出はつまり残りの人生すべてをかけてこの精霊を縛るということで、使い魔一体に支払う対価としては多すぎるものだと誰が見ても明白だった。

「時間を失うということは、君は死ぬまでその姿のまま成長できないんだぞ」
「構わないわ」

 精霊はしばらく押し黙った。あたしを説得する言葉を考えているのかと思いきや、長い思考の果てに投げられたのは別の問いだった。

「君はどうして俺に執着するんだ?」

 まるで泥沼に悩むメロドラマの主人公みたいな苦渋の表情で言うから笑ってしまったわ。

「さあ。教えてあげない」

 ところで契約の返事は? と促すと、精霊は床につけた顎をずるずると引いて頷いた。

「断ることができない」と。

 あたしは胸元の紐を引きちぎって砂時計を投げつける。時間を封じ込めたその時計は精霊の体にぶつかるとそのまま吸い込まれて体内に埋もれていった。

「今日からあんたはあたしのものよ」

 腹の底から湧き上がってくる喜びに震えながらあたしは精霊に歩み寄り、鉄の鎖を掴んでその翼の根元に巻きつけた。
 精霊が悲鳴を上げる。キツく締め付けるとブチブチと線維の切断される音がする。呪を施した鎖は羽毛を焼き払い、ただれた筋肉の表面を剥き出しにさせるとそこに深々と食い込んだ。
 一周ぐるりと結んで余りを切ってから癒術を施す。更地から草が伸びてくるように生々しい火傷痕から羽毛が生え、瞬く間にもとのふさふさとした翼に戻った。ただその根元に巻かれている鎖があたしの所有物であることを示している。
 精霊は冷や汗を浮かべながら息を整え、恨めしげに鎖とあたしの顔を見比べる。
 あたしは属隷の輪を掴んでにっこり笑った。

「勝手に飛んでいかないようにね」

 そして帝都は常春の国と呼ばれるようになったわ。


 このご時世、貴族は一家にひとり専属の魔法使いを抱えているもので、春を捕らえた魔女として有名になったあたしは王族に声をかけられ宮殿お抱えの魔法使いとなっていた。
 あれよあれよという間に出世して…今では現王直属の魔法使いよ。かつて北の田舎町で洟を垂らしていた子供とは思えないわよね。あの狭い町で才能を飼い殺していなくてよかったと思うから、天涯孤独のみなしごになったのも見ようによっては悪くないわけ。


 さて、本日はお日柄もよく春うらら、王子の戴冠式にはうってつけの日ね。
 成人の儀を済ませた王子は緊張の面持ちで王座の前に立ち、冠を譲ってもらうのを待っている。
 城の下に集まった住民たちも目を輝かせて記念すべき瞬間を見つめている。
 あたしはいちおう護衛役として現王の後ろに控えているわ。というか集まった王族貴族たちはそれぞれお抱えの魔法使いを連れてきているのよね。不測の事態に備えてという名目はあるけど、まあ、皆の前で己の持っている力を誇示したいがためよ。政治やら権力争いやらに利用されて、魔法使いの世界って汚いのよ。あたしももう何十年も王家の派閥抗争に巻き込まれて失脚や命を狙われてうんざりしているの。
 だからもうこの茶番を終わらせてもいいかなって。

 ドン、と、向こうで煙と共に銃声が上がる。

 王子を狙って放たれた玉はあたしの張った護りによって跳ね返され、けたたましい音を立てて城の窓を砕いた。
 ざわめく民衆たち。煙はどんどん濃くなって視界を奪う。誰の仕業か見当はついている。世継ぎを快く思わない分家の魔法使いでしょう。王室の人々には厳重に護りをかけているけれど念のためもう一度魔法を強化しようと思って呪文を唱え終えた瞬間、煙の中からにょきっと剣が突き出してきた。
 まっすぐに飛び込んできた切っ先があたしの胸に突き刺さる。そのままずぶずぶと背中のほうまで貫通した。もとからあたしが狙いだったようで煙が晴れていく。王子たちは混乱しているけど無事みたい、良かった、それを確認してあたしは目を閉じる。

 頭上で大きな鳥が羽ばたく音が聞こえ、まぶたの裏の視界が暗くなる。脇の下を両腕で掴まれて、強い力で体が宙へ持ち上げられる。
 目を開けると住民や王子たちが胸を串刺しにされたあたしを見上げて叫んでいた。
 どんどん彼らの姿が小さくなる。屈強な鳥の翼が風を切って高く高く飛翔し、宮殿から離れていく。

「無理をするなと言っただろう」

 苛ついた声で吐き捨て、鳥はあたしの体を横抱きにかかえ直した。
 怒りと心配を半分半分にした顔は何百年も見慣れたもので、ふいに抑えようのない愛しさが込み上げた。

「鶯丸」

 精霊の名前を呼ぶ。彼は目だけでなんだ、と聞き返した。

「この国を出ましょう」
「そしてどこへ行くんだ」
「どこへでも。あんたと一緒に、世界に春を返しに行くのもいいと思ってるのよ」
 
 あたしが胸の剣に触れるとそれはほろほろと崩れ去ってあとには傷一つ残らない。春の魔女は戴冠式で襲われて死んだ。観客はそれを目撃した。そういうシナリオになるように仕向ければ、あとは敵の魔法使いが勝手に動いてくれた。きっと今ごろ現王たちは瀕死のあたしを使い魔の精霊が攫って逃げたと大騒ぎし、一方で分家の面々は邪魔な魔法使いを殺せたとほくそ笑んでいるだろう。

「あーあ。この国の魔法使いなんてみんなあたしの弟子みたいなものなのに、よくその魔法であたしを殺せると思うわよね」
「それだけ君の影響力は強大だったということだ。実質、この国の支配者は君で、影の王は君だった。君の王国を捨ててしまっていいのか」
「そういうのは飽きた。欲しいものはほとんど手に入ってしまったの」

 精霊は黙って飛び続ける。びゅうびゅうと風を切るたくましい翼の根元には、あたしが巻いた鎖が飾られている。
 そう、飾りとしての意味しかないの。
 契約はとっくに切れている。彼はすぐにでもあたしを置いて飛んで行ってしまえるのにまだこうして傍に仕えている。それどころかあたしの寿命を引き伸ばしさえしてあたしが死なないように細工している。
 三百年は過ぎた。契約期間はあたしの寿命いっぱいだったから、長くても百年程度であたしは死に、精霊は自由の身になっているはずだった。

「鶯丸は、けっこうあたしのことが好きよね」

 彼はちらりとこちらを一瞥して憮然とした表情をする。しばらく黙っていたけれどやがて観念したようにため息をついた。
 花のような香りがする息が頬にかかる。

「君の一生を狂わせた責任は取るつもりだ」

 あたしは笑った。出会った時から春に捕らわれている。

 遥か下、くすんだ灰色の景色だった山並みが柔らかな新芽の色に移り変わっていく。
 欲しいものはもうなにもない。
 春を返しに行く。

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