・現パロ、百合

 あんまり熱いから胸が焦げてしまったのだ。
 水で薄めたポカリスエットのペットボトル2つ、青色のシーブリーズ、タオルと着替えのシャツ。夏休みの必需品を詰め込んだカバンはずっしりと重い。バスを待っていたわずかな時間にも汗をかいて、制服の襟が濡れてしまった。冷房のきいた車内のいつも通りの座席に腰掛け、発車を告げるアナウンスを聞く。
 前の席の男子高校生が小説を読んでいる。窓から差し込む太陽の光が街路樹の緑を透かして、彼の白いワイシャツに降り注ぐ。
 青信号。勢いよく坂道を下るバス。私の恋を乗せた夏が加速していく。
 安定とは最寄りの駅で待ち合わせして、一緒に学校までの道を歩く。

「おはよう!」

 笑顔で手を振る彼女が改札の向こうに立っている。私は荷物の詰まったカバンを揺らして駆け寄る。その一瞬でさえも映画のワンシーンみたいにドラマチックに感じるのだ。さんざめく蝉時雨も灼熱の太陽さえも彼女を輝かせる舞台装置だ。世界がこんなに色を変えるなんて知らなかった。朝練のために早起きすることも苦にならない。

「もー汗で日焼け止め落ちちゃったよ」
「学校着いたら塗り直さないとね」

 細い腕がうなじに貼り付いた髪をかきあげる。雫の伝う首筋にどきりとした。その髪に肌に触れたら、なんて、友達の範疇を超えた欲望を抱いてしまうのだ。好き。私より可愛くて、友達も多くて、試合の成績だっていい安定に抱くのは淡いあこがれなんかじゃない。羨望と嫉妬が層になり中心には愛情が渦巻く、鮮烈な感情だ。夏の日差しが脳を沸かせて、未熟な性を揺り起こす。

「見て。こんなにくっきり日焼けした」

 安定は袖をめくって境界を露出する。あの指先に触れたいな。伸ばす度胸はないけれど。空想ばかりが上手くなる10代半ばの欲求は刹那的で、私はこの時が永遠に続けばいいと思っていた。
 未来なんて想像したことがない。安定と離れ離れになる人生も、手を取り合って寄り添う人生も、等しく現実味がなかった。あるのは現在だけ。私が欲しいのはいまここにいる安定だけ。

「ねえ、日曜にさ、遊びに行かない? 食べてみたいかき氷のお店があるんだ」

 だから、はにかんだように笑う安定の言葉に舞い上がってしまうのだ。数日先の約束でさえ、ちっぽけな私の心を埋め尽くすにはじゅうぶんなのだ。

「行く!」
「やったあ嬉しい。僕ねいちごも好きだけどブルーハワイも食べたいんだ」
「ブルーハワイってお祭りの屋台でしか見たことないよ」
「あ、確かにそうかも」
「お祭りにも行きたいな」
「行こうよ! 夏休み最後の週に縁日あるみたいだからさ」

 ああ、幸せだと思った。私たちの関係が進展しなくても、一方通行のままの気持ちでも、この夏は失いたくない。

「ずっとここにいたいな」

 振り向いた安定が首をかしげる。通学路はゆるやかな下り坂を描き、青空を背景に笑う彼女の姿が目に焼き付いた。私は笑って安定の肩を小突く。じゃれ合いながら川沿いの遊歩道を駆ける。死んでしまう8月を取り零さないように。
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