かくれんぼをしようと言い出したのは彼のほうだった。

「え?」
 
 思わず聞き返してしまったが仕方ないだろう。だって相手は仮姿としても成人男性の体と精神の持ち主だったのだから。
とろんとした金色の瞳に有無を言わせない圧力をもって男は微笑む。

「短刀くんたちと遊んでいただろう? それで僕も君を捕まえたいと思ったんだよ」

 ずいぶんと子供じみたことを言う。確かに日中、短刀たちの遊びに付き合ってかくれんぼをしていた。秋田とふたりで押し入れに隠れていたのを乱に見つかり、笑いながら転がるように押し入れから出てきたところを燭台切に見られたのだ。その時の彼の表情といったら穏やかでなかった。一瞬驚いて目を見開いたあと、「楽しそうだね」と笑ったのだが、その瞳は狂気を孕んでいた。怒りの矛先は審神者の体にまとわりついていた秋田や乱に向かっているのは明らかで、短刀たちは笑顔を引っ込め顔を凍り付かせた。せっかく楽しく遊んでいたのに可哀想なものである。
 正直辟易していた。燭台切は見目も良く面倒見も良くあらゆる雑事も器用にこなす、しかもこの上なくこちらを愛してくれる文句のつけようのない刀なのだが、どうにも堪え性がない。他の刀剣と仲良くしているのが気に食わないようで、短刀にすら悋気を起こすのだ。それで、どうやら短刀に張り合うつもりでかくれんぼを提案しているらしい。
 燭台切に目の前に立たれるとかなり身長差がある。さっきの微笑みは消えて、微動だにせずこちらを見つめてくる。顔の良い男の真顔は恐ろしいものだ。
「分かったよ」
 仕方なく答えると、彼は心底嬉しそうに顔を崩した。
「じゃあ好きなところに隠れていてね。僕は夕餉の皿洗いを済ませてから探しに来るから」

 そういうわけで今、私は執務室の天井裏に隠れている。
 押し入れの天板を外すと天井裏に忍びこめるのだ。実はこの通り道も短刀たちと遊んでいる時に見つけた。少しだけ板をずらして下を覗けるようにしてある。
 子供じみた彼の言動にちょっと腹も立っていたから、そう簡単には見つからないところに隠れたのだ。せいぜいがんばって探すといい。冷たい床に腹這いになって肘をつく。辺りは少々埃っぽいが我慢できないほどではない。
 燭台切はそろそろ探しにくる頃だと思うのだが、執務室に近づいてくる気配はない。屋敷の中は相当広いので難航しているのだろうか。いい気味だと思いながら寝返りを打つ。夕食を食べたあとだから、お腹がいっぱいで眠くなってきた。体温が上昇して手足がぽかぽかする。そういえば今日のご飯も燭台切が作ってくれたのだ。彼の料理は本当に美味しい。日を追うごとに私の好みを把握してきているようで、どんどん腕が上がるのだ。完全に胃袋を掴まれている。
 まあかくれんぼが終わったあとは仲直りしてやろう。いつも感謝しているし、今さら離れられないと思うほどには愛しているのだ。
 幸福感に包まれながら私は目を閉じた。満腹で気持ちいいし待っているのは暇だから少しだけ眠っていよう。すぐに心地よく意識が溶けた。

 私を呼ぶ男の声で目が覚めた。

「あるじ、あるじ」

 真下から声が聞こえる。のろのろと這い回るような重い音もする。金属の触れ合うがちゃがちゃとした音は甲冑だろうか。武装しているのだろうか?

「あるじ、ここにいるんだろう? 出てきてよ」

 当の燭台切はずいぶん情けない声を出している。
かくれんぼをしているのに相手に向かって出てきてくれと頼むのはおかしな話だ。
 ずらした板の隙間から室内を見下ろす。僅かな灯りがある。燭台切が行灯を持っているらしかった。光は弱く、部屋を充分に照らすことはできていない。燭台切の姿も黒い影としてぼんやりと見えるだけだった。ただその瞳は、火の玉のように黄金色に燃えている。刀剣男士の目は暗闇で光るようで、やはり人外なのだと痛感する。
 彼は見当違いな方向にふらふらと数歩進み、壁にぶつかった。ああ、見えないのだ。夜目の利かない太刀には、この薄明かりでは何も判別できないのだろう。
 電気をつければ問題は解決するだろうが、電源がどこにあるかすら分からないようだ。しかも悪いことに、壁にぶつかった拍子に彼は行灯を落とした。弱い火はふつりと掻き消える。完全な暗闇になった。

「あるじ」

 燭台切はほとんど泣き声になって私を呼ぶ。もしかしたらものすごく長い時間探し回っていたのかもしれない。普段聞いたこともないような哀れな声が憐憫を誘った。出て行ってあげようか。しばらく思案していると暗さに目が慣れてきたため、部屋の中の様子がなんとなく分かるようになってきた。
 黒い塊が畳の上に崩れ落ちている。泣いているようだった。
「見えないよ…。あるじ、どこにいるんだい?」
 床を手で探っている。目が見えないのは不安だろうが、あまりの動揺ぶりに異常なものを感じた。格好良さにこだわる彼は、こんなにみっともなく体裁を崩すだろうか。
 そこでふと、生臭い匂いがすることに気づいた。下から漂ってくる。まるで戦場帰りの刀剣が纏う血と死の匂いに似ていた。
嫌な予感がする。なにかとんでもないことが起こったのではないか。私は意を決めてそろりと体を起こし、天板を外して押し入れに降りる。
物音に反応して燭台切が動きを止めた。押し入れの戸をゆっくり開けると、こちらを凝視する金色の玉が浮かんでいた。

「そこにいるのかい?」

 期待と不安の入り混じった声で呼びかけてくる。私は返事をせず、黙って彼の様子をうかがった。
服が濡れている気がする。近くに寄るとさっきよりひどい血の匂いがする。
 燭台切は立ち上がってこちらに一歩踏み出した。気配のする方向に歩いてくるようだ。

「主?」

 やはり見えてはいないようで、私のやや横の壁を凝視している。焦点の合っていない目で近寄ってくる様はおぞましい。金色がゆらゆらと揺れる。両手を広げて手探りで私を見つけようとしている。逃げようかとも思ったが下手に刺激したくなかった。止まったままつっ立っていると、とうとう手袋をはめた手が体に触れた。

「主?」

 ぺたぺたと体に手を置かれる。位置を確認したようで、燭台切は腕を回して私の体を覆い囲む。男の厚い胸に抱かれると血の匂いが鼻をついた。やはりこの服は血液で濡れているのだ。

「主なんだよね? 返事をして」

 頭、顔、肩、背中、何度も形を確かめるかのように燭台切が手を這わせる。視覚が遮断されているぶん他の感覚を頼りにしているようで、髪に鼻先を寄せられて嗅がれたり柔らかい肌に指を食い込ませられたりする。

「やっぱり主だよね。こう暗いと君の顔が見えなくて不安になるよ」

 ようやく安心したらしい彼が、ほっと声を和らげる。体を触る手つきが優しくなった。頬を指先で擽るように撫でてくる。やはり視線は若干ずれている。

「……何をしてきたの」

 いい加減無視を決めたままではいられないので、私は乾いた唇を開いた。
 目の前の金色が弧を描く。

「僕と君の仲を邪魔するものを片付けてきたよ」

 褒めてくれと言わんばかりの口調だった。男は嬉しそうに言葉を続ける。

「みんなよく眠っていたから苦しまずに逝けたと思うよ。君のご飯にも薬を混ぜてしまってごめんね。でも怖がらせたくなかったからさ。よく眠れたろう? そのぶん気配が消えてしまったのかな、君がなかなか見つからなくて怖かったよ」

 美味しい美味しいと思って食べていたご飯に薬が盛られていたとは予想外だった。満たされた幸せな心地で眠りについたのに、裏切られた気分だ。私が呑気に眠っている間に、同じく薬を盛られた刀剣たちは燭台切の刀の錆になったのだろう。
 燭台切の目がどろりとした光を放つ。こちらを絡め取って熱く呑み込んでしまうような、爛れた太陽みたいに。

「新しい刀が必要なら君と僕とで作ろうよ」

 きっとできるよね赤ちゃん。と、甘ったるい声が耳元に届く。

「…真っ暗だから僕の醜いところ見えないよね、だったらこれ外してもいいかな」

 燭台切が眼帯と手袋を外す。右目の部分は髪と影でよく分からない。そこに何があるのかはこの暗さでは私の目でもはっきりとは認識できなかった。素手で顎を掴まれる。何度か形をなぞったあと、妙に凸凹とした指が唇を割って口内に入ってきた。微かに鉄の味がする。指を上下の歯の間に入れられ、噛むことも出来ずにそのままでいると、唇を重ねられた。指で浮かせた歯列の隙間から舌を入れられる。
 湿った音が鼓膜に響き、周囲の闇がねっとりと濃度を増す。熱い舌を吸い返せば男は嬉しそうに頭を撫でてきた。

 醜いところなんてもう充分に見せられた。それでも離れたいとは思わないんだから、私も相当狂っているんだろう。
 そもそもこの本丸には短刀脇差以外の刀はいなかったのだ。太刀や大太刀の類は彼があまりに嫉妬するので私が直々に刀解した。ずいぶん減ってしまった仲間を見て、少しだけ寂しい気分になったのは昔のことである。
 そうして今日、とうとう一本だけになってしまった。これじゃあ出陣に支障をきたすじゃないか、馬鹿なことをしてくれたものだ…と頭の片隅で思いつつも、燭台切の舌を吸う行為はやめられず、前回とは違ってたいして寂しいとも思わないのだった。

「君に似た可愛い赤ちゃんができるといいね」

 刀と人間で子供ができるなんて思わないけど、毎日この男の精を注ぎ込まれるだけの生活も悪くはないと思ってしまうのだった。審神者失格、ひいては人間失格である。


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