※審神者が既婚者(別本丸の男審神者と結婚済み)で、妊娠中
※ヤンデレホラー?

 新鮮な花の香りが執務室に漂っている。
 失礼しますと一声かけて障子を開けたへし切長谷部は、入室するなりその香りの元を辿って眉をひそめた。

「主、その花は誰が」

 花瓶にはちいさな袋のような花が連なっている。鈴蘭だった。主様へどうぞと恥ずかしげに手渡されたそれを一輪挿しの花瓶に生けて飾っている。

「可愛いでしょう? 五虎退がくれたんですよ」

 白いぷっくりとした膨らみを指でつつき、私は微笑んだ。
 文机に書類の束を置いた長谷部は渋面を作っている。いったいなにが気に食わないのかと尋ねようとすると、私が口を開くより先に彼は苦言を呈した。

「鈴蘭には毒があるんですよ。花瓶の水を間違って飲みでもしたら大変です。五虎退め、奴はそんなことにも気がつかなかったのか」
「あらあら、私は花瓶の水を飲んだりしません。心配しすぎですよ、長谷部」

 声を出して笑ってしまう。長谷部は眉を下げ、困った顔を作った。

「しかし、主、いまやあなた一人の体ではないのです。万が一のことがあったらと思うと俺は気が気でならないのですよ」

 長谷部が視線を下ろす。帯で押さえつけられた着物の下、私の腹部はゆるやかに張り出している。

「ありがとうございます。でもそんなに心配しないで大丈夫なのよ。長谷部や皆のおかげで私もこの子も無事に生きています」


 刀剣男士は心配性だ。
 私が懐妊してからというもの、彼らが身の回りの世話を焼かない日はなかった。
 重いものは持たせない、と率先して取り上げるのは書類や洗濯物から始まり、とうとう箸まで取り上げられてあーんされそうになったのにはさすがに困った。ストレスになるから演練場に行くのはやめよう、転んだら大変だからいっそ部屋にこもっていてくれと頼まれ、私は軟禁状態におちいっている。
 石切丸は安産祈願を毎朝の日課にした。短刀たちは一日一本まじないをこめて花を摘んでくる。四季の干渉しない本丸にはあらゆる季節の草花が生い茂る。だから私の執務室には甘やかな花の香りが途切れることがない。
 おかげで五ヶ月になるお腹の子は、付喪神たちの加護を受けて元気に育ってくれている。
 このご時世、審神者同士が結婚するのは珍しい話ではないが、もともとの夫婦が揃って審神者になったというのはあまり聞く話ではない。夫宛に召集令状が届いたとき、私は夫の承諾印に同封して己の適正審査票を政府に送りつけた。審神者制度は素質のあるものをランダムで徴兵し強制赴任させるシステムだが、みずから志願することも可能である。私は夫を戦場に送り込み自分ひとりがのうのうと平穏を過ごすことなどできなかったのだ。
 夫とは別の地域に赴任することになったが任期が開けるまでは共に審神者業に勤めようと思っていたところ、今年の明けに懐妊が発覚した。


 鈴蘭の花瓶をつまみ上げ、長谷部は眉根を寄せる。

「主、せめてこの鈴蘭は押し花にしましょう。リスクは最小限に減らすべきです」
「長谷部は本当に心配性ですね。私をあまり甘やかさないでくれって夫にも言われたじゃないですか」
「旦那様がなんと言おうと、俺の主は貴女だけです。俺は貴女のためだけを思って行動しています」

 往々にして、長谷部は主に異様な執着を持つ刀だという。
 懐妊を告げたときの彼は、
「審神者を辞めるんですか」
 開口一番に問われたのはそれだった。藤色の、いつも爽やかに澄んでいた瞳は暗く濁っていて、あまりの豹変ぶりにぞっとする。
「臨月から三ヶ月の間、産休をいただいて現世に帰る予定でいますが、その後は復帰しますよ」
 幸い両親が元気なので、産まれた赤ん坊の面倒を見てもらう約束をした。政府も復職を推奨している。軍人とはいえ国家公務員なのでそのへんの手当ては厚い。審神者同士の子供は才能を受け継ぐ可能性が高いということで重宝もされていた。
 私が審神者を続けると知って、長谷部はへにゃりと緊張を解いた。
「ああ、それでこそ俺の主!よかった、赤子にかまけて俺たちを捨てるのかと!」
 感極まったかのように両手を握りしめられ、そのあまりの力強さに息を呑んだのを覚えている。


 目の前の男は、あの日と変わらぬ不遜な笑みを浮かべて私を見下ろす。

「主。書庫に事典がありましたね。花を挟んですぐ戻ってきますのでお待ちください」

 その手袋の中で、白い花弁が握り潰されたのを見逃さなかった。
 いっとう強い湿った花の香りが鼻を刺激する。カソックを翻して闊歩していく彼を見送った。いつのまにか詰めていた息がふうと大きく漏れる。へし切長谷部は私に異様な執着を抱いている。それは就任してからずっと胸に引っかかっている、ちいさな不安の種だった。




「もしもーし、聞こえてますかー」
「ん、いま動いた?」

 お腹に耳を当てる蛍丸と愛染。寝間着姿の彼らがこうして部屋に遊びに来るのはたまにあることだった。
 短刀や蛍丸なんかはもともと甘えたな性分で、私のことを母のように慕ってくれていた。最近は胎児の成長を物珍しげに観察している。刀の付喪神といえど、好奇心旺盛な様子はただの子供のようで微笑ましい。温かいふたりぶんの体温を感じながら、お腹の子は呼びかけに応えるようにころころと動いていた。

「ええ、聞こえているってよ」
「早く出てきてほしいなーっ」
「俺たち、遊び相手になってあげるからね」
「ありがとう。お兄さんがたくさんいるから心強いわ」

 楽しみね、とお腹をぽんぽんする。優しく強く、美しい数多の刀剣たちに誕生を願われて、この子も幸せだろう。産まれたら定期的に本丸に連れてきて、皆に可愛がってもらおうと思う。
 布団に寝転がって私のお腹にくっついている彼らをよしよしと撫でていると、廊下を歩く音が聞こえてきた。

「こんな遅くまで主の部屋に入り浸るとはどういうことだ。保護者を名乗るならお前が責任を持って管理しろ!」
「いやー、あの子らは自由ですからなあ。主はんだって迷惑なら追い帰すやろ」

「あ、国行だ」

 愛染と蛍丸が呟くやいなや、戸が勢いよく開いて、声の主のふたりが姿を現した。

「主はん、すみませんなあ。うちのが今日もお邪魔したみたいで」
「貴様たち! 主は身重なのだぞ。就寝の時間を邪魔するとは何事だ」
「まあまあそう怒らんとってくださいな。この子たち、主はんのお子が産まれるのが楽しみで仕方ないんですわ」

 憤慨している長谷部をよそに、明石はへらへらと笑顔である。愛染と蛍丸は悪びれる様子もなく起き上がった。

「ありがとう主。あと赤ちゃんも。おやすみなさーい」

 屈託なく手を振るふたりに笑顔で手を振り返す。明石たちの足音が廊下の向こうへ遠ざかっていくと、長谷部ははぁとため息をついた。

「ご迷惑ならそうとはっきりおっしゃってください。主は短刀たちに少々甘いところがあります」
「迷惑だなんて思っていませんよ。ほら、長谷部もここへどうぞ」

 座布団を用意し座るように促すと、彼はむくれた顔をしながらも腰を下ろした。手には盆を抱えている。
 一日の終わりに、長谷部がお茶を淹れてくれるのが習慣になっていた。

「いつもありがとうございます」

 男の手から湯呑みを受け取り微笑むと、ようやく彼は表情を和らげてくれた。
 そもそもはつわりで苦しんでいた私に、彼が薬草を煎じてくれたのがはじまりだった。
 意外にも彼ら刀剣たちは療法の類に詳しかった。医療の発達するより前の時代は、野山の草花や獣の死骸から薬となるものを抽出していたというから、刀の頃から見聞きして蓄積した知識があるのだろう。
 湯呑みの中のうす茶色の液体をのぞきこむ。なんの草を使っているのかは教えてもらったことはないが、野に生える草の爽やかな香りがする。ひとくち口に含むとあっさりした渋みが喉を滑り落ちる。
 長谷部は目を細めて私を見ている。カソックを脱ぎ、シャツ一枚になった姿はいくぶんかリラックスして見える。就寝前なのだから着流しでいいのに、と以前伝えたことがあったが、主にだらしない姿はお見せできませんと一蹴されてしまった。

「もう五ヶ月ですね」

 愛しげに微笑む長谷部だが、その瞳は不自然なまでにまっすぐだった。
 どうにも、この瞳が苦手だった。

「ええ。おかげさまで安定期に入りました」
「喜ばしいことです。……愛染や蛍丸ではないですが、俺も貴女の子に会えるのが楽しみでならないのですよ。主とやや子の無事を毎日神に祈っているのです。できることなら出産にも立ち会いたかった」

 手袋をぬいだ手が、湯呑みを持つ私の手を包む。やたらと近い距離に疑問を覚えないわけではないが、今に始まったことではないのだ。長谷部は顕現されてからずっとこんなかんじだった。もし私が既婚者でなかったら恋仲を期待されていると思っただろう。
 彼の真意はわからない。長谷部は付き合いの長い刀だ。初期刀の次くらいに信頼している。しかし、彼がときおり見せる不穏な影の正体を見極めることはできないでいる。
 これが長谷部でなくても刀剣男士を実家に連れて帰ることは遠慮したいため、出産に立ち会わせることはできないが、少なくとも赤ん坊の誕生を願ってくれているという言葉だけは本心であると信じたい。

「悪しきものが取り憑かないよう、今夜も俺が寝ずの番を致します」

 握った手の甲を親指ですりすりとさすりながら、猫を撫でるような声が私の背筋を舐め上げる。とろけた笑みを浮かべて体裁を崩すこの長谷部を他の刀たちが見たら仰天するのは間違いない。

「おやすみなさい、長谷部」

 いい加減に手を離してほしくて暗に退室を促せば、笑みを形作った唇が薄く開いた。

「ええ。ぐっすりお休みになってください、主」

 長谷部の淹れてくれるお茶には入眠作用もあるようですんなりと眠りにつけるのだが、決まって夢を見るのは眠りが浅いせいだろうか。このところ似たようなおかしな夢ばかり見る。黒い影が私をのぞきこみ、人には理解のできない言葉でなにごとかを呟いては去っていくのだ。
明け方ごろに目が覚めた。今夜も呪文のような言葉を囁かれた。なにかの前兆か呪いかもしれない、せめて単語のひとつでも思い出すことができたら御神刀たちに相談するのに。
 襖の向こうから細い光が差し込んでいる。気分を変えて久々に散歩でもしようと思いつき、羽織を着て下駄をつっかけて朝の庭に出た。花壇というには規模の広すぎる、いっそ樹園といったほうが適しているような庭の一角を訪れる。誰が植え始めたのかそれとも自生しているものなのか、統一感のない雑多な種類の草花が咲き乱れている。

「お、大将、お早いお目覚めだな」

 呼びかけに振り向くと、鋏と籠を手にした薬研が歩いてくるところだった。

「おはようございます。今日は薬研が花当番なのですか」
「ああ。大将に似合う一本を選びにきたぜ。ついでに薬草の採取もしていくつもりだ」

 毎日花を贈るという行為も、付喪神たちが念を込めて行えば守護のまじないになるのだろうか。効果のほどはわからないが私たちのことを思ってくれる優しさには素直に感謝する。

「花ってのは綺麗だが毒を持つものも多くてな。こないだは五虎退が鈴蘭を摘んでしまったらしくて悪かったなあ。他にも……たとえばこれなんかそうだ」

 手袋をはめた手が背の低い木に伸び、朝露でしめった白い花をつついた。

「アセビだ。ちいさくて可愛い花だろう。漢字では馬酔木と書くんだがな、この葉を馬が食べると神経が麻痺して酔ったような状態になるのに由来しているんだ」

 へえと感嘆して鈴なりの白い花を見る。薬研はそこらに生えている草木を検分しながら奥へと進んでいく。彼の毒花トークを聞きながらついていくと、「おっと」と急に声を上げて歩みを止めた。

「こいつは要注意だぜ、大将。とくに身重の女にはな」

 薬研が示したのは橙色の円錐形の実だった。重そうに垂れている。目に鮮やかな実には見覚えがある。

「鬼灯ですね」

 独特のシルエットは間違えようもない。薬研はうなずいた。手のひらに鬼灯の身を乗せてころころと転がす。

「なにがあっても鬼灯を口にしてはいけないぜ。鬼灯の毒は子宮の収縮をおこすんだ。こいつは堕胎に使われていたことがある」

 とたんにその鮮明な橙色が禍々しいものに見えてきた。こんなものが庭に生えているのは偶然だろうが、妊婦に害をなすものが手の届く場所にあるというのは恐ろしい心地になる。
 薬研はしばらく葉をかきわけたり地面をさぐったりしたのちに、不審そうな顔をした。

「どうしたんですか?」
「根を掘り返したような跡があるな」

 言われてみれば確かにそこの土だけ荒れた形跡があり、色が違っていた。この庭園を定期的に管理している刀剣がいるのは確かだったので、

「誰かが手を加えたのでしょうか」

 ごく自然に私はそうたずねたのだが、薬研は曇った顔をしたままだった。

「…まあ、大将の口にするものは俺っちが毒見してるから大丈夫だとは思うんだがな」
「そんなことまでしてくれていたんですか?」

 過保護っぷりに呆れる。私に毒を盛る刀なんていないだろうに。振り向いた薬研はにっこりと快活な笑顔を作ってみせたが、目だけは真剣だった。

「部下の出番を作るのも主君の役目だぜ。俺っちに守らせてくれや、大将」

 少年の見目にはそぐわぬ言葉に苦笑する。胸を張る彼に心強いなあと思いながら、今後も護衛をお願いしますと約束した。




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