※リョナグロ、鶴丸が虫責めされる
※虫注意⚠︎


「主、ここにいたのか」とやけに陽気な声で呼びかけられた時から嫌な予感はしていた。ざくざくと砂利を踏みスキップするように近寄ってくる足音からも彼の高揚した気分が伝わってくる。振り向いてみれば予想どおり、雪白の衣装を赤黒く染めた鶴丸がこちらに笑いかけている。はだけた襟元には裂傷の口がぱっかりと開いており、片方の袖の肩から下はぺったんこで夜風に揺れていた。

「派手にやらかしましたね」

そろそろ第一部隊が帰ってくる頃だと思って庭に出て待っていたのだ。大怪我をして帰ってきた太刀の姿に思わず渋面を作るが、鶴丸は私の不機嫌を少しも気に留める様子もなく近寄ってきて無邪気に笑う。薄い唇が割れてまた新たな血が滲み出す。この男に痛覚は存在しないのだろうか。

「あなたを手入れするのにどれだけの資材を消費するか分かっているのですか?」
「いや、すまんすまん。つい気持ちが昂ってしまってな」

少しも反省の色のない男をきつく睨む。こうして彼が練度と出陣先に不釣り合いな重傷を負って帰ってくるのは珍しいことではなかった。

「わざと負傷してくるのはやめてと言ったはずです」

鶴丸はようやく困ったように眉を下げた。夜桜を背景に、白と赤のコントラストがよく映える。闇の中ではらはらと散る桜の花弁が彼の美貌を引き立てていた。

「そう怒らないでくれ。わざとじゃないさ」

ただ戦闘になるとちょっと理性が飛んでしまうんだよなあと悪びれずに言う。ここで彼の言う理性というのは、おそらく『人間的な』感性のことであろう。彼らの本性は肉を切り刻む刃物である。いったん合戦場に出て肉を断ち噴き出す血に濡れれば、彼らをかろうじて人間たらしめている理性などは吹っ飛んでしまうのだろう。例えば満月を見て獣に変身してしまう化け物のように一瞬で、あとかたもなく。
明言こそしないが、相手を屠る快感に浸る一方で己の身を削がれることにも満足を得るのかもしれなかった。刀剣男士全員にその傾向は見て取れたが、鶴丸は特にその程度がひどかった。練度は最高に近いのに、手足の一、二本を損失してくることはしょっちゅうである。それでいて破壊されるようなヘマはしないところが確信犯だ。
私としては当然、大事な刀剣男士が負傷してくるのは肝が冷える。いつしか破壊されてしまうのではないかと不安で仕方ない。しかも鶴丸は太刀である。手入れにかかる資材の量だって馬鹿にできないのだ。

「再三、怪我をしてこないようにと言い含めているのになぜ言うことを聞いてくれないんですか」
「心配してくれるのか。嬉しいな! ああ、俺以外の皆は軽傷ばかりだから安心してくれ」

話にならない。嬉しそうにニコニコしている鶴丸の、汚れていない部分の髪が月光に透けてきらきらと輝いて見えた。
私は手を伸ばして、彼の残っているほうの片手を引く。ぐい、と強い力で引っ張られた彼は「お、なんだなんだ?」と転がるようにして身を乗り出す。

「今日という今日は、あなたにお仕置きします」

私はぷんすか怒って、振り返りもせずに吐き捨て、足早に歩いていく。鶴丸は大人しくついてきて目を輝かせる。

「お仕置き? 君が俺に? 一体なにをする気だ?」

口調はうきうきと楽しげで、声音が半トーン上がっていた。明らかに期待を滲まされ、私の唇はいっそうへの字を描く。鶴丸め、そんな顔していられるのも今のうちだ。

「マゴットセラピーという治療法があるのです」
「ほう? 」

鶴丸は弾んだ声を上げ、言葉の続きを待っているようだが、私は無言で彼を目当ての場所まで引っ張っていった。庭の向こうには畑があり、さらにその奥には木々の乱立しているこじんまりとした林のような場所がある。本丸自体に不思議な力が働いているようで、植えずとも樹木は勝手に生えてくるのだ。雑多な種類の木がほうぼうに生えるそこに好んで近寄る刀は少ないが、時折短刀たちが虫捕りに興じている貴重な遊び場の一つでもあった。
私は林の入り口で立ち止まる。夜、ここに訪れるのは初めてだった。闇の中でなお黒い木の影がそびえ立つ。春の夜はねっとりとまとわりつくように暖かく、重い。暗幕のようだ。

「少しここで待っていてください。動いては駄目ですよ」

状況が掴めずぽかんとしている鶴丸を置いて、私はひとり本丸へと逆走する。自室から懐中電灯と、厨から蜂蜜を持ち出して、もと来た道をまた走った。
言いつけ通り、鶴丸は案山子のように突っ立って待っていた。ふと彼の背中を見て気づいたが、着物の白に反応したのだろう、虫が数羽止まっている。これなら簡単にいきそうだ。

「それで、なんとかてらぴーってやつをここでするのかい?」

待ちぼうけを食らった鶴丸は若干拗ねたように唇を尖らせる。腕を組もうとしたらしいが片腕がないことを失念していたようで、見事にすかっと空回りする。その拍子に背中についていた虫が驚いて飛び立っていった。
私は持ってきたばかりの懐中電灯と蜂蜜を取り出す。鶴丸の服の袷に手をかけ上半身の着物を脱がしてしまうと、白磁のようななめらかな肌と痛々しい傷口があらわになった。
蜂蜜の蓋を開ける。何が始まるのだろうと疑問符を浮かべている鶴丸に腕を差し出すよう命じ、切断されたほうの片腕を突き出してもらう。刷毛にたっぷりと蜂蜜を掬って含ませると、私はそれを肉の断面に持っていく。

「マゴットセラピーというのは、壊死した部分の組織を蛆虫に食べさせて取り除く治療法のことです」

剥き出しの傷に刷毛が触れる。肉の赤色の上につややかな蜜がコーティングされ、レジンのような光沢を放った。痛みにびくりと体を跳ねさせた鶴丸は、先ほどの私の言葉にも顔を引き攣らせる。

「なんだって? 君、刀剣男士の傷口を虫に食わせようっていうのか」
「ええ。とはいえこれはあくまでお仕置きで、治療するためにやるわけではありませんから、正規の方法とは違います。実際に使うのは蛆虫なんですが、蛆虫を集めるのは大変なので適当な虫で代用しましょう。あ、ほら」

甘い香りに誘われたのか、さっそくブンと低い羽音を立てて虫が飛んでくる。わざわざ林の入り口まで来たのはこのためだ。樹液を啜る虫たちが、甘露を見つけたかのように嬉しげに羽を震わせて集ってくる。鶴丸がひっと息を呑んだ。塗ったばかりの蜜の海へ真っ先にぺちゃりと勢いよく張り付いた甲虫は、カナブンのようだった。

「う、うわ。正気か?」

強張った表情で鶴丸が私を見る。彼のこんな顔は久しぶりだ。ぞくぞくするような倒錯的な喜びが胸を這い上がってきた。

「あなたが十分に反省するまで続けますからね」

私はまた蜂蜜を掬って、今度は胸の裂傷にペタペタと塗りつける。甘い匂いと鉄の匂いが混ざって吐き気がするような異臭に変わった。
蒼白な顔色をしている鶴丸をこんどは懐中電灯で照らす。白い着物は蛍光灯のように派手に光った。蜜の香りと光の効果とが相乗し、誘蛾灯さながらに虫を集めることとなる。
次々に集まりだした虫は埋め尽くすかのごとく鶴丸の肌を覆っていく。カナブンをはじめ、大小さまざまな蛾、蜂、カマドウマ、赤や白の縞模様を持った細長い虫、黒光りする得体の知れない甲虫。などなど。見ているだけで気持ち悪くなるような昆虫たちの宴会と化した。
鶴丸は大きく目を見開き、浅い息をしながら己の体に張り付いている虫を見下ろす。彼らはしきりに口元を動かしながら、もっと蜜を舐めたいと複数の脚をもぞもぞさせて傷口の奥へと入っていく。細長く鋭い脚が抉りこむように突き立てられ、蜜を舐めるついでに肉ごと食いちぎっていく虫たちの顎に、鶴丸は身悶えていた。恐怖や嫌悪感に加えて痛みに耐えているのだろう。唇をきつく結び頬を紅潮させて睫毛を震わせている。潤んだ蜜色の瞳はいまにも融けて金色の涙を溢れ出しそうだった。胸元に蠢くのはまるで飾り玉のような虫の集合体、はみ出さんばかりに腕の切断面を覆うのは波打つ虫のカーテンだ。懐中電灯のライトに照らされた舞台で、ぴちゃぴちゃ、みしみしという伴奏を背景に虫たちのグロテスクな饗宴は続いた。

「痛いですか?」

せめてもの気休めにと問いを投げれば、彼は視線を上げて潤みきった瞳を向ける。

「痛いさ。虫どもめ、蜂蜜だけじゃなく俺の体を食ってやがるんだ」

だが、予想に反して彼の目は私を映して弧を描いていた。半開きの唇からはだらしない声が漏れる。笑っている。不気味になって私は顔を顰めた。

「なにがおかしいんですか」
「いやあ、おったまげてるのさ。まさかこんな酷い仕打ちを受けるとはなあ。君といると飽きないなあ!」

はははと背筋を震わせて笑う。鶴丸の体が揺れた拍子に腕の先からぼとりと団子塊になった虫が落ちた。
痙攣するみたいにびくびくと跳ねながら鶴丸は哄笑する。

「ああ、痛い、痛い、痛い。最高だ。昔俺が墓の中にいたとき、蟻やらオケラやらが俺を囓ろうとしてきたんだがな、当時の俺はただの刀だった。食える肉なんてなかったのさ。だからなぁ…死体が虫に食われて崩れていくのをただただ見ていたんだ…。ああ、こんな感覚だったんだな…あぁッ… 、痛い…痛い痛い……!」

苦痛に耐えるように前屈みになる、その顔はしかし笑みを湛えたままだった。油ぎった光沢を放つ甲虫同士が鶴丸の傷口の中でぶつかり合い、場所を奪い合うように相撲を取る。その横では強欲に餌を求めすぎて蜜に埋もれて窒息死したらしい蛾が浮かんでいた。うごうごと蠕動する無数の虫たちは、鶴丸の体に寄生する一つの生命体のように見える。甘い体液を求めてさらに深部へと潜り込んでいく。

「そろそろ反省してきましたか」

脂汗を浮かべながらふうふうと苦しげな息をついている鶴丸に指を伸ばす。気持ち悪い虫団子を軽くつついてカナブンの背中を押してみると、ぬちゃ、と柔らかい肉のぬかるみに硬い異物が押し込まれる。鶴丸の肉に埋め込まれたカナブンは嫌がって足をバタバタさせ、翅を開いてもがいた。

「ぅ、あ、」

ぽたりと汗だか涙だか分からないものが落ちた。ふだん余裕綽々とした彼がこうも体裁を崩すのは珍しく、無様に震える姿を見て私はある種の満足感を覚えた。

「鶴丸。反省できたなら終わりにしましょうか」
「…ああ、反省したぜ……」

力無く顔を上げた彼の頬には涙の跡があり、前髪は汗でぐっしょりと張り付いていた。
さすがにこの虫の大群を一匹一匹指で取るのは気が進まないので、さっき厨で蜂蜜を持ってくるついでに拝借してきた菜箸を使ってつまみ出すことにする。箸の先端が傷口をめくり上げるから激痛が伴うであろうことは容易に推測できたが、これもお仕置きのうちだ。気持ち悪いなあと思いながらもまずは胸元にへばりついている蛾をつまみ上げる。ハタハタと鱗粉を撒き散らして羽を揺らす巨大な蛾をゆっくりと傷口から離して外に逃がそうと、する、と、急に鶴丸が大口を開けた。真っ赤な口内が覗いた次の瞬間には、捕食者の素早さで箸の先を咥え込む。ぱくり。つまんでいた蛾ごと口の中に収めてしまう。

「………ははッ」

真正面から視線が噛み合う。恍惚とも言える表情で口角を吊り上げ、爛れた蜜色の瞳にはおぞましいほど淫靡な媚態を浮かべた鶴丸が、私に笑顔を向けていた。
箸の先が噛まれ、てこの原理で私の握っている部分が跳ねる。まるで己の指を噛まれたかのような錯覚に襲われながら、鶴丸の口内に消えた蛾がジャリジャリと嫌な音を立てて咀嚼されるのを確認した。
ぺろりと赤い舌で名残り惜しむかのように箸の先端を舐める。その粘膜の上には噛み潰された蛾の破片らしき粉っぽい塊が点在しており、吐き気を催した。

「驚いたか?」

やられっぱなしじゃないぜ、と囁く声が冷風のように背筋を抜けて肌を粟立たせる。

「……意趣返しにしても、虫を食べるなんて、気持ち悪い」
「鶴らしいだろ? ん、鶴は虫を食べるのかな。よく分からないが、鳥だからまあおかしくはないだろう」
「……信じられない」

と吐き捨てた私に彼は嬉しくてたまらないといった表情を浮かべる。いたずらが成功した少年みたいな無邪気な笑顔の中に、隠しようのない媚笑が含まれていた。まんまと一杯食わされたことが悔しくて、私は箸を鶴丸の口から引っこ抜いて胸元に伸ばす。ギラついた毒々しい色の甲虫を一匹つまんで彼の口元に突き出した。

「ほら、どうぞお口を開けてください」
「あーんしてもらえるのか。嬉しいな!」
「……虫ごはんが嬉しいんですか」
「違うさ。分かってないなあ。君にもらえるものならなんだって嬉しいんだ」

鶴丸は強張った私の手首を掴んで捻り、動きを封じると顔を近づけてきた。絹糸みたいな髪が触れ、額をくすぐるこそばゆい感覚に気をとられて逃げることが出来なかった。鼻先に体温を感じるとすぐに距離は埋め尽くされる。柔らかく湿った唇が押し付けられる。目を見開く私とは反対に真っ白な長い睫毛は鳥の翼のようにしとやかに伏せられ、小刻みに震えていた。
力の抜けた唇を割ってぬるぬるしたものが侵入してくる。ぬるい、舌に続いて親指が口の端から強引に割り込んだ。妙にざらざらした舌の表面が私の舌をこすり、わずかな苦味とえぐみを塗りこむみたいに撫でつけていく。鉄臭い指が歯列をなぞって、互いの唾液の混じり合った糸を引いて去っていった。
思わずうえっと呻いてえずく。吐きそうになった私を鶴丸はようやく解放してくれた。

「口直しだ」

濡れて光る薄い唇を乱雑にぬぐい、彼は満足げに笑う。一方の私はぺっぺっと鉄臭い唾を吐き捨て、白い男を睨み上げた。

「やっぱりお仕置きが足りませんね」

反省の色のない男が闇の中で夜光虫のように淡く光る。
獣の息吹のように生温い春の夜だった。




すっかり本丸が寝静まった時刻、お仕置きの続きとして私たちは手入れ部屋にいた。
さんざん虫に食い荒らされた鶴丸の傷口は毛羽立ったように肉が逆剥け、見るからに痛々しかった。それでも手入れをすれば一瞬で塞がってしまうし、失った腕だって生えてくるのだ。刀剣男士とは奇妙な存在だといつも思う。

「鶴丸、私は本当に、あなたがまかり間違って折れてしまうのが怖いんですよ」

部屋全体にオレンジの灯を投げる行灯の明かりが、彼の頬を暖色に照らし出す。鶴丸の瞳は燃えるような黄金に輝いていた。

「だからあなたにこれをあげます。どうか肌身離さず身につけるように」

懐から取り出したのは、一度だけ刀剣の破壊を防いでくれるというお守りだ。霊力を注ぎ込んで作ったそれはとても貴重なものだと皆が理解している。やはり彼も共通の認識としてそれは知っていたようで、目を丸くした。

「そんな貴重なものを俺にくれるのかい?」
「ええ。お守りよりも鶴丸のことが大切ですからね」

私が答えると、彼は柄にもなく頬を染める。

「ただし、これもお仕置きの続きです」

愛しい刀へ私は手を伸ばす。片手にはお守りを、もう片手には針と糸を携えて。

「あなたはどうせまたわざと負傷してくるでしょう。せっかくお守りを持たせても、なにかの拍子に落としてしまったらいけません。それは困る」

鶴丸の腕を引き寄せて、切断された断面を指す。彼の瞳に映った私の顔は、舐めるような火の赤に染まっている。

「傷口に縫い付けてから手入れをすれば体内へ埋め込まれるでしょう。それなら安心です」

膝下に置いた裁縫箱。真ん丸く見開いていた鶴丸の瞳がお守りと針と裁縫箱を行ったり来たりして、合点した途端に弾けるように笑い出した。

「君は最高にクレイジーだな!!」

悲鳴じみた高笑いが闇に反響した。
針を消毒代わりに火で炙る。行灯に羽虫が飛び込んで焼けた。
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